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第48話
「海?」
ポロッと零れた言葉に、京が頷きを返す。
「たまには外に行かないかなって」
「俺と?」
「当たり前でしょ」
困ったように眉を下げる京が窓の外を見る。夏休み真っ只中を、耳障りな虫の響きと、燃え上がるような暑さが駆け巡る。外を歩く人が、汗をタオルで拭っては、カバンからペットボトルを出す。一方俺は、先程京が食べていた食器を洗っている所だった。
外に出ないで家の中で引きこもってる俺に、海に行かないかと誘われたのはいまさっきのこと。
「海泳ぎたくない?俺ちょっと焼けたいんだよね」
こんがり焼き上がりたいらしい京は、海に行こうと何度も迫ってくる。洗い物を終えるまで、となりで語り続けている。波に揺られて砂浜に打上げるように、灰人の気持ちも少しずつ高ぶってゆく。
「うん、いいよ。海行こ」
「やっぱなしとかいわないでね」
顔の横で強く拳を握り、喜んでいる京が少し不思議だった。自分にとって海は、幼少期の嫌な思い出が詰めこまれている。両親が死んだのも海だった。
「え?」
ぼやっとしか思い出せない両親のシルエットが、水平線の彼方へ消えていく。自分が足場の悪い岩で遊んでいた。なにか大きな悲鳴が聞こえて、両親が飛び込んできた。それから何も覚えてない。でもそれだけ。
大きな目をさらに大きくさせ、こちらをみる京に自分も「え?」と聞き返した。
「どうしたの」
そう問えば、おもちゃを取りあげられたような顔をして、海はやめようと言った。
「な、なんで?行きたいんだよね?」
「いや、いい。やっぱり夏祭りとかどう?」
「いいけど、海はいいの?」
「うん」
なんだか釈然としないまま、夏祭りに行くことが決定してしまった。もしかして口に出ていたんだろうか。両親のことなんてほとんど覚えてないし、別に気にすることでもないのに。それから少しして洋が近づいてくる。海や夏祭りの話を聞いていたのか、会話に混ざってきた。
「僕も行っていい?」
「だめ」
一瞬何を言われたのか分からなかったのか、笑顔で洋は固まる。しかし徐々に頭に入ってきたのか、ゆっくり「なんで?」と聞き返した。
「俺は、灰人と二人で行きたいの」
「......で、でも」
何か言いたげな洋に、京は顔を歪めた。俯く洋には見えなかっただろうが、怒りだしそうな顔が少し怖かった。でも、俺は、不思議と心地よかった。俺と二人で行きたいんだって。洋とじゃなくて、俺と。
「仲間外れにしないでよ......。僕も一緒に遊びたい」
洋が悲しげな表情をすると決まって、叔父さんはコロッと態度を変えた。甘いんじゃないのと、言えない自分は、洋がねだった最新のゲーム機を羨ましげにみていた。欲しいって、俺が言ったら断ったくせに。
「仲間外れとかじゃない。俺は、灰人と付き合ってる」
淡々と事実を述べた京に、ガバッと頭を上げた。混乱する頭の端っこで、京がごめんというかのように笑ったのが見えた気がする。洋に知られた。その事実がのしかかってくる。でも、どこか嬉しくて複雑な気分だった。
「友達なら恋人の間に割り込まないよね?無理についてくることが迷惑ってわかる?」
「つき......あ、え?......灰人と?」
「うん、だからごめんね」
唖然とする洋は、頼りなさげに俺を見た。何を求められているのか分からなくて一瞬混乱するが、部屋の温度が少し下がったように思えるほど、空気が悪いことに気が付かないほど馬鹿でもない。どうやって空気を変えよう。数秒考えた後、俺は、洋に頷きを返す。やっと笑顔になった洋をみて俺は言った。
「先輩、あの、洋がモデルになりたいって」
「え?」
「は?」
京と洋の一言が被る。洋が首を横に振っている。
「だからしょ、んぐっ」
最後の言葉はいつの間にか近くにいた洋によって塞がれた。口を叩くぐらい強く手で防がれ、洋の腕の中に収まる。なかなか離してもらえず、酸欠で涙目になっていた所を、慌てた京が引き離してやっと息ができる。
「夢見、なにやってんの?灰人にあんま引っ付かないでくれる?モデルとかよくわかんねぇけど、俺は馴れ合う気ないよ。お前のことすげぇ嫌いだ。灰人がいいって言うから何も言わないだけで、本当は今すぐにこの家から出て行って欲しいぐらいだから」
こっち来るなと言いだげに、京は俺を抱え、寝室に運ぼうとする。一瞬見えた洋の顔は、今にも人を殺しそうな形相で、俺を射抜く。固まって動けない自分に、彼は「死ね」と静かに口を動かした。
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