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第49話

 「け、京。もういいからおろして」  「んー」  キッチンから連れ出され、自室に向かう途中、生返事をして俺への返事を曖昧に濁す。お姫様抱っこ好きですね、なんて言ったら笑顔で怒られそうで言えない。たまに出る機嫌の悪い京に、戸惑いながらもどこか安堵していた。最後に向けられた視線から隠されているようで。  広いベッドに下ろされ、顔をじっと見られる。  「ちょっと赤くなってる」  「もう大丈夫だし」    口元の近くに手が伸びる。反射的に目を瞑った瞬間、少し冷たい感触が頬を掠めてゆったり撫でられた。  「夢見をこの家に置いとくのはいいよ、もう。1週間だけって言ってたし、すぐ出ていくでしょ。でも、その間だけでもいいから俺ん家おいでよ、お願い」  「でも、洋はどうするんだよ」    朝は弱い、ご飯は京に作ってもらおうとする。全く家事が得意なイメージがない。さらに、ここに洋を1人で置いてけぼりなんて、荒らされそうで怖い。まぁ、荒らされるようなものもないんだけど。  「あんなやつほっておけばいい」  「俺は洋がこの家に一人でいるのは不安だ」  「......あいつの味方するの?」  「味方っていうか、この家も一応大切な家だし、あんまり預けたくないというか、その」  「あぁ、そっち」  ならいいよと、頭を2度3度ポンポンと叩かれ、京は俺の隣に腰掛ける。ベッドが二人分の重さでギシッと音が鳴る。  「俺、さっきなんであんなこと言ったんだろう。怒らせて、洋怒ってた」  「そういやモデルとか言ってたね」  「言わなきゃよかった」  直接、京との間に洋の話を持ち出したくなくて、今まで忘れていたけど、さっき思いついて言ってしまいましたとは言わなかった。京は、まぁいいんじゃないと澄まし顔をしていた。  「俺はモデルは先輩に頼まれてやってるだけ。コネもないし、これからずっとやって行くつもりもない」  「他にやりたいこととか?」  「まぁ、その、医学の方に進めたら......」  珍しく少し躊躇ったように話す。聞かれたくない話を、必死に編み込んでいくように、少しづつ何かを伝えたがっている。  「初めて聞いた」  「似合わないでしょ」  「そんなこと一言もいってない。凄い職業だと思ってる。俺もお世話になったことあるし、京なら、優しい医者になると思う......」    言ってて恥ずかしくなり、語尾が弱くなる。京もそっぽ向いたように、小さくありがとうと呟いた。  「まぁ俺も......かっこいいって思ったからやりたいなと。あー、今の俺はかっこ悪いな」  照れたように頬をポリポリとかきながら、本音を零す。これ以上かっこよくなってどうするんだろうとは思いながらも、今の俺の精神科の先生が京だったらと考えてみた。聴診器を持って、俺に服をあげるようにと妖艶に微笑む姿が目に浮かんできて、慌ててかき消す。どこのエロガキだよ、俺は。  「かっこいいのは分かる」  エロさもあるけど、とは心の中だけで留めておく。ただ、変な妄想をしていることが足枷になって、顔をまともに見れなかった。  「とにかくさ、モデルの云々は俺に手伝えることはないし、灰人を使ってそれを回してくるのも気に入らない。夢見は世間一般的にそういう世界に向いてるのかもしれないけど、それを伝えるつもりもない」  「うん」  ざまぁみろと、毒づいて喜んで、それを隠して京の話を聞いているふりをする。俺ってかなり性格が悪いみたいだ。それでも、洋に同情なんて気持ちは湧かなかった。言いようもない歓喜だけが身体中を巡っている。  「あんまり心配させないでね」  「うん」  喜色を含ませた声音が、京の服を握る。わかった、これが「選ばれた喜び」ってやつだ。そんな高揚感が体を支配する。洋はきっとこれを昔から知っていたんだろう。ずるいとも思う。  それでも、俺は選ばれなかった者の気持ちも分かる。きっと今洋が感じていることも。ドロドロになった嫌な感情が、渦巻いてどこにもぶつけれなくて、さ迷っていることも。

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