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第3話

患者さん、目が覚めましたよ、と担当医師に呼び掛けられ、敏樹はゆっくりと病室に入った。 (うわあっ……) ベッドに横たわる樋口の姿を見て、敏樹は泣きそうになった。腕や脚の様々な部分に分厚く包帯が巻かれていて。軽傷ではなさそうだ。 「……ひぐち、さん?」 呆然と呼び掛けた敏樹の姿を、樋口は上から下までぎくしゃくと見渡すと。ただゆっくりと微笑んだ。 (……う、わあ) また敏樹は泣きそうになった。だがそれは、さっきの哀しみの涙ではなく。樋口はこうして、敏樹に優しく笑う事が出来るんだ、という安堵の涙だった。 「きみの顔を見て、やっと安心出来た……ありがとう、わざわざ来てくれて」 そんな樋口の言葉に、敏樹は大きく首を横に振った。 「自分は……自分から来たんです。怪我した樋口さんの事考えると、家に居られなくて」 すると樋口はまた微笑んだ。その笑顔に、敏樹も安心出来たので、樋口と少し会話を交わすと、「また明日来ます」と告げて、終電前に病院を出た。 翌日、敏樹はまた樋口の見舞いに行った。今度は栄養ドリンクや、樋口の好きそうな菓子を持って。 病室のドアを開けようとしたら、 「それじゃあ、自動車部品の発注は……でやればいいんですね?」 「うん。そして届いたら……しておいて下さい」 室内から聞こえた樋口と女性の会話に、敏樹の脚が止まった。あの明るい声は、一番最初に敏樹と電話で対応してくれたひとか? しばらくの会話の後、 「ありがとうございました、樋口さん。では、お大事にー」 ガチャッとドアが開き。出て来た小柄な女性は、立ち聞きしていた敏樹と鉢合わせた。やっぱりそうだ、久米谷さん、とか呼ばれてたっけ。 (うっ、こういう場合、なんて挨拶すれば良いのか) 固まった敏樹をしばらく観察した久米谷は、軽く会釈をして去って行った。 敏樹が病室に入ると、また樋口は微笑んで迎えてくれたから。ベッドの隣に椅子を置くと、布団の上に掌を乗せて、敏樹は喋り始めた。 「稲盛さんは、人事担当、って言ってましたよね?」 頷いた樋口に、敏樹は質問を重ねる。 「じゃあ、さっき話してた女の人は? 事務の人ですか?」 「あぁ、久米谷さん? 彼女は販売員をやってくれてる」 へぇ、売る側なんだ。それにしては、会話の時間が長かったよな。ペーパードライバーの敏樹には全く理解出来ない、クルマの話。 「難しい話が聞こえたけど、樋口さんも販売業務してるんですか?」 「彼女が整備士の資格を目指してるから、自分に色々と訊いてくるんだ」 「女の人なのに?」 意外性に驚いた。力を使う男性の仕事、というイメージがあったから。 「女性も結構活躍してるよ。機械に頼れる様になってきたし、車が好きなら男女問わない仕事になってる」 「ふぅん……整備士仲間になるのか……」 ぶつぶつ呟く敏樹に、樋口は首を傾げる。 「ずいぶん気にしてるけど……さっき会った時、なにか言われたの?」 (現在の自分の感情を真っ直ぐに伝えたら、このひとはどんな反応をするだろう?) そんな疑問から、樋口から視線をすっと逸らして、敏樹は口を開いた。 「樋口さんと話が弾んでた可愛らしい女性(ひと)に、嫉妬しただけです」 はっきりと応えると、樋口は一瞬きょとんとしたが。あははっ、と声を上げて笑い出した。 「さっきのは仕事の話だから、彼女としか出来ない」 そして突然、そっぽを向いたままの敏樹の手が、ぎゅっ、と握られた。樋口の硬い手の感触に驚く。 「こういう事は、きみとしか出来ないけど」 敏樹の手を握るために、包帯を巻いた腕を少し伸ばして、樋口はにこにこと微笑んでいる。なんだろう、いつもより敏樹に甘えてくるな。怪我人だからかな?

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