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第1―2話

羽鳥は暫くその場から動けなかった。 柳瀬の言った言葉がグルグルと頭の中を駆け巡る。 そしてぬるくなったコーヒを流し込んで、ふと思った。 なぜ吉野だけではなく、柳瀬がわざわざ来たんだろう? 23日に柳瀬を含めアシスタント達と忘年会を兼ねてクリスマスパーティーをする。 それだけの話なら吉野一人で充分な筈だ。 羽鳥は空になったコーヒーカップを意味も無く見つめていたが、答えは思いつかなかった。 それからも吉野は羽鳥に会おうとしなかった。 仕事のメールやファックスはきちんと返ってくるが、電話は嫌がる。 それに羽鳥が会いたいということを少しでも匂わすと、その日は無理だと即答してくる。 理由を聞いても、ごにょごにょと埒の明かない言い訳を繰り返す。 吉野は素直で裏表が無く嘘が付けない性格だと羽鳥は充分過ぎる程理解しているから、羽鳥は怒るというより、吉野に何か自分に隠さなければならない事情が出来たのではないかと心配した。 そんな心配が頂点に達した頃、羽鳥は合鍵を使って吉野のマンションを訪ねた。 今までだって何の前触れも無く、吉野の家を訪ねたことは何十回とある。 吉野がそれを気にしたことなど、全くと言っていい程無かった。 今までは。 だが、その日の吉野は違った。 ソファに寝っ転がって漫画を読んでいた吉野は、羽鳥を見ると弾かれたように立ち上がった。 吉野の手から落ちた漫画が、ローテーブルにぶつかってカタンと乾いた音を立てる。 吉野は床を見ながら「何の用?」と小さく言った。 羽鳥の胸に痛みが走る。 それでも何でも無いようにスーパーの袋をちょっと掲げると 「メシは食ったか? 今、作ってやるから」 と言ってキッチンに向かった。 吉野が慌てて追い掛けてくる。 「いいよトリ!メシならちゃんと食ってる」 羽鳥は笑いながら袋から食材を取り出した。 「そんなこと言ってカップラーメンかコンビニの弁当か出前だろ? お前の好きなものを作ってやるから大人しく待ってろ」 羽鳥が冷蔵庫を開ける。 「トリ!本当にいいから!」 吉野が羽鳥の腕を掴む。 羽鳥は我が目を疑った。 冷蔵庫の中には作り置きのおかずが整然と並んでいる。 羽鳥は震える手でタッパーをひとつ取り出した。 なぜ手が震えるのか、羽鳥にも分からない。 蓋を開ける。 中には吉野の大好物の手羽先の甘辛煮が入っていた。 出汁巻き卵まである。 衝動的に出汁巻き卵を一切れ手づかみで食べてみた。 羽鳥の料理には程遠いが、吉野の好みの味付けだった。 羽鳥は次々とタッパーを開けた。 見事に吉野の好物ばかりだ。 羽鳥はタッパーを冷蔵庫に戻すと吉野を見た。 吉野はバツが悪そうに横を向いている。 「吉野。これはどうした?」 「……」 「誰に作ってもらったんだ?」 「……」 「吉野!」 思わず声を荒らげた時、羽鳥の頭に何かが過ぎった。 ソファに寝っ転がって漫画を読んでいた吉野の向かいのソファにあった物。 羽鳥はリビングに走った。 そこには綺麗に畳まれた洗濯物がある。 吉野の畳み方では無いのは一目で分かる。 今更気付いたことだが、部屋も整理整頓されている。 丁寧に掃除をしたことは明白だ。 「トリ…あの…」 吉野が羽鳥を見上げている。 その大きな瞳は戸惑いで揺れている。 羽鳥は何も言わず、一人寝室に向かった。 吉野が諦めたようにため息をつく。 羽鳥はそんな吉野に苛つきながら、寝室のドアを開ける。 その瞬間、花の香りが漂う。 羽鳥が照明のスイッチを押す。 出窓にオアシスに飾られた色とりどりの大きな薔薇の花束が飾られていた。 オアシスの部分には金色のリボン。 両サイドにはポインセチアの鉢植え。 まさにクリスマスを演出している。 吉野は少女漫画家のせいか、かわいい物が好きだ。 けれどプレゼントされた花には喜んでも、自ら花束を購入する程では無い。 しかもこんな、いかにもクリスマスですと言うような豪華な花を。 「トリ…」 吉野が羽鳥を呼ぶ声は小さい。 だがその小さな声が羽鳥の胸を締め付ける。 例え、これから、愚にもつかない言い訳を聞かされるとしても。 それが嘘だとしても。 愛しい声に変わりはないのだ。 でも、今は聞けない。 何かが。 羽鳥と吉野の間にある、柔らかくてやさしい何かが壊れてしまったら? ―――自分は立ち直れないだろう。 羽鳥は踵を返すと、足早に玄関に向かった。 「トリ、待てよ! 待って!」 羽鳥は一度も振り返ること無く、吉野の家を後にした。

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