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第1―3話
羽鳥は自宅マンションまで走った。
歩いても吉野のマンションからは10分の距離だ。
それでも走らずにはいられなかった。
エントランスを通り抜け、エレベーターを横目に見ながら、階段をかけ登る。
息を切らせて玄関の扉を開け、乱暴に革靴を脱ぐと、リビングに入った途端、ビジネスバッグを床に叩き付けた。
スーツのジャケットを脱ぎソファの背もたれにかけると、ソファに倒れ込むように座りネクタイを緩めた。
ふと、吉野の照れた顔が頭に浮かぶ。
吉野が、羽鳥がネクタイを締めたり緩めたりする仕草が好きだと教えてくれた、あの日の。
俺は裸の吉野を抱きしめて、おでこにキスしたんだっけ…
羽鳥は両手で顔を覆うと、乾いた笑いが出た。
そんな吉野が自分では無い誰かに世話をされている。
そしてそれを隠していた。
羽鳥が今日強引に訪ねて行かなければ、隠し通すつもりだったのかもしれない。
スマホがメールの着信を知らせる。
羽鳥はノロノロと床に転がったビジネスバッグからスマホを取り出す。
相手は吉野だった。
タイトルは『トリ、ごめん』
『事情があって今優に家のことやってもらってるんだ。
それと寝室の花は、クリスマスパーティーの日にアシの子達がオールしたいって言ってて、でもやっぱり眠くなったりするだろ?
俺はアシの子達は女の子だから泊めない主義なんだけど、みんなが凄く楽しみにしてるから断れなくて。
だから鍵の掛かる寝室で寝てもらうことにしたんだ。
そしたら優がせっかくやるなら徹底的にクリスマスぽく飾ってやれば?っ言って、試しに飾ってみたんだ。
ただそれだけだから!』
羽鳥はため息をついてスマホをソファに放った。
吉野のメールには肝心なことが書かれていない。
なぜ、柳瀬に家のことをやってもらっているのか。
そしてチリチリと胸の奥を焦がす疑問。
なぜクリスマスパーティーをやると自分に告げた日にまで柳瀬がいたのか?
羽鳥はスマホを手に取ると、吉野からのメールを再び読んだ。
肝心のことが抜けていても、吉野が必死に羽鳥の誤解を解こうとメールを打ったのが分かる。
これ以上、吉野を問い詰めることなんてしたくない。
だとしたら、方法はひとつだ。
羽鳥は電話帳をタップした。
会って話しがしたいと羽鳥が言うと、柳瀬は面倒くさそうに「俺は無いけど?」と言った。
だがそれはいつもの柳瀬の態度なので、羽鳥は気にすること無く「吉野のことで話がある」と続けた。
柳瀬はため息をひとつ吐くと、今アシに来ている現場の入稿が明日の朝だから、明日その先生の仕事場近くのカフェまで来いと言った。
「1分でも遅れて来たら俺は帰るからな」
羽鳥は無論遅刻する気は無いが、一応30分前にはカフェに来ていた。
柳瀬は時間ピッタリにやって来た。
色白の顔にクッキリとしたクマを作って、不機嫌そうに羽鳥の前に座る。
柳瀬の注文したコーヒーが運ばれてくると、羽鳥が口を開いた。
「どうしてお前が吉野の身の周りの世話をしてるんだ?
食事まで作って」
柳瀬はアーモンド型の猫のような瞳でジロっと羽鳥を見た。
「事情があんだよ」
「その事情を教えて欲しい」
「千秋に聞きゃいいだろ」
「吉野は話したくないらしい」
「そうだよ」
柳瀬がコーヒーカップを持ち上げる。
「千秋はお前に知られたくないんだよ」
「柳瀬、頼む」
羽鳥がテーブルに手を付いて頭を下げる。
カフェの客達が何事かと二人を見る。
柳瀬はそんな視線に動じること無く、コーヒーを一口飲むと、羽鳥の下げられた頭の天辺に向かって言った。
「千秋、この前の入稿の後、倒れたんだ」
羽鳥がガバっと頭を上げる。
「俺が救急車呼んで病院まで付き添った。
過労と栄養失調と風邪で、千秋が嫌がるから入院はしないで処置だけしてもらって帰って来た。
今も貧血の薬を飲んでる。
だから俺が千秋の世話をしてる。
千秋は遠慮してたけど、せめて身体が元通りになるまでは、放っておけないだろ?」
「そんな…。
何で俺に言ってくれなかったんだ…」
羽鳥が呆然と呟く。
「お前ってホント察し悪りぃな。
どうでもいいことはグチグチうるせーくせに」
柳瀬が羽鳥の顔にビシっと指をさす。
「お前、他の担当の先生がデッドだったんだろ?
だから千秋はお前に気を使ったんだよ!
お前の負担にならないように!
それくらい分かれ、馬鹿」
「だが今はもう…」
「だからー」
柳瀬がイライラと言う。
「今から話したらお前が今みたいに何だかんだうるせーだろ?
お前のことだからガミガミ説教でもするか、話さなかった千秋を責めるんじゃねーの?
そういうのって今の千秋には良くないんだよ。
精神的なことが肉体面にも現れる。
だから俺が止めたんだよ。
元気になってから話しても遅くないって」
柳瀬が立ち上がる。
「もういいよな?」
「柳瀬、もうひとついいか?」
柳瀬は大仰に顔をしかめる。
「何だよ?」
「アシの子達とのクリスマスパーティーの話をした時、どうしてお前が一緒に来たんだ?」
柳瀬は一瞬キョトンとした顔をすると、次の瞬間笑い出した。
「俺に言わせりゃ、ホントお前って何様なのかってハナシだよ」
「柳瀬…?」
「千秋はな、お前が怖いんだよ」
羽鳥が目を見開き、息を呑む。
「お前と二人で話したら、どうしたってお前に丸め込まれるだろ。
そしたらお前が参加して、せっかくのパーティーが台無しになっちまう」
柳瀬はそれだけ言うとコーヒー代をテーブルに置き、店を出て行った。
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