3 / 6
21-30
壱と話をしたあの日から数日後、渋基からハイテンションなラインが届いた。
「報告します! 壱夜からOKの返事をもらいました!」
正直、壱夜が渋基を受け入れるとは、思ってなかった。何処かで、あそこまで言ったとしても、壱は断ると、俺を好きでいてくれると、自分に自惚れていたんだ。自分自身で、渋基を勧めたのに。あの時、壱に言った言葉を、今更後悔している。俺以外の誰かと、壱が幸せになれる事を望んていたはずなのに、実際にそうなると悔しくてたまらない。
でも、俺では絶対にダメなんだ。それが判っているだけに、本気で悔しい。
「あ、れいっ」
学校の廊下で壱が声を掛けてくる。でも、俺はそれに気付かないフリをして通り過ぎた。今の状態、壱の顔を見る事が出来ない。その数日間も壱は俺に声を掛けようとしてきたが、俺は壱に気付かないフリをし続けた。壱の口から直接、渋基と付き合う事になったと聞きたくなかったのかもしれない。
そんな日を続けていると、さすがの壱も俺に声を掛ける事をしなくなっていた。もちろん、俺の部屋にくることもなくなり、俺は壱の存在を、隣合わせになっている窓を眺める事で確かめるようになった。夜、カーテンから微かに漏れている壱の部屋の光で、壱が居る事を確かめる事が多くなった。
こんなにも長く、壱と話さなかった事は、小学生から一度もなかったかもしれない。俺は部屋で一人、未だ捨てられずにいるサッカーボールを裸足の足の裏で、その皮質を確かめるようにベットに腰を下ろし触りながら転がしていた。使っているうちに何度もダメになれば、買い替えてきたサッカーボールも、この五代目になったボールが最後になっていた。受験の時にチームを休会してから、ほとんど触る事が出来なかったサッカーボール。俺はそれを見て、ちょっとくらいなら大丈夫だろうと思い、手に持ち部屋を出た。
「あ」
「……」
何も考えてなかった。少しだけ公園でリフティングでもしようと思ったら、まさか、公園に向かう為、玄関を出たら、隣の家の玄関が開くなんて想像もしてなかった。サッカーボールを手にしたままで、俺は壱と目を合わせていた。
―21―
「渋基にサッカー飽きたって言ったくせに、嘘じゃん」
「たまに蹴ってるだけだって」
結局、壱と見事に目が合ってしまったから、さすがに無視は出来なくて。ましてや、俺の手にはサッカーボールが存在していたわけで……。壱は驚いたように、目を見開いたけど、すぐに笑みを浮かべて俺の元に駆け寄ってきた。どこ行くんだ? の連呼で、手に持ってるサッカーボールで、下手な言い訳は通用せずに、今に至る。
「のわりに、コントロールまだまだ抜群だな」
近所の公園に歩いて向かうと、それに壱は付いて来た。絶対に一緒にやると言って、俺から離れる事はなかった。夕暮れ時、この公園はこの時間になると、遊んでいた小学生達も自宅に帰る。小さい広場があって、数個遊具がある程度の公園。他に人が居ない中、俺らは二人、パス練習をしていた。昔、こうやって、たまにやってることがあったのを思い出す。
「そんな事ねーよ、壱夜だって足元にボールちゃんと来てるし」
パス練習というよりも、お互いでボールの蹴り合い。ただ蹴り合ってるだけだから、壱の足もとにボールはいき、壱の蹴ったボールは俺の足もとに戻ってくる。二、三歩、歩くだけでも蹴り合いをしているのが可能だった。
「……またやりたいな、零とサッカー……」
壱はボールを蹴りながらも、目は真っ直ぐに俺を見ていて、小さい声でそう切なげに呟いた。
「…………壱夜」
「え?」
ボールを足で止めて、俺は壱に声を掛けた。
「ちょっと、そろそろ休憩しないか」
「あ、うん」
目線は公園の端に並べられているベンチへと向けて。
―22―
公園に設置してある自販機に向かい、俺は2本スポーツドリンクを買った。1本のスポーツドリンクの蓋を開けて、それを飲み、喉を潤し、その場で俺は目を瞑った。両手にスポーツドリンクを手にしたまま、深く呼吸を整えた。
「壱夜……、はい」
俺は壱の元に戻ると、開けてない方のスポーツドリンクの缶を壱に差し出す。ベンチに座って待っていた壱は、驚いたような表情を浮かべて、俺を見上げていた。
「ん、ってなんで急に壱夜って呼んでんの?」
”壱夜”と呼んだ事に驚いたようだった。壱はスポーツドリンクを受け取りながら、問い掛けてきた。その隣に腰を下ろしながら、俺はその問いに答える。
「ん? いつまでもガキじゃないし」
「それだけ?」
「別に深い意味はない」
”壱”という呼び方は、俺しかしていない。昔からそう呼んでいて、それをなんとなく特別に感じていた。特別なままじゃ、いけないような気がした。壱と距離を置いていても、俺が特別に思っていては、何も変わらないと思った。深い意味がない、そんな事はない。
「なら、いいけど、……なんか寂しい」
壱は俺の言葉を聞いて、眉を下げていたが、俺はそれに気付かないフリをした。壱が言った最後の方の言葉も、小さかったけど、俺の耳にはちゃんと届いていた。その言葉は不謹慎でも、俺は嬉しく思ってしまった。
「渋基と仲良くやってんのか?」
「うん……、優しいよ」
「そっか、良かったな」
「……ん」
俺から渋基の話題を出すと、壱は目を伏せて答えていた。壱の口からその事実を聞きたくないと思っていたのに、さっきの寂しいって言葉で、俺は気持ちに余裕が出来ていたのだろうか、自分から聞いてしまうなんて……。ただ、壱の表情は曇ったままだった。
「帰ろうか」
「……ん」
―23―
壱とほとんど顔を合わせる事がなくなって、季節は夏へとなっていた。夏になるとサッカーの大会が増える。あの今年は一緒に全国大会に行こうと約束した大会も、もう県大会予選は始まっているはずだ。試合続きで、壱は忙しくなったのだろう、それが余計に顔を合わせない原因になっていたのかもしれない。この時期は、チームの方の練習も増えただろうし。
「零! 零! 複女と合コン行かないか!」
残りわずかで夏休みを迎えるある日、クラスメイトの仁志は突如そんな事を言い出した。複女とは複橋女子高等学校、那智川高校のすぐ近くに位置している女子高だ。同じ市内だから、最寄り駅も一緒で、登下校時、そこの制服を着ている子を見掛ける事はよくある。
「は? 突然過ぎるだろ」
「いやー……、複女に知り合い居るんだけどさ……、零の事知ってる子が居てだな」
「複女に知り合い居ないけど」
「お前サッカーで結構有名なんだな、中学時代」
「あぁー……」
チームの練習試合とか、公式の試合とか、よく観戦しに来ている同年代の女子がいた事を思い出す。うちのチームは県内でもベスト4に入るチームだったから、自然とレギュラー陣にはファンがついてたっけ。キーパーはそんなに目立つ事はないのに、何故か渋基は一番ファンが付いてたけどな。ルックスか……。試合終わった後のプレゼント攻撃とか、渋基が一番多かったな。トップだったから、俺も壱もわりかし貰った方だったけど。
「零連れて来てくれるなら、合コンするっていうからさー」
なんだ、その条件は……。仁志の周りには、その合コンに参加するのであろうメンバー、仁志含めて総勢5人。5人全員から期待の眼差しが送られる。合コンが開催出来るか、出来ないかが、俺の返答に決まってくるという事か。
「参加するだけだぞ……、その後どうのとかなしだからな」
「俺はそれでも全然かまいませーん!」
「……仁志、最低だな」
俺の返答を聞けば、仁志は早速と、スマホを操作し始める。その指の動きは軽快で、きっと複女の子へと参加の報告をしているのであろう。
「その後はその子の頑張り次第だろ、俺がどうこう出来る事じゃない」
「まあ、そうだけど」
「今週の日曜日、予定開けといてなー!」
合コンか……、気晴らしくらいにはなるか。
―24―
合コン当日の日曜日。軽く食事をした後、カラオケをし、皆、盛り上がって、まあ、楽しくなかったわけじゃないけど。そのまま解散すると思いきや。
「…………」
結局、こうなるのかよ。俺は例の女の子を預けられてしまった。カラオケをして、終わった頃にはもう夜の8時が過ぎていて、辺りは暗くなっていた。この子だけ帰り道が一人になるからと言って、俺に送って行けと、豪語してくる女子集団の勢いは物凄いものだった。帰り道が一人とかいうのは、絶対嘘なのは判り切っていたけど、断れなかった。女の団結力ってこえー。
「な、なんか、皆、強引でごめんなさい」
「美郷 ちゃんが悪いわけじゃないし、大丈夫、家まで送るよ」
この子は今日一日話してて思ったけど、結構内気な性格みたいで、他の女子が送って行けと豪語している時も、一人大丈夫だと言い続けていた。今も凄く申し訳ないといった表情を浮かべている。
「あ、ありがとう」
「こっち?」
「う、うん」
とりあえず、家の方角は聞いていたから、そちらの方向へと足を向ける。美郷ちゃんに確認をしながら足を進めるが、美郷ちゃんは俺の一歩後ろを付いてきている。近くまで来たら、家がどこか判らないから美郷ちゃんに振り向き目線を向けると、顔を赤らめて俺に問い掛けてきた。
「あ、あの」
「ん?」
「ラインとか……交換出来たりする?」
「……あー、うん、いいよ」
俺が返事をすれば、美郷ちゃんは漸く、俺の隣へと歩み寄って来てくれた。隣に来たのを確認すれば、俺はズボンのポケットからスマホを取り出して、ラインのアプリを開く。
「はい」
「ありがとう!」
ラインの交換画面を美郷ちゃんに向けて見せると、美郷ちゃんは嬉しそうに自身のスマホを操作し始めた。その操作しているところを見ていると、何処かからか俺は誰かの視線を感じて、辺りを見渡した。
そういえば、この辺りはチームの練習場の近くだったことを思い出す。その視線の先には、練習の帰りであるのだろう、サッカーの練習着を身に纏い、大きいサッカーバックを肩に下げ、ネットに入ったサッカーボールを持って、こちらを見ている壱夜の姿が目に入ってきた。
壱夜はずっと、俺を見て立ち尽くしていた。
―25―
「…………」
目線を向けた先には、壱が俺の方をジッと見て立っていた。俺がそれに気付いて、壱の方を見ると、目線は間違いなく絡まった。それでも壱は目線を外さずにずっと見て来ていた。俺も何故かその目線から離す事が出来なかった。
「零くん……?」
俺がずっと、遠くを見て黙ったままだったから、美郷ちゃんは不思議に思ったのか声を掛けられる。美郷ちゃんの声が耳に届き、俺は慌てて美郷ちゃんへと目線を移した。
「あ、ごめん、俺のいった?」
「うん、来たよ、ありがとう」
ラインの交換は済んでいたみたいで、俺は美郷ちゃんに向けていたスマホを自身へと戻す。ラインの画面で交換が済んでいるのを確認しては、俺はスマホをズボンのポケットへと仕舞い込んだ。ふと、壱が居た方角へと目線を向けると、そこにはもう既に壱の姿はなかった。
暫く、俺達は歩き続けた。美郷ちゃんの家なんて、もちろん今日会ったばっかで判らないから、美郷ちゃんに確認を取りながら、俺は言われるままに歩き続けていた。美郷ちゃんは、道案内をしながらも、俺より一歩後ろを付いてくる。
「もう、すぐそこだから、ここでいいよ」
歩き続けていると、一つの曲がり角にぶつかり、また確認しようと美郷ちゃんに目線を向ければ、美郷ちゃんはそう言葉を発しながら、俺の隣へ立ち止まった。
「あ、そう? 大丈夫?」
「うん、送ってくれてありがとう」
「どういたしまして」
笑みを浮かべ美郷ちゃんは、お礼の言葉を述べてくる。その笑顔につられ、俺も頬を緩めて答えていた。
「連絡……してもいい?」
「……うん、いいよ」
「ありがとう、またね」
「はい、また」
そう言葉を交わしたあと、美郷ちゃんは自宅だろう方向に歩み始めた。俺は美郷ちゃんの姿が見えなくなるのを確認すれば、来た道を戻り始める。自宅へと歩き続けていると、スマホから通知音が耳に届き、俺は歩きながら、スマホを取り出した。
「送ってくれてありがとう。今度、一緒にどこか行きませんか?」
通知の相手は、今別れた美郷ちゃんからのものだった。
―26―
「美郷ちゃんとあれからどうなった?」
次の日の月曜日、学校に向かい、朝、教室に入ると、仁志が俺の肩を組み教室の端へと連れてこられれば、そう問い掛けてきた。
「…………約束が違うんだけど」
俺はそんな仁志を睨みつけながら言葉を投げ捨てた。
「何の事??」
「どう考えても仕組まれてたじゃねーか」
あの送って行けと豪語してきた女の集団はまだ許せるが、そうなる事を判っていたかのように気にしてない様子で、他の子と話で盛り上がっていた仁志は別だ。俺が抗議の言葉を発したにも関わらず、仁志は誤魔化そうと話題を逸らす。
「まあまあ、でどんな感じ?」
「ラインで連絡来るだけ」
「あんな、好き好きオーラ出してんだから答えてやればいいのに」
「なんだその好き好きオーラって……」
仁志に合わせていると、自分がおかしくなりそうで、俺は肩を組んでいた仁志の腕を払うように腕を叩き下ろした。
「ちょっとぐらい付き合ってやればいいのに、デートとかだけでもさー」
「その気ないのに、期待持たせてどうすんだよ」
「零くんは真面目ですねー」
「……うるさい」
授業の合間の休憩になるたびに、仁志は美郷ちゃんについて何かしらを聞きたいのか、しつこいほど質問が繰り返された。きっと複女のあの時、合コンに参加していたうちの一人にでも、俺の反応を確認するように言われているのだろう……。その日の放課後、美郷ちゃんから二度目のラインが届いた。
下校しながら、なんとなく、俺は美郷ちゃんとのラインでの話を続けていた。自宅に着いても、ラインでの会話は途絶えることがなく、美郷ちゃんからの繰り返される質問に俺はただ答えていた。サッカーチームでの俺を知っているという事は、チームを辞めた事も知っているはず、なんで辞めたのか、いつ聞かれるのかと思っていたが、一切サッカーに対しての質問がなかった事に俺は安堵していた。
しばらく、会話を続けていると、今週の土曜日に映画に行かないかとの誘いのメッセージが届く、きっと、これが今日ラインを送って来た理由なのだろう。そのメッセージを目にしたまま、俺は今日仁志が、一回くらいと言っていた事を思い出していた。今度の土曜日は、確か…………、チームは試合が入っていたはず。今度は壱夜と鉢合わせしなくて済む。そう思って、俺はなんでか誘いを受けていた。
―27―
「零……」
試合じゃなかったのか……。土曜日、映画を見終えて、時間が余ったので、俺と美郷ちゃんは一緒に買い物をしようという話になり、映画館の近くのデパートへと向かった。デパートの店を回っていると、スポーツ店の前に壱が何故か居た。試合だと思っていたら、試合ではなかったらしい……。俺が最初にもらっていた年間予定表から変更になったのだろう。
「……?」
「……壱夜」
美郷ちゃんは、壱が驚いて表情を浮かべているもんだから、俺と壱の顔を交互に見比べながら不思議そうに見配らせていた。
「零なに? デート?」
スポーツ店で買い物を終えたのであろう、渋基が戻ってくると、渋基は俺達の状況を目にしてそう問い掛けてきた。
「…………」
デートと言えば、デートである。ただ、それを認めてしまうのは、何処かで壱に悪いと思っている俺が居て、返事を返せないでいた。
「あ、高橋くんと暮井くん?」
口籠っていると美郷ちゃんは二人を見て、思い出したのか確認するように二人に問い掛けた。
「え?」
「なんで知ってんの?」
突然名前を確認された二人は驚いたように目を瞬かせ、問い返していた。チームで俺を知ったという事は、自然と、壱と渋基の存在も知っているのは、当たり前と言えば当たり前ではある。
「チームの試合よく見に行ってたから」
「なるほど……、ということは零のファン?」
「え……、ん」
渋基の問い掛けられると、美郷ちゃんは照れたように、はにかんだ笑顔を浮かべては素直に頷いていた。そんな様子を見ていた壱は、俺に目線を向けていた。何処か睨んでいるような表情だった。きっと、心の中で俺を攻めているのだろう……。
「彼女だよ、デート中だから邪魔しないでくれる?」
俺は壱から目線を逸らして、そう言葉を発していた。
「え?」
「行こう、美郷ちゃん」
俺の言った言葉に美郷ちゃんは驚いて、声を出していたが、俺は構わずに美郷ちゃんの手を握り、その場を離れ歩き出した。
―28―
デパートの一角で、休憩するために設けられている施設。施設と言えるほどの広さでもないが、数十人は腰を掛ける事が出来るように椅子が備え付けられている。俺はそこまで美郷ちゃんの手を握ったまま歩き続けた。
その場所に着くと美郷ちゃんの手を離して、俺は空いていたその椅子に腰を下ろす。腰を下ろすと、美郷ちゃんは黙って俺の隣に座っていた。
「……零くん?」
「えっと……、ごめん」
「うん」
俺は彼女でもないのに、壱達に彼女だと言ってしまった事を詫びたく、謝罪の言葉を述べていた。ただ、ごめんと口にしただけなのに、美郷ちゃんには伝わったみたいで、短く言葉を返された。
「……ごめん」
「うん、大丈夫」
美郷ちゃんにはっきりと告白をされたわけではないにしても、最初から俺に好意を持っているのは、知らされている。それなのに、俺はあまりにも申し訳ない事をしてしまった事に、再び言葉を漏らしてしまった。
俺は壱が好き……、壱以外の人というのは考える事が出来ない。誰かと付き合える機会があったとしても、俺は壱とさえ付き合う権利なんてないのに。他の人なんてもってのほかで……。それなのに彼女って言ってしまった事に、罪悪感が込み上げる。
それでも、美郷ちゃんは黙って俺の傍に居てくれた。壱の事を好きでなかったら、俺はこういう子が好きになっていたのだろうか……。そう思わずにはいられなかったけど、好きな壱を受け入れる事も、美郷ちゃんの気持ちを受け入れる事も、俺には出来ない。そんな身勝手な事なんて出来やしない。
「ごめん」
何度謝っても、罪悪感は拭い去れなかった。美郷ちゃんがもう気にしなくていいって微笑みかけてくれているのに、拭い去れることが出来なかった。
―29―
その日、俺は自宅に帰り、自分の部屋のベットで、横になっていた。ただ何も考えられずに、仰向けになり、視界には自室の天井が広がっていた。部屋で音楽を掛けている事が多いが、そんな気分にもなれずに、俺は静まり返っている部屋の中、ただその天井を見ていた。
しばらくそのままで居ると、窓に何かをぶつけられる音が耳に入る。その音がする窓は、壱の部屋の窓との隣り合わせの方の窓。カーテンを開けると、そこには壱の姿があった。窓を開けて声を掛ける。
「なにしてるんだ、壱夜」
「……いつの間に彼女出来たんだ」
今日の事を、確かめたく壱はこの行動に出ていたみたいだった。何をぶつけていたのかと思って、窓から外を見下ろすと、丸められた紙らしきものが、数個落ちていた。もう夜だけど、白い紙を丸めたみたいで、暗くてもそれを確認することが出来た。
「教える必要あるのか?」
「幼馴染じゃん」
「……壱夜だって、渋基とデートしてたんだろ?」
あの時、二人で居た事こそ、デートで間違いない。二人は付き合っているのだから、よくあんな風に一緒に買い物に出かけているのだろう。あの時美郷ちゃんを彼女だと言ってしまったのは、二人に対抗しての事もあった。自分から付き合うように勧めたのに、自分に嫌気がさす。
「…………別れた」
「え?」
でも、壱の口からは、思いもよらない言葉が発せられて、俺は思わず問い返していた。
「俺、自分に嘘付けないから」
「…………」
「どんなに零が俺を避けたって、もう自分に嘘付くの辞めたから」
壱は真っ直ぐに俺の目を見て、そう決意したように言葉を繋げていた。自分から勧めたくせに、別れたと聞けば、渋基には悪いが、心は躍った。嬉しいという感情が込み上げてくる。
「……壱」
俺は窓から落ちない程度に身を乗り出して、壱の腕を掴んだ。壱は俺の行動に驚き、瞼を瞬かせていた。
「え? ……ん」
驚き瞬かせている隙に、俺は壱の唇に俺の唇を重ねた。ただ、触れるだけのキスだった。
:
「おやすみ」
唇を離して、俺は一言そう告げ、窓とカーテンを閉めた。閉めた後、壱の部屋から、窓に頭か何かをぶつけたであろう音が響いていた。
―30―
ともだちにシェアしよう!