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11-20

 その年の春、俺達は高校生になった。俺と壱は那智川高校、渋基は鳥江西高校にそれぞれ入学し、一週間が過ぎていた。部活もまだ仮入部期間で、放課後は皆、どの部活に入るのか見学をして回る。高校生活も慣れ始めて、サッカーチームの方の休会も解除をし、今日は解除後、初のチーム練習の日。部活見学には行かずに、俺も壱も早々に帰宅した。  練習の集合時間にはまだ早く、チームメイトも数人しか来ていない。チームの練習場は外に二面のコートと、体育館が設置されている。そこで練習試合をする事もあり、設備はしっかりしていた。シャワー室もあり、その隣には控室、その奥に事務室がある。俺はサッカーチーム事務室に、コーチに告げるべく訪れた。  「すみません、突然こんな事言い出して」 「お前の人材は惜しいけどな、仕方ないさ」 「…………はい」  休会解除しても、ギリギリまで言いたくなくて、俺はこの日、練習再開日に言うことになってしまった。最初コーチは驚いていたけど、説明すれば納得してくれて、その後に、コーチがそう言ってくれた事は、今の自分への励みになった。 「サッカー事態も辞めるのか?」 「はい……」  本当は辞めたくない。それでも辞めなくてはいけない、俺はコーチの問い掛けに、頷き答えることしか出来なかった。 「そうか……、まぁ、見学とかでもいいから、たまには顔出せよ」 「はい、たまになら」  幼い頃からお世話になってきたコーチで、きっと、コーチには俺の気持ちは伝わっていて、いつでも戻ってこいと、チームでの俺の居場所を残してくれている。そんなコーチの気遣いだった。いつまでも、ここでコーチと話していると、辞めたくないと言ってしまいそうになる……、俺は話を切り上げ、コーチに一礼をしては、事務所を出た。  事務所を出て控室の脇を通り、チームの練習場を後にする。外のコートには、準備を済ませている壱の姿が目に入った。フェンスの外から壱の姿を、最後だと目に焼き付けていた。サッカーボールを蹴り、キーパーの居ないゴールへとシュートをしている。腕に付けているアームバンドで、額に噴き出てきた汗を拭う、そんな壱の姿を見るのも最後なんだと思うと、目を離せずに居た。  そのまま見ていると、壱は視線に気付いたのか、俺の方に振り向こうとして、俺は目線が絡み合う前に、身体の向きを変え、帰路へと足を進めた。 「あ、零! え? 何、零? 今日休っ……?」  俺に気付いたのであろう壱の声を背中で聞いたが、それは耳には届いてないフリをして絶対に俺は振り向かなかった。 ―11―  自宅の部屋に帰って来て、俺はそのままベッドに寝転んだ。そこには、いつもと変わらない天井が目に入る。寝返りを打つと、ベットのサイドテーブルにある目覚まし時計が目線を捉えた。その時計の針は、チームの練習が終わる時間を告げていた。終わって片付けて……、壱は帰ってくるだろう……。もうきっと、チームを辞めた事は知っているだろう……。それを知った時、壱はどう思うのか、想像が出来ない。  そんな事を考えていると、時間が過ぎていたらしく、自宅の階段を物凄い勢いで、登ってくる足音が耳に入って来た。その勢いのまま、俺に部屋のドアは解放される。それは、予想通り壱が開け放てていた。俺がチームを辞めた事は聞いたのであろう、壱はムッとした表情を浮かべて、ベットに仰向けで横になっている俺の傍まで歩み寄る。 「なー、チーム辞めたってどういう事?」  ベットの横に立ち止り、俺を見下ろせば、壱は悪態を付くように言葉を漏らしていた。 「ん? そのまま?」  明らかに壱は怒っているのは明白だが、俺はそれに気付いていないフリで、平常を装い壱の質問に答えた。 「そのままじゃねーだろ……、なんで辞めたか聞いてんだけど」 「んーー……」 「サッカー部の方もまだ入部届出してないだろ」  そう、壱はいち早く高校のサッカー部の方にも、入部届を出した事は聞いていたから知っている。でも、俺は出していない、サッカーが出来ないのに出せるわけがなく、でもどこの部活に入っていいのか判らずに、俺の入部届の紙は白紙のままカバンに入っている。 「ああ、そうだっけ?」  俺は横になったままで、目線を天井に向け、壱の顔が見れずにそう答えるしか出来なかった。 「そうだっけじゃねーよ……、え? 零、サッカー辞めるのか?」  俺の態度にもどかしさを感じたのか、壱は俺の寝ているベッドの端に座り、俺への目線は変えずに戸惑ったように問い掛けてくる。俺はそんな壱に目線をずっと送ってしまった。目線が合うと壱は、困惑の表情を浮かべるも、その表情は俺への心配と、今後のサッカーへの不安が入り混じった表情へと変わっていく。俺は壱の表情を目にして、壱の頬に手を伸ばしたくなった。でも、それは出来ない。  壱に触れたい感情を手を拳にして握りしめては抑え込み、俺は毛布に潜り込んで、壱の居る方向とは逆の壁へと身体の向きを変えた。 「……零?」  壁に目線を向けていると、壱の俺の名を呼ぶ声がする。それは不安げな声音だった。 「んーーー、ごめん、今日ちょっと体調悪いからさ……、寝かしてくれない?」 「え……、うん、ごめん」  ごめん壱、俺は具合が悪いわけでもないけど、これ以上サッカーの話を壱とは出来ない。だから、嘘の言葉を口にしてしまった。壱が謝りの言葉を口にすると、部屋の扉が静かに閉まる音を耳にした。 ―12―  朝、いつもの登校する時間よりも一時間前。俺は制服を身にまとい、玄関で鞄を傍らに置いて、運動靴を履く。運動靴……、これはサッカーで履く、トレーニングシューズ。小学生の頃から、普段から履いている。サッカーを辞めたいわけじゃない俺は、このトレシューを履く事だけは辞めれずに居た。トレシューを見ていると、居たたまれない気持ちになるけど、これを履く事まで辞めてしまったら、それは今の自分には耐えられないと思ったからだ。  玄関を出て、隣の壱の家を見上げる、二階の壱の部屋はまだカーテンが閉まったままだった。壱はいつも起きるのは登校時間のギリギリで、もしかしたら未だベットの中かもしれない。俺と壱の部屋は、窓同士が隣り合わせになっていて、夜寝る前に窓越しで話している事も良くあった。試合のあった日の夜なんて、興奮が冷めなくて夜中まで良く話をしていた。  入学してからも、毎日高校へと一緒に登校していたが、俺は壱を迎えに行かずに、高校に向かう為、家を出た。壱を置いて……。 「零、よーっす。来るの早いな」  早く家を出たから、もちろん学校に着くのは早くなり、教室で持て余してしまった時間が過ぎるのを待っていると、クラスメイトの橋浦 仁志(はしうら ひさし)が、教室に入ってくるなり声を掛けてくる。仁志とは高校に、入学してから知り合った。こいつは、凄く人懐っこい性格で、気付いたらこのクラスは仁志中心で賑わっていた。 「なんか、早く来たい気分だったから」 「ふーん、あれ? 今日は高橋一緒じゃないのか?」  自身の席の机に登校鞄を置きながら、仁志は俺の周りを確認すると、そう問い掛けてきた。壱は高校ではクラスが離れた、入学式の日に壱が残念がっていたのも、まだ新しい記憶だ。クラスが離れても登校すると、壱は自分のクラスには行かずに、予鈴まで俺のクラスに居る事が多かったから、仁志とも簡単に仲よくなっていた。 「いつも一緒なわけないだろ」 「結構いつも一緒だったけど……」 「……そんな事ない」 「って言ってるとこで高橋だ」  仁志と話をしていると、いつの間にかHRの時間が迫って来ていて、登校してきた生徒が揃っていた。そんな中、教室の入り口のドアに目線を向けながら仁志は言う。そこには壱の姿が目線を捉えた。壱は不機嫌な表情で、俺を教室の中で見つけると、一直線に壱は向かってきた。 「おい! 零! なんで置いてったんだよ!」 「別に約束してるわけじゃないし」  言われることの想像は出来ていたから、今日は簡単に言葉を返すことは出来た。 「そ……うだけど」 「一人じゃ学校来れない歳でもないだろ」  壱は俺に言われている事が、間違ってはいない事だと言うことが理解できるからか、言葉を詰まらせる。しばらくすると、予鈴が鳴り、HRが開始されることを知らせてくる。壱はそれを耳にすると、教室に設置されているスピーカーに目線を向ければ、慌てたように教室を出ようとする。俺を指差し、告げる事は忘れずに。 「……と、とにかく! 話あるから帰りは待ってろよな!」  嵐のようにきて、嵐のように去って行った壱の背中に目線を送っているも、俺は壱の最後の言葉に頷くことはしなかった。 「……なんで急にそんな邪険にしてんだ?」 「そんなつもりはないけど」  今のやり取りを黙って見ていた仁志は、疑問符を頭に浮かべながら、俺の顔を覗き込み、そう聞いて来た。俺は……、壱と距離を置きたいんだ……。 ―13―  待っていろ、壱は朝に教室で、去り際にそう俺に告げた。でも俺は壱のクラスの帰りのHRが終わるのを待たずに、先に高校を出ていた。自宅に帰り、部屋のベットの布団の中に潜り込み、壱が文句の一つでも言いに来るだろうと思い、寝たふりを決め込んでいた。 「零!! お前いい加減にしろよ!」  案の定、壱は帰宅するなり、俺の部屋に来ては、そう怒鳴った。さすがに、朝も帰りも置いて行ったから、壱の怒りは声音だけで気付くことが出来る。 「…………」 「……あれ? 零?」  壱が部屋に入ってくる頃には、部屋の電気も消して、窓のカーテンも閉めていて、遮光カーテンの効果で、夕方でも部屋の中は真っ暗だった。それでいてベットの毛布を掛け、その中に居る俺が、壱の声に反応しないから、壱は戸惑った声を漏らしていた。 「寝てんの? 零?」  聞こえてくる壱の声の距離から、ベッドの傍に近寄ってくる気配を感じるが、それでも俺は目を瞑ったままでいた。 「零ー? れーいー? ねてんのー?」  壱は俺の肩を掴み、身体を揺らして、俺を起こそうと声を掛けてくる。俺はただ、壱のされるままになったまま、目は開けなかった。俺が起きている事に、気付かれてしまうのではないかと思うくらいの距離で、壱の吐息が俺の顔を掠める。俺の顔を確認しているのだろうか……、その距離で壱の息遣いが耳に届く。 「……なんだよ、もう」  暫く、静まり返っていた部屋に、壱の諦めたような声音のセリフが耳に届いた。その後直ぐに部屋のドアは、開いては閉まる音がした。ゆっくりと薄目を開け、壱が既に居ない事を確認すれば、俺はベッドの上で身体を起こした。 「……はぁ」  自然と小さな溜息が漏れてしまった。壱は気付いているのだろうか……、俺が壱から距離を置こうとしている事に。出来るなら壱に助けを求めたい、でもそれを俺自身が許せないでいた。助けを求めても、壱には何も出来ない事は判っているから、結果、壱を苦しめてしまうと思うから。  距離を置いて、壱の中の俺という存在を消してしまえれば、それが一番いいのかもしれない。 ―14―  仮入部期間も終わり、部活入部は正式なものになった。壱はもちろん、サッカー部にそのまま配属した。大きな大会はチームの方で参加するから、部活の方で参加は出来ないのは判っているが、中学の時もそういうふうに、両方で活動していた。チームが参加しない小さな大会には参加は出来るから。 「…………」  放課後、教室の窓から校庭が見える。俺のクラスの教室からは、サッカー部の練習風景が良く見える位置だった。まだ一年生だからか、壱は校庭の周りを同じ一年生と共に走っていた。コート内には二年生、三年生の先輩達が試合形式の練習をしている。壱は、その風景に何度か目線を送っていた。きっと、サッカーをやりたいって思っているのだろうな……。 「…………」  俺は教室の窓から離れて、自身の席の机を見下ろす。自身の思考を打ち消すように、俺はその机を拳で殴った。殴っても自分の拳が、ただ赤く熱を持つだけだった。おかしな話だけど、俺は殴ってしまった机に対して、申し訳なくなり、ゆっくりと殴った個所を無意識に撫でていた。 「ディフェンス! そこはもっとライン上げてないとだめだろ! キーパーも攻め返された時の為にもっと上がってろ!」  その時、校庭から部活のコーチであろう人の声が、耳に届いて来た。それはサッカー用語の数々で、聞き覚えのある単語が何個も並んでいた。俺は机に手を添えたままで、目を静かに瞑った。するとコーチの言葉が自然に耳に入ってくる、俺の身体はまだサッカーをしたいと感じている。  目を瞑ると、頭の中で試合風景が浮かんできた。いつも壱と点数の取り合いをしていた、俺が壱にパスを回せば、壱はそのまま走りシュートに持ち込む。壱もコート内に居る俺の位置を毎回把握していて、的確にパスを回してくる。そんな日常が、当たり前に過ぎていくと思っていた、あの頃の俺。  ゆっくりと目を開けて、俺はカバンの中を探った。出すことが出来ないでいた、一枚の用紙を取り出す。その紙には、部活名がサッカー、自身の名前を書き示していた、入部届の紙。書くだけで気が済むかと思ったけど、そんなのはその場しのぎにしかならなくて、余計虚しさを感じるだけだった。  その紙をジッと見て、俺はゆっくりと紙を破り、細かく小さくした。俺のあの頃の夢と希望と共に、俺はそれを教室のゴミ箱へと捨てていた。  捨ててしまった紙クズが入っているゴミ箱に、ただ目線を向け見ていると、俺の鞄の中に入れているスマホから、ライン通知を知らせる音が誰も居ない教室に響いていた。 ―15― 「よっ!」 「うっす」  ラインに連絡してきたのは、サッカーチームに一緒に所属していた渋基だった。高校入学してから会うのは、これが初めてかもしれない。チームを辞めてから、連絡をすることもしなくなっていた。 「久しぶりだな」 「まあ……、確かに」  俺らは、駅前のファーストフード店に待ち合わせして、そのままそこに居座った。レジで注文し会計を済ませて、俺らは席に向かう。席に向かい合わせで座れば、徐に渋基は話題を出す。 「なあ……、チーム辞めた上に部活も入ってないって本当か?」 「壱か?」 「他に居ないだろ……、落ち込んでんぞ、壱夜」 「…………」  この話題になるのは予想が出来ていて、俺は仲が良かった渋基に、連絡が出来ないでいたのだろう……。俺は渋基の言葉を耳にし言い返せずに、トレイの上にあるジュースにストローを備え付ける。 「辞めた理由……、俺にも話せない?」 「サッカーに……飽きただけ」 「絶対、うそじゃん」 「嘘じゃない」  俺の様子を伺うように、顔色を見ながら渋基は話掛けてくる。俺の言い分に、納得出来ないと言わんばかりの表情を浮かべながら、渋基は俺の顔をジッと見てくるもんだから、俺はその目線から逃れようと、目線を泳がせてしまった。 「じゃーさ、なんで壱夜避けてんの?」 「そんなつもりないけど」 「壱夜の気のせいだって言うのか?」 「気のせいだろ、家、隣なのにどうやって避けるんだよ」  壱は一体、渋基にどんな相談をしているだろう……、と思うくらいに、最近の俺の行動が、渋基には筒抜けだった。向かいの席に座っている渋基は、段々と身を乗り出しながら問いかけてくる。俺はもう……、なんか、事情聴取されてる気分になっていた。 「学校行くのに置いてかれるって言ってたけど?」 「今じゃ、壱の朝練で俺が置いてかれてるよ」 「……そうだろうけど」  未だ、納得できないと言わんばかりの表情は隠さずに、身を乗り出していたのを辞めて、渋基は椅子の背もたれに寄り掛かった。俺、後はなんか壱に対してやったかな……、と思いながらも、もうこの話題からは離れたくて、俺は渋基に問い掛ける。 「そんな話で呼び出したのか?」 「あ、そうだった、本題!」  俺が問い掛けると、渋基は思い出したように、真剣な眼差しへと表情を変え、席に座り直した。背筋を伸ばして、姿勢を正しくし、両手の拳は膝の上。如何にも面接でも受けているような姿勢で、渋基は言葉を続けた。 「俺、壱夜に告白しようと思うんだけど……」 「…………え?」  渋基は真剣な表情で何を言うのかと思えば、予想とは遥か先の言葉だった。 ―16―  俺が驚きの表情を浮かべて、ただ渋基に目線を送っていると、渋基は今自分の言った事に、照れさを感じたのか、口調は早くて、その後の言葉は一気に言い切った。 「ほら、零とはライバルだし、抜け駆けとか言われたくないからさ、お前には言っときたくて」 「……あ、まあ。うん」  その勢いに俺は圧倒されてしまい、そう言葉を返す事しか出来なかった。 「まぁ、フラれんの目に見えてるけどな」  渋基は俺の顔を見ると、深く溜息を吐き、そう弱音とも言える言葉を吐き出す。告白を決意し、それを俺に告げていた時の表情とは打って変わって、自身なさげな表情へと変える。そう思っていても、きっと壱に好きな気持ちを伝えたいのだろう……。俺は手に持っているジュースを一口飲み、小さく呟くように言葉を発した。 「そうでもないんじゃないか……」  告白とか、壱が好きだとか……、そういうのを簡単に言えてしまう渋基を、俺は羨ましく思う。サッカーも続けていけている、渋基が羨ましい。 「壱夜は絶対、零が好きだよ」 「どうだろうな」  幼稚園の時から、壱が隣に越してきた時から、ずっと壱とは仲良くしてきた。壱と一緒に居る事を、俺も嬉しく思ってた。一緒に成長して、一緒に過ごして、他愛のない話を毎日のように語り合って。自然と壱を好きになってる自分を感じていた。そして、壱も俺を想ってくれている、信頼してくれている事は感じていた。それが恋愛感情かそうでないかは、本人に聞かないと、本当の事は判らないが、特別な存在としてくれているのを感じていた。  だから、渋基もそう感じているのだろう……。俺は渋基の言い分に、頷くことは出来ずに、言葉を濁してしまった。  ただその後の会話なんて、ほとんど覚えてなくて。告白という二文字が頭を支配していた。 ―17―  渋基はあの後、壱と会う約束をしていると言っていた。渋基の高校の部活は今日は休みで、壱の部活が終わってからの待ち合わせらしい。約束の時間になる前に、俺は渋基と別れて、自宅へと帰ってきた。  自分の部屋の窓辺に座り、そこの窓は壱の部屋の向い合せになっている窓とは違う、もう一つの俺の部屋に付いている窓。そこから外を眺めると、登校する道が見える。俺はただ、沈んでいく太陽を眺めていた。  太陽が沈み始め、日差しはなくなり、外は暗くなっていく。夕暮れの薄暗さは、外の風景を見にくくさせていった。外が暗くなり始めても、部屋の明かりを点けに行くのが億劫で、俺は外と共に暗くなっていく部屋で一人、外を眺めていた。  俺と壱の家は住宅街のど真ん中に位置していて、車が漸くすれ違えるほどの路地に囲まれている。外灯が付き始めた頃、帰宅する壱の姿が見えた。壱は最寄りの駅から、体力作りとして、自宅までの距離を走って帰ってくる。しかし、今日は足取り重く、歩みはゆっくりだった。大きなサッカーバックを肩に下げて、それを重たそうに腕で押さえながら歩いている。手にはネットに入れてある、サッカーボールを持ち、それを一定のテンポで蹴り飛ばしていた。俯き歩き続けている壱の表情は、この暗さでは確認は出来ないが、足取りの重さから気分が落ちているのは確認出来た。  気分が落ちているというか、悩んでいるのであろう。その原因を知っているから、俺は壱を見て、そう感じる事が出来るのかもしれない。  きっと、渋基はあの後、壱に言ったのであろう。だから今日、壱に会う前に俺を呼び出したのだ。渋基に告白されて、悩んでいるんだ。  遠くから歩いて来た壱は、自分の家を通り過ぎ、俺の家の前で立ち止まっていた。壱のその行動に驚いたが、壱はそのまま俺の家の前で立ち尽くし、俯いたままでいた。その後頭部を見下ろしてしまった。後頭部をずっと見ていると、壱の頭が微かに動くと、見上げてしまうのではないかと思い、俺は咄嗟にカーテンを閉めていた。  窓に寄り掛かったまま、俺は高鳴る鼓動を抑える為、深く深呼吸をする。  渋基の告白を受けて、壱がどんな答えを出したとしても、俺が何かを言える立場ではない。 ―18―  夕食を食べ終えて、入浴を済ませ、自分の部屋に戻ってくる。机の上に置いておいた俺のスマホが、通知を知らせるランプが光っている事に気付いて、俺はタオルで濡れた頭を拭きながら、机に置いたまま片手でスマホを操作した。ランプの光は、ラインの通知を知らせている光だった。ラインの画面にしてメッセージを確認する。 「まだ、起きてる? 相談あるんだけど」  それは壱からのラインだった。一階に居たから、俺の部屋には電気が点いていないから、もう寝たと思っていたのだろう。そのメッセージを見て俺は、壱の部屋と隣り合わせになっている窓のカーテンを開けた。そこは手を伸ばせば、簡単に壱の部屋の窓を触れてしまうほどの距離で、俺はカーテンの閉まっている壱の部屋の窓を軽く拳で叩いて音を発てる。 「零……」  暫く待っていると、壱はゆっくりとカーテンを開けて、姿を見せた。その表情は、眉を下げて目線は伏せていた。 「どうした?」 「…………ん」  俺は窓の傍にある机の脇に寄り掛かり、壱に横目で視線を向けて問い掛ける。問い掛けられると壱は、一度俺へと目線を向けるが、また目線を伏せて、言葉を発するのを辞めていた。 「渋基?」 「!?」  俺が問い掛けると壱は勢いよく顔を上げて、目を見開いては何度も瞬き、驚きの表情を浮かべていた。俺が知ってるとは、思いもしなかったのだろう……。 「ごめん、渋基に先に聞いてたから」 「……渋基の気持ちとか知ってたのか?」 「あいつ、判りすぎだからな」  再び目線を伏せると、壱はぽつりぽつりとだが、言葉を発し始めた。 「…………どうしたらいいと思う? 零」  俺も壱が好きなんだと、言ってしまえたら、どんなに楽なんだろう……、俺も好きだから、渋基の事じゃなく、俺の事を考えて欲しいと言えてしまえたら……。 「俺が答え出すのおかしいだろ」 「そ、そうだけど……、俺断ろうとしたんだけど」  壱は俺に何かを期待していたのであろう、俺の言葉を聞くと、沈んだ表情を浮かべ、しどろもどろに言葉を続ける。 「うん」 「すぐじゃなくて、時間掛けて考えて欲しいって言われて」 「ちゃんと、考えてやれ」  俺は思っている事とは、逆の事を口に出していた。 「ん……、でも俺は」  壱は俺に目線を向け、瞳は微かに揺れていた。今にも涙を零しそうなのを堪えている、そんな表情で俺を見て来ていた。 ―19― 「俺は……、零が……す」 「渋基はいい奴だよ」  壱が何を言おうとしているのか、直ぐに判った。俺は咄嗟に壱の言葉を遮り、言わせないように言葉を被せた。 「……え?」  俺ももしかしたらって感じる事は、昔から何度もあったから、壱も俺の気持ちは感じ取っていたのだろう。あえてお互いに口にした事はなかったが、壱が態度で示すから、俺はそれを態度で答えている事は、何度もあった。きっと、壱も判っていたはずだ。だから、余計に壱は今の俺の行動に驚いているようだった。 「壱の事、大事にしてくれると思うし」 「…………ん」  俺はあえて壱の表情に気付かないフリをしながら、言葉を掛け続けた。自分の本心とは逆の事を、自分を奮い立たせて、口にしていた。 「渋基の事、嫌いじゃないだろ?」 「嫌いじゃ……ない」  これ以上言ったら、壱が泣いてしまうんじゃないかと思うくらいだったが、壱は泣かないようにグッと堪えている様で、そんな壱に俺は感謝していた。ここで泣かれてしまったら、きっと壱を抱きしめたくなってしまう。 「付き合ってみるのもいいんじゃないか?」  決定的な言葉を口にすると、壱はもう俺の顔を見る事を止めていた。目線だけじゃなく、頭も俯いていて、俺からは壱がどんな表情をしているのか、確認は出来なくなった。もしかしたら、もう泣いているのかもしれない。でもそれを確認してしまったら、せっかく壱との距離を置き、今自分の感情を抑えているのを、全て無駄にしかねない。  でも、俺は俯いている壱から目を離せずに、ただ見ている事しか出来なかった。 「ん……、うん、ごめん、ありがとう」  そのまま、暫く無言でいると、ようやく壱は顔を上げ、笑みを浮かべてそう告げてきた。声には出さずに、おやすみと口遊むと壱は窓とカーテンを閉めてしまった。  最後に見せた壱の笑顔は、切なく儚げで、無理矢理にと作った笑顔だった。その笑顔は、俺の目に焼き付けていた。 ―20―

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