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強引な黒豹
出張所での仕事は、はっきり言ってそれほど難しいものではなかった。それにそれほど忙しくもない。
毎日定時にはきっちりと仕事が終わり、宿舎へ帰ることができる。
王宮にいた時とはまるで違う。
あの頃は残業三時間があたりまえだった。サービス残業なことも多かったし、上司や他部署から理不尽な駄目だしを食らうことも多かった。
・・・・今は楽だなあと思う。
お昼休みはしっかり1時間とれるし、10時と3時にはお茶休憩というものまである。しかもお給料は王宮にいた頃よりずっと良い。
今日も定時に仕事が終わり、俺はのんびりと片づけをした。
仕事場から宿舎までは、ゆっくり歩いても10分ほどでたどりつく距離だ。坂が多いからか、街を行く人々もみな、わりとのんびりと歩く。二人連れで歩いている人が多い気がする。同室者どうしなのかもしれない。
建物はどれもおしゃれで個性的で、見ていて飽きない。窓辺に花の鉢植えを飾ってあったり、とんがり屋根に風見鶏がついていたり。夕映えの澄んだ空気の中、古えの物語にでてくる街並みそのままだ。
俺に与えられた部屋のある宿舎は、オレンジ色の外観のメルヘンチックな建物だった。
たくさんある部屋の窓からはいくつもの暖かな灯りがもれている。もちろん俺の部屋からも。
どうやら「同室者」が、すでに帰宅しているようだ。
この部屋へ来て、すでに一週間が経つ。
つまり、同室者とはすでに一週間をともに過ごしているわけだけど。
はっきり言って俺は、この「同室者」が苦手だった。
なぜかというと彼はとても大柄で、
「・・・・・ぅわっ」
俺が部屋の玄関ドアをそっと開けると、とたんにガバリッと大きな身体に抱き竦められた。
背後でばたんとドアが締まる。
「・・・・なぜ、こんなに遅くなった」
耳元で低く唸る声。
俺は同室者の胸の中で、身動きが取れずに緊張し、動揺であたふたとした。
「お、遅くはないですよっ、寄り道せずにまっすぐ帰って来ましたよっ」
「・・・・だが時刻はすでに5時50分をまわっている」
だって、仕事が終わったら片づけをしたり、飲み終わったカップを洗ったりするじゃないか。それでちょっとトイレに寄ったり、帰りがけに同僚と挨拶程度の会話をしたり。それから坂道を歩いて帰るのだから、これくらいの時間になるのは仕方がないじゃないか。
と、言い訳はいろいろ頭に浮かんだけれど、
「す、・・・すみません」
俺を抱き締める腕があまりにもぎうぎうと強いので、今日もつい謝ってしまった。
俺が謝ると、同室者はようやく腕の力を緩め、そっと俺の瞳を見下ろしてくる。
彼の名前はラグレイド。
漆黒の髪に浅黒い肌、時々金色に見える琥珀の瞳をしている。彼は黒豹の獣人なのだ。
騎士団所属の騎士をしており、大柄で引き締まった体つきをしている。俺より4つ年上の25歳だ。
近くで見ると、前髪の下の顔立ちが恐ろしいほど整っているのだと分かる。だけどいかんせん雰囲気が怖い。精悍で、たまに野性的な眼差しをする。
「・・・・シオ・・・」
ラグレイドが俺の名前を呼びながら、薄く開いた唇を寄せてくる。
そう。こんな風に俺にせまってくるようなときは、特にその瞳には肉食獣的な獰猛さが滲み出る。猛獣みが強いというか、見かけが恐ろしいというか。
「だ、駄目ですっ。俺まだうがいしてないし、帰ったばかりで疲れているしっ」
ぐぐぐっと仰け反りながらも押し返して拒否すると、ラグレイドは傾けた身体をストップさせて、しぶしぶといった感じで放してくれた。
その代り、離れる際に左の耳たぶをちゅっと吸われた。
俺がひえっと身を竦めるのを、目を眇めて見つめてくる。
俺は視線から逃れるようにして、そそくさと自室へ引っ込んだ。
ラグレイドはスキンシップが激しい。
最初に顔合わせをした時から、がばりと抱きつかれて、目蓋や頬にキスをされた。
俺は獣人にまだ慣れなくて、こんな大柄で野性味のある獣人を目の前にするのも初めてで、驚きと、食べられるかもしれないという恐怖で、あやうく失禁するところだった。
同室としての生活が始まってからはさらに接触が激しくなった。
俺ははっきりいって誰かとキスをするのも初めてで、それ以上の触れ合いなんてまったく経験がなかったから、毎日がもう動顛することの繰り返しで。
コンコンと、ドアをノックする音がする。
「・・・・シオ、夕飯の準備ができた。一緒に食べよう」
・・・・・出ておいで。
耳に心地良い穏やかな低音ボイスが俺を呼ぶ。
「は、はーい・・・」
俺はふぅっと深呼吸して、それから覚悟を決めてドアのぶに手を掛ける。
・・・・自分がチキンだということはよく分かっている。
だけど覚悟が必要なのだ。
ラグレイドはひどく強引で、力も強いし、運動能力も優れていて、襲われたら俺なんかひとたまりもない。
俺はどちらかというと女の子の方が好きなんだ。小さくて可愛い女の子の方が。
俺よりずっと大柄で、逞しい太い筋肉を持ち、ぎらぎらと熱く迫ってくる、肉食獣のような男なんかは苦手なのだ。
だけどどう見てもこの状況、・・・・逃げられない。
ラグレイドにとっては、俺は小さくてか弱い獲物のようなものなのだろう。
・・・・こ、怖い。
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