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理想と現実の狭間で

 自宅から徒歩20分ほど歩いた先に、敦士が務める広告代理店があった。  高橋として生きていたときは、職場まで電車通勤していたこともあり、満員電車に疲弊せずに職場まで行ける敦士を羨ましく思いながら、その姿を見下ろした。  時折、変な笑顔で場を誤魔化したりと、妙な態度をとることに引っかかりを覚えたが、それ以外は普通に対応していたので、あえて突っ込みを入れずに、そのままやり過ごしていた。 『家の中では、番人さまと喋るのには苦労しませんが、外に出て意思の疎通を図ろうと思ったら、こうして会話しなければいけないので、意外と大変です』  敦士は話したいことを打ち込んだスマホを、隣で歩いている番人に見えるように動かす。その内容を目にして、思わず微苦笑した。 「確かにそうだな。俺の声はお前以外は聞こえないし、姿も見えないのだから。このまま俺に話しかけたりしたら、それこそ周りに心配されるだろう」  自分に告げたことを聞いて、ちょっとだけ微笑む敦士の姿は他人から見たら、奇異に映ると思ったが、あどけない笑顔を見ていたかったので、注意しないことにした。  反抗することなく自分に従順な敦士は、番人としての立場から見たら、大変都合のいい人間だった。  このまま悪夢を見られない場合は、簡単に見捨てることも可能な存在――。  そんな相手なのに、番人の仕事を放棄して会話をしながら一緒に歩いているのは、元の姿に戻るための貴重な時間を使っていることになり、無駄な行動に繋がる。  頭ではそれが分かっているのに、どうしてもやめられなかった。  他の人間とのコミュニケーションがとれないせいだろうが、敦士と交わす他愛のない会話が、心地よいものに感じているのが、要因のひとつになっていた。

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