52 / 87
光11
「そうだ。これは、現実で起こってることだった」
敦士は独り言を噛みしめるように告げて、両手の拳を握りしめた。数回深呼吸してから意を決して、男性の背中を追いかける。
オレンジ色の暖かな光に導かれるように、迷うことなく一気に近づき、そして――。
「うわっ!?」
背後から男性の上半身を、両腕でぎゅっと抱きしめた。これ以上遠くに行かないように。沈んでしまう夕日と一緒に、いなくならないように。
「お願いします。教えて、ください……」
「敦士?」
「僕は貴方の名前を知りません」
「あ、確かに」
顔だけで振り向きながら、男性が一重まぶたを瞬かせた。
「他にも自分の目で確かめたいことが、山ほどあります。それからじゃないと、何も判断できません」
「それは――」
「社内コンペに提出した、下書きにメモしてありました。外からの情報だけじゃなく、自分の目で直接見て心に感じてから、総合的に判断することって」
頭の中で覚えている言葉を口にした途端に、男性の瞳から涙が溢れ出す。しとどに頬を濡らす涙を見て、敦士は右手で優しく拭ってやった。
「ぉ、俺の名前は…高橋健吾。以前は広告代理店に勤めていたが、今は無職で――」
嗚咽を押し殺した低い声が、じんわりと敦士の耳に馴染んでいく。まるでこの人の声を覚えなければと、躰が急いている感覚だった。
「住んでるところはバスと電車を乗り継いで、1時間弱の場所……うっ」
「高橋さん」
いきなりの名前呼びには抵抗があったので、名字で呼んでみた。
「悪ぃ、信じられなくて。こうして追いかけられるとは、ぉ、思ってなかったから」
「以前の僕ならきっと、あのまま高橋さんを見送っていたと思います」
わけも分からず涙したあの夜から、3ヶ月が経っていた。大きな穴を胸に抱えた状態で、その穴を埋める欠片を探すように日々を送り、流されるままに仕事をこなしながら、多くのことを考えた。
「夢の中での出来事であいてしまった胸の穴を、僕に関わった貴方なら……。高橋さんなら、埋めることができる気がするんです」
「人として駄目な俺の話を聞いてるのに、付き合おうというのか?」
自らの手で涙を拭った高橋は、窺う視線で敦士を見上げる。
ともだちにシェアしよう!