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第8話

「じゃあ、中入れよ。」 先生の言葉に従い、数学準備室の中に入る。 ……あ。 この間は気づかなかったけど、ここ、先生の香りでいっぱいだ。 「まぁ、とりあえず、ここ座っとけ。」 促されるままに、ソファーに座る。 すると、ぼくのすぐ隣に先生も腰掛けた。 …?なんだか、近くないかな? 思わず先生の方を凝視する。 「……?どうかしたか?」 けれど、不思議そうに瞬く先生の眼を見ていたら、どうでもいい気がしてきた。 ふるふると首を横にすると、先生は、そうか、とだけいい、ノートに眼を落とした。 あ、そっか……。 目の前で読まれちゃうんだ。 ………ちょっと恥ずかしいな、なんて。 べつに、たいしたことは何もかいてないのだけれど。 ……どう、おもわれるのかな? 1度目を逸らして。 でもやっぱり、反応が気になって、ちらりと横目で先生の顔色をうかがってみる。 「…………!」 びっくり。 だって、視界にうつる先生が、赤面していたから。 え………? 何か赤面するようなことかいたかなぁ……? ふつうのことしか書いていないつもりだったのだけれど。 「お前、ほんとさぁ………素直と言うか、なんというか…」 すなお………? 先生は目に手をあてて、天を仰いでいる。 けれど、一度深く息を吐くと、ノートに筆を滑らせていく。 やっぱり、ぼんやりする視界。 けれど、目を凝らして、少し不器用だけど、丁寧で暖かい字を追う。 『返事くれてありがとうな。眼のことも。 俺の目は、普通の色じゃないから、興味を持たれることは多いけど』 "普通じゃない"、その言葉にピクリと体が反応する。 その、綺麗なあおは、伏せられていてよく見えないけれど。 ………先生も、"ふつう"じゃないって、いわれたことがあるのかな。 『そんなにまっすぐに、きれいとか好きとか言ってくれたのは、綺羅がはじめてだ。嬉しかったよ、ありがとな』 ぼくは思ったことを言っただけ。 そう、"喋っちゃいけない"ことさえ忘れてしまうくらい、先生のあおは、きれいで。 だけど、それでも喋っちゃったこと、すごく後悔してたのに。 "嬉しかった"って先生の言葉は、そんな後悔すら吹き飛ばしてくれた。 ……でも、不思議だね。 先生は、一瞬だったとはいえ、僕の声を聞いても、それから、僕の"言葉"を聞いても、怒らない。殴らない。 ……壊れない。 どうしてかな…? もしかしたら、僕の顔もみたら、それは変わってしまうのかもしれないけど。 ちらり、先生を見る。 ……それはなんだか、ちがう気がして。 ーーーそれじゃあ、先生も"ふつう"じゃないから、なのかな? ……でも、そうだとしたら、どうして先生は"ふつう"の他の生徒とも関わっているのかな、 わからない、 あたまのなかで、いろんな疑問がぐるぐるする。 考えて、考えて。 働かない頭で必死に考えるけれど、答えはみつからない。 それはそうだよね。 だって、僕は先生じゃない。 汗で、前髪が額に張り付いている感覚がする。 きもちわるい。 頭の芯がぼんやりして、自分が今何を考えているのかも曖昧になってくる。 先生が、こちらに向けてペンを差し出してきた。 ……これで、返事をかけってことかな? 頭がぽわぽわする。 じんわり滲む視界で、 『どうして、先生は僕がしゃべっても、こわれないの』 そう、字がつづられたのを、ぼんやり捉える。 …あれ、おかしいなぁ。 こんなこと書くつもりじゃなかったんだけど……。 その文を見て固まっている先生の手に、ペンを返す。 すると、先生はハッとした顔をした。 「綺羅、お前、なんか今日、熱くないか」 そう言って、なんだか、けわしい顔になった。 あつ、い……? 先生はふつうに喋っているはずなのに、理解するのに、すごく時間がかかってしまう。 ようやく意味を理解した時には、先生の手は既に僕の顔に伸びていて。 あ、まずい。 と、そう思ったけれど、もう遅い。 ふわり、 先生の手で前髪は搔き上げられて。 初めて先生と、じかに目があった。 ………みられ、ちゃった。 前髪がない、クリアな世界。 それは、やっぱりすごくすごく怖くて。 からだがひとりでに震えだす。 でも、ぼんやりする頭では、それすらどこか自分から遠いことのように感じて。 こうなったら、僕にできるのは、 壊れませんように、って、そう願うことだけ。 僕と目があった先生は、まだ固まったまんま。 …どうなるのかな。 なんて、びくびくしていたのに 「綺羅、お前、なんで前髪きらねぇんだよ、もったいねぇ」 聞こえてきたのは、そんな言葉。 ……………? 本気で意味がわからなくて、首を傾げる。 と同時に、くらりと視界がゆれた。 すると、先生はもういっかい、ハッとした顔をして、僕の額に手を当てた。 ………つめたくて、気持ちいい。 力が抜けて、ほぅ、と眼を閉じる。 「あっつ……。なんでこんなに熱あんのに学校来てんだよ、ばかじゃねぇの」 しょうがないよ、だって僕の家には、電話がない。 だから、欠席の連絡だってできない。 それに、熱があるのに気付いたのは学校に来てからのことで。 そこで、浮遊感。 驚いて目を開けると、先生が僕を抱き上げていた。 「やっぱ、お前軽すぎ。ほら、休んでろ」 そういうと、僕の顔を肩に押し付ける。 とたんに強くなる先生の香り。 ほらね、やっぱり先生はへんだよ。 声を聞かれて、"会話"もして、顔まで見られたのに。 先生は、先生のままなんだね。 なんだかよくわからないことばっかりで、 あたまがぐるぐるするのに、 先生が、 「保健室いくから、うごくぞ」 そう言って頭をふわふわ優しく撫でてくれるから。 あ、そういえば、最後に書いてしまったしつもんのこたえ、もらってないなぁ…… なんて思ったのをさいごに、僕の意識はとぎれた。

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