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第9話

(side.オトコノヒト) ーーーー幸せだった、と思う。 あいつが産まれてくるまでは。 俺は、彼女を愛していたし、 彼女もまた、俺を愛していた。 少なくとも俺は、そう思っていた。 『ねぇ、産まれてくる子、男の子かなぁ?女の子かなぁ?どっちだと思う?』 『聞いたらいいじゃん、もうわかるんだろ?』 『もーーー、わかってないなぁ。それじゃあ楽しみがなくなっちゃうじゃない!どっちかなぁ、どっちでもうれしいけど……』 『聞いといたほうが、名前つけるの困らないのに…』 『大丈夫よ!それはもう決めてるの!』 『は?!初耳なんだけど!』 『私が、私のお腹を痛めて産むのよ!名前くらい私に決めさせてよね!』 『はぁーーーー…。まぁ、いいけどさぁ。で、何て名前にするの?』 『ふふふん、"愛"よ!女の子だったら、あい、で、男の子だったら、めぐむにするわ!』 『ふーーーん、由来は?』 『あら、そんなの決まってるでしょ』 『たくさん愛して、たくさん愛される人になってくれますように、か?』 『ふふふ、わかってるじゃない!だからまずは、私たちがたくさん!たくさん愛してあげましょうね!』 『当たり前だろ、俺らの子供なんだから』 あいつのことだって、 ーーーーめぐむのことだって、愛していた。 けれど、それがかわったのは。 めぐむが初めて目を開けた時だった。 ーーーーその目の色は、鮮烈な、翠。 俺の色でも、彼女の色でもない、きれいなきれいなみどりいろ、だった。 隣で、彼女が息をのんだのがわかる。 その顔は、恐怖で強張っていた。 『………どういうことだよ』 『うそ、そんな……』 俺は、こんなに綺麗な緑色の目を持った奴を1人しか知らない。 …そいつは、俺の幼馴染で、親友で。 『………あいつと、寝たのか』 その言葉は、俺たちの幸せを壊す、決定打になった。 ーーーーそれから、明るかった彼女は、喋らなくなった。 眠らなくなった。 食べなくなった。 それは、何度話しかけても、何をしても変わらなくて。 そして、弁解も、和解も、喧嘩もなく。 ある日彼女は、めぐむを胸に抱いたまま、冷たくなっていた。 唖然と彼女を見下ろす俺の目の前で、ぱちりと眼を開いたのは、 あんなにも可愛かったはずの、 愛し愛されるはずの、 俺たちが愛すはずの、 おれの、こども。 だけど、こいつは本当はおれの子供じゃなくて。 じゃあ、俺は、こいつを、めぐむを愛せるのだろうか。 いや、愛せるかじゃない。 愛さないと。 けれど、無理だった。 ハイハイじゃなくて、歩けるようになって。 少しずつ喋れるようになって。 そうして、めぐむはどんどんあいつに似ていった。 綺麗な目。綺麗な顔。綺麗な声。 俺との共通点なんて、黒髪くらいしか見当たらない。 だから俺は、見たくないものに蓋をした。 けれどそんなこと、続くはずもなく。 それでも、露わになった都合の悪いものから目をそらして、見えないふりを、聞こえないふりを続けた。 だけど。 「おとうさん」 舌ったらずに、そう呼ばれた時。 ーーー俺の中で、何かが壊れた。 お父さん? 俺が? どうして? その顔も、その声も、幼かった頃のあいつそのものだ。 彼女の要素さえ見当たらないお前を。 俺はどうやって愛したらいいの。 ーーーーお前さえいなければ。 まだ、幸せで入られた? まだ、彼女は生きていた? 手が、足が、まだ小さなめぐむを痛めつける。 わかってる、わるいのはこいつじゃない。 こいつに、罪はない。 全ては、大人のエゴだ。 わかっているけど、とめられない。 ーーーーその顔で、声で、こっちをみるな 俺は、お前を殺してしまいそうで怖いよ どうにもできなくて、前にも後ろにも進めない。 『めぐむ』という名前を読んであげることさえ、俺にはできなかった。 ーーーーー時間だけが無為に過ぎて、めぐむは高校生になった。 まるであいつの生き写しみたいな、めぐむ。 俺にはもう、あいつとめぐむを見分ける術を持たなくなっていた。 ふと気がつくと、めぐむにあいつを重ねてる。 少しでも目が見えると、声が聞こえると、もうだめだった。 日が過ぎるごとに、耐えられなくなっていった。 自分がめぐむを殺さないという確証が、持てない。 こんなの、おかしい。異常だよ。 わかってるのに、とめられないんだ。 ーーーもう、自分で自分がわからなかった。 そして、真冬のある日。 俺は、何もないからっぽな部屋に、 無知なめぐむをひとり残して。 俺は、めぐむを、全てを捨てて逃げ出した。

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