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第22話
(side.黒崎)
最初は、名前。
座席表でなんとなく目についたそれ。
ーーー綺羅 愛。
きらめぐむ、って読むらしい。
"愛"なんて名前、男ではあんまりみたことなかったし。
いかにも"愛されてそう"な、名前だなってそう思った。
どんなやつなんだろ。
そう、少し気になっていた。
けれど、そのキラキラした名前とは裏腹に、本人の容貌は、控えめに言って、地味。
目元まで伸びた黒髪に、常に丸まった背中。
名前とは似ても似つかない、その姿。
挙げ句の果てに。
「綺羅」
「………。」
呼びかけられても、答えない。
入学式の日も。次の日も。その次の日も。
綺羅は、一度だって喋らなかった。
いつも静かに俯いていて、休み時間になると、どこかにふらりと姿を消す。
授業にはいつも出ているけれど、聞いているのか、いないのか。起きているのかすら曖昧で。
俺のクラスは、いい奴ばかりだったから、いじめられることはなかったけど。
"変わった奴"と、思われていたことは、確か。
……興味本位。
今まで、周りにいないタイプだったから。
あんな見た目で、態度でも、いじめられっ子なわけでも、すかしているわけでもなくて。
まるで、"自分はこの世界に関係ないんだ"みたいな、その態度。
それが、なんとなく気になっただけ。
気になるから、昼休みはかかさず声をかけて。
暇があれば、話しかけた。
「ねぇ、綺羅。一緒に移動しない?」
「………。」
「ねぇ、綺羅。一緒にご飯食べようよ」
「…………。」
「ねぇ、綺羅って、体育祭なにでるの?」
「……」
けど、収穫はゼロ。
俺は、自分でいうのもなんだけど、人望はある方だと思う。
人懐っこくて、話しやすいってよく言われるし。
だから、ここまで無視され続けたのは初めてで、かえってやりがいすら感じてくる。
なんていうのかな、絶対懐かない野良猫を見つけた、みたいな?
ーーーそんな、遊び半分の気持ち。
別に、孤立気味な綺羅が可哀想っておもたわけでも、周りにいい奴アピールをしたいわけでもなかった。
だから、友達に止められてもずっとずっと声をかけ続けてた。
純粋な、ただの興味。
それ以上でも、それ以下でもなかった。
ーーーーだけど、綺羅の秘密に気付いてしまったあの日から、それは変わった。
綺羅に声をかけ続けて、3ヶ月ほどたった、夏のある日。
「あっ、やばっ。体操服、教室に忘れてきた…!」
「は?お前、馬鹿なの?体操服忘れて更衣室くるとか、聞いたことねぇぞ。早く取りに行ってこいよ、遅れんぞ」
腕時計を見てみれば、授業開始の10分前。
「よなーー、やば、いってくるわ」
そういって、足早に教室に戻ったあの時。
「やっべーー、時間間に合うかな…」
遅れたら、外周増やされて面倒なんだよな…。
なんて思いながら、教室のドアに手をかけた。
んだけど。
「え………?」
ドアの、小さな窓から見えた光景に、体が凍りつく。
こちらに背中を向けて、誰かが立って、着替えていた。
それは、まだいい。
だけど、問題は。
……その、背中が、ボロボロだったこと。
真新しいあざに、古傷らしきもの。
あざはあざでも、普通の青あざから、もうどす黒くなってしまっているものまであって。
………ぎゃく、たい?
そんな、自分からはずっと遠かった言葉が、反射的に頭の中を駆け巡った。
だって、そうとしか言えないくらいに、そいつの背中はボロボロで。
そして、幸か不幸か、毎日話しかけていた俺には、すぐにわかってしまった。
男が、いた席は、
…………綺羅の席だ。
そういえば、綺羅は、体育の前も、後も、更衣室にいなかった気がする。
あぁ、カーディガンもきてたっけ。
でも、教室冷房かかってるし、どこか浮世離れした空気をまとう綺羅だから、特になにもおもわなかったな。
なんてぼんやりおもう。
でも、視線はその背中に縛りつけられていた。
綺羅が、ふわりと上の服を着たことで、ようやく視線が解放される。
「………」
ふらり、と一歩あとずさって。
そのまま、いそいで踵をかえした。
「……ハッ、ハッ………ハァッ」
体力には自信があったはずなのに、いつの間にか荒くなっている呼吸。
……なんだ、あれ。
明確な、暴力のあと。
……虐待?DV?
知識として、そういうものは知っていても、どこか自分とは無関係だとおもっていたそれ。
ううん、今まで実際に無関係で、これからも無関係。
そのはずだった。
脳裏をよぎるのは、隠された目と、曲がった背中。
絶対に言葉を発しない、その唇。
ねぇ、それって、本当に、綺羅の意思だった……?
「…………」
頭がぐるぐるして、パンクしそうで。
ずるずると人気のない廊下に座り込む。
そんな俺の頭上で響く、授業開始のチャイムの音。
ーーーー俺はその日、初めて授業をさぼった。
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