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第24話

カタン。 ちょうど取り掛かっていた問題を解き終わって、シャーペンを置く。 時刻を見ると、もう6時。 ……そろそろ、先生くるかな。 先生がここに入ってくる所を想像すると、それだけで胸の奥がじんわりと暖かくなった。 ーーーー第2図書室。 先生に指定されたここは、人気があまりない。 普段から生徒の影がまばらなここには、最終下校も間近の今となっては、誰も残っていなかった。 もともとここには、禁帯出の本しか置いていないから、司書さんもいない。 ちょっと不用心な気もするけれど、ここには高校生にはちょっと難しそうな専門書ばかりだから、盗難なんてことも起こらないみたい。 ふぅ、と軽く息を吐く。 ……今日は、色んなことがあったなぁ…。 クラスのひとと、初めて"喋って"、はじめて"ともだち"ができて。 ともだち、なんてできたことがないから、どうすればいいのかはよくわからないけれど。 「…………」 ……胸が、どきどきする、気がする。 この間先生に呼び出されてから、僕の毎日に突然"はじめて"が増えた。 それまでは、同じ毎日の繰り返しで。 ーーー前髪のすき間からのぞく僅かな視界と、空と、うた。 僕の世界は確かにその3つだけで構成されていて。 きっと、そのままが続くんだって、そうおもっていたのに。 急に、動きだした、僕の世界。 そこには、今の僕には、手に余るほど、たくさんのことが広がっていて。 これが、いつまで続くのか。 これは、ただしい、のか。 ……まちがっている、のか。 よく、わからないけれど。 すこしくらい、怖くても、不安でも。 このまま、新しい世界にふみだしてみたい、そんな気がする。 なんだか、むねがざわついて。 きゅっと、胸元をおさえた。 そのまま、ふらり、と引き寄せられるように窓の方にむかう。 窓を開けて、手を伸ばそうとして。 『危ないから、もうすんなよ』 ふと思い出したのは、先生のことば。 「…………」 そっと窓枠から手を離して、ガラス越しに空をみつめて。 小さな声で音を紡ぐ。 「〜〜♪」 ちいさくて、ほとんど呟きに近いそれ。 けれど、それでもやっぱり心が落ち着いていく。 一音目が溢れれば、その次もするするとでてきて。 「〜〜〜〜♪〜♫〜〜」 ゆるりと口角があがるのがわかった。 やっぱり、歌をうたうのは、すごく楽しい。 気をぬくと大きくなりそうな声を抑えながら、音を紡ぎあげていく。 ぼくの、唯一の自己表現。 …あ、でも。 ぼくって、たしか、表情も豊かなんだっけ。 先生が、そう言ってた気がする。 そこで、先生の優しい目を思い出して。 「〜〜〜〜♬♪〜〜」 そうして、先生を思い浮かべながらつむいだその音は、いつもとはなんだか違うような、そんな気がした。 「………。」 ふぅ、小さく息を吐く。 頭に浮かんだメロディーは、もう全部吐き出してしまった。 「やっぱ、うめぇな」 その声にバッと後ろを振り返れば。 そこには、腕を組んで本棚にもたれかかった先生がいて。 「はは、びっくりした?」 悪戯が成功したこどもみたいに、にんまり笑う。 こくこくと頷くと、宥めるように頭をなでられて。 ………落ち着かない、のに落ち着く。 「でも、今日の歌はいつもとなんか違ったな」 「………!」 「今までのもよかったけど、今までの歌で、なんか今日のが1番好きだわ」 さらり、と言われたセリフにほっぺたが熱くなる。 ……すき、って………。 ちらりと見上げると、先生は真剣な目をしていて、余計に恥ずかしくなってしまう。 でも、そのことばで実感した。 ……ほんとうに、先生はいつも僕の歌、きいてたんだ。 そのまっすぐな目に。 じわり、何かがこみあげる。 なにか、言わなきゃいけないことばがある気がして。 「………、ッ………」 けれど、やっぱり、声はでない。 ……くやしい。 今なら、言えるかなって思ったのに。 「ッ…………!!」 何を言うべきなのかは、わからない。 けれど、それでも、この何かを、僕の声で、伝えたい。 なのに、伝えられない。 ……さっきまで、この声で、歌っていたのに。 どうして、でないの。 どんなに頑張っても、喉がひきつれるように痛むだけで、音にはならなくて。 「…………………ッッ」 「ストップ。大丈夫だから、やめろ。喉、傷つくぞ」 半分ムキになっている僕を、先生は抱き寄せた。 トントン、と背中をやさしくたたかれる。 けれど、納得がいかなくて。 伝えたい。 曖昧で、言葉にはできない、けれど確かに存在する、この胸の中のなにかを伝えたいのに。 「大丈夫だ。伝わってるよ、ありがとな」 優しい声が、すぐそばで響くから。 結局僕は、先生に甘えてしまう。 それでも、やっぱりぼく自身が何かを伝えたくて。 こみあげる思いの強さのぶんだけ、ぎゅっと先生を、だきしめた。

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