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第27話

(side.冴木) そうして、綺羅を呼び出した放課後。 「くそっ、話なっげぇんだよ……」 こんな日に限って、不運にも話の長い教頭に捕まってしまい。 俺は数学準備室への道を急いでいた。 折角綺羅と接触できる機会だというのに。 帰ってしまっているんじゃないか、なんて柄にもなく焦る。 帰っていれば、明日呼び出せばいいだけのことだろ、そう理性が告げる一方で。 ーーーーあの、儚げな後ろ姿が、どうしても頭から離れなくて。 ……そもそも、"儚い"って、男子高校生に使う表現じゃねぇよな…。 そう思うのに、本当にその単語は、あいつのために存在したんじゃないかってくらいに、ぴったりあいつを表現している。 そうして、ようやくたどり着いた数学準備室の前で。 ぞくり、背筋が冷えた。 目に映ったのは、 窓から身を乗り出す、綺羅で。 「ばっか、だからお前、あぶねぇって!!!」 本能的に、綺羅を引き戻した。 前と同じように、あまりにも軽い反動とともに、綺羅はこの手の中に落ちて来た。 その様子を伺うも、焦りは見えない。 ただ、こちらをじぃっと見ているのみ。 その見えない表情で、一体何を考えているのだろう。 中に招き入れて、何かいうことはないのか尋ねても、ぺこりと頭をさげるだけ。 ……よっくわかんねぇ。 ほんとに、なに考えてんだ? そう思っていた時。ふと、目が合った、ような気配。 すると、その口は開かれて。 「………きれい」 ただ、ひとこと。 そう呟いた。 ………は? こいつ、喋った? しかも"きれい"って………。 気恥ずかしいような、嬉しいような、なんとも言えない気持ちになる。 てかこいつ、喋るのか。 そりゃそうだよな、歌うんだから、喋るにきまってる。 ………やっぱり、透きとおっていて、きれいな声。 もっと、しゃべればいいのに、ってそう思った。 けれど一方、綺羅は。 突然真っ青になって、口元を押さえてしゃがみこんだ。 慌てて確認すれば、過呼吸になっていて。 抱き寄せて、背中をなでて、呼吸を促す。 その背中は、汗でぐっしょり濡れていて、震えている。 ーーー尋常じゃない、怯え方。 ……どうなってる? 動揺でうまく働かない頭を無理やり動かした。 普段から人前で口を開かない綺羅。 やっと開いたかと思えば、こうして尋常じゃなく何かに怯えている。 こんなの、どう考えたって普通じゃない。 もしかして、綺羅は"喋らない"んじゃなくて、"喋れない"のか………? そうしているうちに、意識を失った綺羅を抱き上げると、びっくりするくらいに軽くて。 ………腕の中に抱えているはずなのに、今にも消えてしまいそうで。 抱きかかえる腕に、力を込める。 すると、応えるように意識のない綺羅がすり寄って来て。 ーーーー何故だか、この手を、体を。 離してはいけない気がした。 それから。 綺羅が、熱を出して。 折しも、綺羅の親が育児放棄をしたらしい、その現場に遭遇して。 綺羅が虐待を受けていたらしいことも判明して。 これ以上痛めつけられる綺羅を見ていたくなくて、自分の家に連れ出した。 言葉にしたらこんなにも重いのに、全部、あっという間の出来事。 それなのに。 その間に交わした、短い言葉も。 その、きれいな瞳も。 意外とコロコロ変わる表情も。 どれもが俺の脳裏に、焼き付いて離れない。 俺は教師だから、生徒のことは、みんな可愛いと思う。 けれど、綺羅に対する"可愛い"という感情は、この、焼け付くような、鮮やかな感情は、それとは明らかに違う気がする。 そもそも、担任でもないのに、こんなに厄介ごとをかかえた生徒に干渉するなんて、本当に俺らしくない。 警察に連絡するわけでも、担任に報告するわけでもなく、ただ手元に置くこの行為が、どれだけ危険かわかっているはずなのに。 その、笑顔を手放したくないと思うんだ。 これは、なんなのか。 綺羅が苦しそうにしていると、胸が苦しくなる。 嬉しそうな顔を見ると、もっと喜ばせたいと思う。 腕の中で安心しているのがわかると、嬉しくなるし、もっと甘やかしたくなる。 幸せになってほしい。 そしてそれが、 ーーーー"俺のすぐそば"であればいいと思う。 こんなにも1人の生徒に入れ込むなんて、だめだとわかっていても、自分の行動を、衝動を、おさえられない。 ………そのあまりにも複雑な家庭事情に足を踏み入れてしまったからだろうか。 そうだとすれば、これは、単なる同情? だけど。 きっと、それだけじゃない。 だって、綺羅といると、落ち着かないのに、落ち着くんだ。 守りたいとか、守ってやらないと、だけじゃない。暖かくて、穏やかで、どこか満たされるこの気持ち。 これはきっと、同情の一言で片付けられるような、そんな軽いものじゃない。 ーーーそれでも、この状況はどうにかしなければ。 そうは思うのに。 へにゃ、と俺が作った料理を食べて笑う綺羅を見て。 やっぱり、どこにも行かせたくない。 …いかせ、られない。 強く、そう思った。

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