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第28話
ぽたり、ぽたり。
視界の端で雫が落ちるのをなんとなく感じながら。
じぃっと、目の前に広がる星空を見上げる。
視界に広がるのは、いまにもこぼれおちそうなほどに、満点の星空。
…………流れ星、流れたりしないかなぁ。
痛いほどに澄み切った空気が、ひやりと頬を撫でていく。
冷たくて、でもお気に入りのじかんたい。
…とくに、最近は。
「おい、綺羅。また風邪引くぞ」
その声とともに、ふわりと優しい香りに包まれた。
そのまま、わしゃわしゃと髪の水分を拭われる。
「空が好きなのはいいけど、とりあえず髪乾かすぞ」
そういうと、おもむろに、ふわりと僕を持ち上げる先生。
そのまま、洗面所まで行くと、ドライヤーでぼくの髪を乾かしだした。
存在こそ知っていたものの、ぼくがここに来るまでは使ったことがなかったそれ。
けれど、先生にそれで髪を乾かされるのは気持ちが良くて。
鏡に映る、その手つきをぼうっとながめる。
白くて、なめらかで、でも、おとこのひとの手だとわかる、大きな手のひら。
その手のひらが、ぼくの髪の毛をすくっては梳いてを繰り返していく。
その光景が、なんとなく、好きだなぁって思う。
けれど、そう長くもない髪の毛は、あっという間に乾いてしまった。
「よし、じゃあ寝るか」
そういって、先生はまたぼくを抱えて、今度は寝室に向かって歩いて行く。
ふわりふわりと、目の前で揺れる先生の柔らかい髪。そっとその髪に指を通しても、先生は何も言わない。
そんな小さなやりとりに、ここ数日で、先生との距離があまりにも急速に縮まっていることを実感した。
ほんの数日前まで、興味の対象ですらなかった先生と、こんなにも近くなる日がくるなんて、思ってもみなかったのに。
そうして、当然のように僕を抱きかかえたまま、ベッドに入る先生。
「おやすみ」
そう言って穏やかに笑いかけられることだって、もう完全に、僕の日常の一部になってしまっている。
もちろん最初は、バラバラでねていたのだけれど。
僕が、1人で寝ていると魘されてしまうこと。
先生と寝ていると平気なこと。
それから単純に、ベッドが1つしかないこと。
この3つが重なりあって、今の形に落ち着いた。
先生の腕の中は、暖かくて、とっても魅力的で。
一度慣れてしまえば、とても抜け出す気なんて起きない。
その腕に包まれていると、体の力がぬけて、こころがすごく、ふんわりする。
ベッドサイドには常に小さな明かりが点いていて。
その明かりの下には、この数日で、半分ほど使い込まれた、あの交換ノートがある。
僕がいつでも"いいたいこと"を伝えられるようにって。
そう。ぼくは、この数日間、とろけてしまいそうなくらいに、甘やかされていた。
ーーー怖いことも、不安なことも、何もない、あまいあまい生活。
だけど、ほんとうはわかってる。
………こんなこと、続くはずがないって。
住む場所を、貸してもらって。
ご飯をもらって。
髪を乾かしてもらって。
抱っこしてもらって。
一緒に寝てもらって。
魘されれば、優しく背中をなでてもらって。
そして、それなのにぼくは、先生に何も返せていない。
はやく、こんなこと、やめないと。
抜け出せなくなる前に。
…………ひとりが、どんなものなのか、わからなくなってしまう前に。
そう、思うのに。
こんなの、いつまでも続くはずがないって。
わかっているからこそ。
せめて今だけでも、ここに閉じこもっていたい。あまえて、いたい。
……そう、おもってしまう。
期限付きの、幸せな生活。
いつおわってしまうのかすらわからない、そんな、あいまいな幸せ。
先生の腕の中で、くるりと体の向きを変えた。
「……どうした?」
吐息すら感じるほど近くにいる先生の、整った顔に浮かぶ表情は、ただただあまくて。
ーーーそれなのに、たしかに安心もしているはずなのに、どうしてか、時々。
きゅうって、心が痛くなる。
ふるふると首をふっても、先生はぼくの感情を全部ひろいあげるみたいに頭を撫でてくれる。
その手のひらは、とってもあたたかい。
いつか、これを手放さないといけないときがくるんだ、ってそう思うと、それだけで涙が溢れてしまいそう。
そんなことがないように、そっと瞼を伏せた。
それでも暖かい手のひらは、ずっと頭を撫でてくれている。
きっと、このやわらかくぼくを撫でる手のひらは、ぼくが眠りに落ちるまで止まらないんだろう。
…………あぁ、流れ星、ながれてくれないかなぁ。
閉じた視界に浮かびあがるのは、さっきの星空。
あんなにも、零れ落ちそうなほどに、あふれている星。
ほんのひとつでいいから、僕にくれたり、しないかなぁ。
……そうしたら、だめもとでも。
『この時間が、ずっと続きますように』
って、お願いできるのに。
空が、好き。
なかでも、1番好きなのは青空だった。
ぼくの、救いだった。
いままでずっと。
これからも、ずっと、そのはずだった。
けれど、すぐちかくに広がる"あお"が、ぼくをすくいあげてくれるから。
ぼくは、"すくい"をひろいにいかなくて、よくなって。
今度は、"すくい"がこぼれ落ちるのが怖くなった。
ーーーーー青空よりも、星空を見ることが増えた。
きっとぼくは明日も、星空を眺めるんだろう。
あぁ、どうか。
明日も、そのときに先生のそばにいられますように。
この、暖かい腕の中にいられますように。
そんなねがいとともに、僕の意識はゆるやかに落ちていった。
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