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第30話
ーーーーベクトルのちがう、"すき"。
その意味を、きっとぼくは知ってしまった。
は、と口から浅く息を吐く。
心臓がどくどくと、脈打っている。
舞い降りた沈黙を破ったのは、やっぱり黒崎くんだった。
「…………急に、ごめんな。きもちわるかったよな」
沈んだ、こえ。
くるしそうな、ひとみ。
ふるえている、からだ。
ばくばくと、脈打っている心臓。
ーーーー近くにいるからこそ、つたわる黒崎くんの感情。
それは、揺れていたぼくの意識を引き戻した。
……そっか、黒崎くんだって、こわいよね。
声が出なくて、息ができなかった、あのときの自分を思い出す。
"ふつう"から外れたものは、誰だってきっと、こわい。
"恋愛は、男の人と、女の人の間でするもの"で。
それが、この世界の"ふつう"だから。
実際、僕たちだって、おとこのひとと、おんなのひとの愛情から生まれているわけで。
だからきっと、黒崎くんの感情は、他の誰かからみたら"まちがい"なのかもしれない。
ーーーーけど。
ずっとずっと"まちがい"だった僕を、すくいあげてくれたひとがいるように。
絶対的な"まちがい"なんて、ないのかもしれない。
僕は、口の動きで、語りかける。
『ありがとう、嬉しい』
それは、まぎれもないぼくの、本心。
だから、きっと。
"まちがい"だって、誰かにとったらそうじゃないことも、きっとあるんだよね。
だから、伝わってほしい。
こんな、声もだせないぼくの言葉では、弱いかもしれないけれど。
気持ち悪くなんて、ないよ。
嬉しいよ。
ぼくにとって、黒崎くんがくれた"すき"は、間違いでも、きもちわるくもないんだよって。
ぼくが、黒崎くんに向ける"すき"は、きっと、たぶん、黒崎くんのそれとはちがうものだけれど。
………この思いを、そのまんま、つたえられたらいいのになぁ。
きっと、ぼくの言葉は足りていないとおもうから。
けれど、そのことばに黒崎くんの目は、見開かれて。
それから。
「……こちらこそ、ありがとう」
泣きそうで、でも嬉しそうなかおで、笑ってくれた。
その表情は、どこか安心したように見えて。
やっぱり、あのことばには相当な勇気が必要だったんだろうと、簡単にわかってしまう。
………黒崎くんは、つよいなぁ。
ぼくは、こわくて踏み出せないのに。
あんなに、安心できて、信頼できる先生の前ですら、まだ喋れないのに。
ぼくに、こんなにも覚悟のいる想いをくれるなんて。
こんなぼくが、黒崎くんの告白に、ごめんなさいをするなんて、バチが当たってしまいそう。
『だけど、ごめんね』
ーーーーでもね、だめなんだ。
確実に伝わるように、ことさらゆっくりと口を動かす。
『ぼく、好きなひとがいるんだ』
だって、さっきからぼくの脳裏に浮かぶのは、頭から離れてくれないのは。
たったひとりだから。
……いつからだったのかな。
わからない。
もしかしたら、あの"あお"を一目見たときから、そうだったのかも。
そのことばに、黒崎くんは、ゆっくりと目を細めた。
「うん、そうなんじゃないかな、って思ってた。
…………ほんとはさ、くやしいけど。」
俺じゃ、絶対叶わないもんなぁ。
そう言って、一度ぼくをぎゅぅっとつよく抱きしめてから。
「誰よりも、幸せになれよ。綺羅」
そう言って、ぼくの頭をくしゃりと撫でてから、ゆっくりと離れていった。
「俺はさ、何もできなくて、しなかったからさ。…………ちょっと、難しいけど。
それでも、綺羅の、幸せくらいは願いたいんだよね」
まっすぐ、まっすぐに笑う顔は、太陽みたいで。
…………"しあわせ"。
それは、ついこのあいだまで、ぼくからは1番遠かったことば。
けれど、今では1番近くにあることば。
"しあわせ"と、恐怖が隣り合わせだなんて、ついこのあいだまで知らなかった。
先生が、みんなが、僕に"しあわせ"をくれるまでは。
僕はいま、この"しあわせ"を失うのが、こわい。
もし、ぼくが、先生にこの"すき"を伝えたら、この"しあわせ"は、終わってしまうのかな。
そう思うと、とっても苦しい。
ーーーーだけど。
ぼくも、黒崎くんみたいに、つよくなりたい。
幸せをもらうだけじゃなくて、自分で何かしないといけないんだって、そう思ったから。
たとえば、黒崎くんと同じことをして。
先生が、ぼくと同じように思ってくれたとして。
それでもやっぱり、今とはすこし変わってしまうのかもしれない。
現に、ぼくの隣を歩く黒崎くんは、いつも通りに見えるけれど。
ぼくたちの間の距離は、いつもよりほんのすこしだけ、遠くて。
彼の声は、少しだけこわばっている。
……だから、もしかしたら、ぼくはあとで後悔するのかもしれないけれど。
だけど、それでも。
………ぼくは、この想いを先生に伝えようって。
そう、思ったんだ。
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