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第31話

ーーーー想いをつたえると、そう決めたはいいのだけれど。 「………………」 「………………」 もぐもぐ。 「…….……」 もぐもぐ。 「…………………………」 ぼくは家に帰ってから一度も、先生と話せていなかった。 …………きまずい。 ちらり、先生を見上げる。 …………しせんは、あわない。 いつもだって別にずっと喋っているわけではなくて。 むしろ、ぼくは喋らないし、どちらかと言えば静かではあるのだけれど。 「………………」 こんなに、ひとことも喋ってくれないのなんて、はじめてで。 どんなに見つめても、視線が返ってこないのだって、はじめてのことで。 そうして改めて、どんなに先生がぼくのことを気遣ってくれていたのかがわかる。 いつも、当たり前に向けられていた優しさは、決して"当たり前"のものではなくて。 むしろ、奇跡のようなもの。 わかっていたはずなのに。 ぼくはいつのまにか、慣れきってしまっていたみたい。 いつ見ても、かえってくる視線に。 なにか言いたいことがあれば、汲み取ってくれる、その優しさに。 「………………」 いつも優しくこちらを見てくれて頭が。 ひたすらにお椀に向けられている。 たった、それだけのことで。 ーーーーどうして、こっち見てくれないの。 そう、思ってしまう。 疲れているだけかもしれない。 もしそうなら、原因のほとんどは、きっとぼく。 だから、こんなわがままは良くない、わかっているのに。 その、伏せられた視線が、こわい。 …………ぼくが、"すき"を伝えようなんておもったから? ばちが、あたったのかな。 おいしいはずのご飯を飲み込むのがつらくなる。 胸がつっかえて、くるしい。 カタカタと小刻みに震える手に、お箸く音を立てる。同時に、じんわり滲む視界。 …………なんだか、すごく情けなくて。 いつもは、そんな思いごとあたたかい手がふんわり包み込んでくれるのに。 「…….…………」 ーーー結局、ご飯を食べ終わっても、お風呂に入っても、その手がぼくに触れることはなかった。 ーーーーーザァァア 先生がお風呂に入っている音を聞きながら、交換ノートにそろりと手を伸ばす。 ほんの数日で使い込まれて、すこししんなりしてきた表紙を指でなぞる。 「…………」 ぱらり。 1番新しいページをめくってみる。 つい最近かかれたばかりのそれ。 『綺羅ってプラネタリウムいったことある?』 『プラネタリウム?』 『部屋の中に、星空ができんの』 『部屋の中に?空?』 『見にいかねぇ?』 『いいんですか……?』 『おれがさそってんだから、いいに決まってんだろ。で、きてくれんの?』 『行きたいです!』 これを並んで書いて、笑いあったのはつい最近なのに。 『ーーー楽しみだな』 そう言って柔らかく細められた目は、今日になって、急に遠ざかった。 …………きらわれちゃった、のかな? 合わない視線は、オトコノヒトを思い出す。 あの人も、ぼくが大人しくしているときは、ひとことも喋らず、どこか遠いところを見ていた。 それこそが、まぎれもない、僕の"当たり前"で。 これも、そう遠くない過去のこと。 ……つい最近の日常だったのに。 それが、先生だというだけで。 「…………ッ…、ふ…………」 ーーーーたった数時間で、こんなにもつらい。 『ごめんなさい』 震える指で、交換ノートに、そう綴る。 震えていて、情けない字。 たくさん甘えてごめんなさい。 たくさん迷惑かけてごめんなさい。 たくさん付き合わせてごめんなさい。 ーーーーー好きになって、ごめんなさい。 それでも、この、"すき"は抑えられない。 『すきです』 震える手で触ると、ちいさく書いた、そのことば。 けれど。 ーーーぽたり。 落ちた雫がじんわりとその文字を滲ませていって。 ぼくの『すき』はぐちゃぐちゃに滲んで、すぐに読めなくなってしまった。

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