37 / 69

第37話

ーーーーーーピーーーンポーーーン。 鳴り響いたインターフォンの音に、神田さんは、一瞬迷うように手を止めて。 「…………はぁ。タイミングわるいなぁ、もう」 けれど、電気もついているし、出ないとまずいと思ったのか、ぼくに触れようとしていた手をとめて、玄関にむかっていく。 …………たす、かった。 いまだに恐怖でガタガタ震える体を、抱きしめる。 ……でも、これじゃあ、あのひとから逃れられるのは、ほんの少しの間だけ。 すぐに、かえってきてしまう。 どうしよう。 たすけを、もとめないと。 ……でも、どうやって? 声も、でないのに? どうしていいかもわからなくて、ただ心臓は痛いくらいに脈打って、手の先から温度がきえていく。 『死のうとしてたくせに』 そんな、まっしろな頭の中に蘇ったのは、さっきいわれたそんなことば。 「…………」 そうだ。どうしてぼくは、逃げようとしているんだろ。 だってたしかにぼくは、死のうとしていたのに。 死にたがって、けれど、いざこんな場面に直面したら、おびえて、こわがって、逃げようとする。 本当に消えたいならそんなこと、関係ないはずなのに。 矛盾したこの行動が、自分のことなのに、理解できなくて。 ぼくは、どうしたらいいのかな。 どう、したいのかな。 『…………せん、せい』 当然、こえは、でない。 けれど、口は勝手にそう動いていて。 なんだか、息をすることすら苦しくなって、足と足の間に顔を伏せて、まるまる。 ……くるしいよ。 せんせい。 …………せんせい。 たす、けて。 「綺羅」 びくり、まるまった姿勢のまま、体がかたまる。 「…………?!」 だってそれは、あまりにも聞き覚えのある声。聞きたかった声だったから。 でも、そんなはずはない。 きっと、都合のいい幻聴だよね。 先生に、あいたすぎて、ぼくの耳はおかしくなっちゃったのかな。 そう、思ったのに。 そろりと顔をあげると。 ふわりと、花の香りに包まれて。 「綺羅ッ…………!」 もう一度、耳元で。 大好きな声が、ささやく。 ほんとに、先生……? ぽろり。 落ちた涙が、先生の服にシミをつくった。 「無事で、よかった…………! ごめん、綺羅、ごめんな……!」 ぽたぽたと広がるシミを眺めながら、ただ呆然とその声に聴き入る。 そうすれば、その声は、なんだかいつもと違っている気がして。 …………泣いて、る? 確かめようとしても、先生は、ぎゅぅっとぼくを抱きしめていて、動けない。 ふれあっている所から感じる、先生の鼓動は、いつもよりずっとずっと速い。 ぼくを抱きしめる力も、いつもよりずっとつよい。 それだけで、先生がどれだけぼくを心配してくれたのか、どれだけ大切にしてくれているのか。 痛いほどにつたわってきて。 ーーーーよかった。 先生は、こわれてなかった。 その事実に、心の底から安心して。 からだから力が、ぬけていく。 震えが、おさまっていく。 ……………でも、どうして? もう、ダメだと思ったのに。 迷惑なんじゃ、なかったの? とうとう、"壊れちゃった"んだって、そう思ったのに。 どうして。 どうして、先生はまた。 …………ぼくを、たすけてくれるの。 もう、一生触れられないと思っていた体温に、香りに、包まれている。 「…………ぅっ、…………ふ、ふぅっ………………」 涙が、とまらない。 しゃくり上げるぼくの背中を、先生は優しく撫でる。 いつもと、少しも変わらない、優しい手つき。 「…………ぅ、…………ッ」 「ごめん、ごめん。不安にさせて、本当にごめんな。」 先生は、そう言って、一等つよく、ぼくを抱き寄せた。 ぼくも、おそるおそる先生の背中に、手を回そうとするけれど。 「………………」 ……ほんとうに、いいのかな。 いま、先生にまた、助けられたら。 本当に、もう、離れられない。 だって、先生がいない世界には、1秒もいたくない。 それが、わかってしまったから。 「不安にさせておいて、勝手だってわかってるけど、綺羅と離れたくないんだ。綺羅がいなくなって、心臓が止まるかと思った。お願いだから、帰ってきてくれ」 なのに、降り注いできた声は。 ぼくに優しい言葉ばかりで。 「…………なぁ、お願いだ、綺羅」 その言葉に後押しされるように。 ぎゅううっ、と、力一杯、先生にしがみつく。 ……すき。 すき。 すきだよ、先生。 ぼくだって、ううん、きっとぼくのほうが、離れたくない。 そばに、いてほしい。 ……そばに、いたい。 すき。 熱に浮かされたみたいに、先生への気持ちで、頭のなかがいっぱいになっていく。 さっきまでの絶望が嘘みたいに、幸せだった。 けれど。 「…………貴方は、綺羅くんの何なんですか?」 突然ふってきたその声に、冷水を浴びせられたような気持ちになる。 ……そうだ、いま、ぼくはこのひとの家にいたんだった。 なぜか、ぼくの名前を知ってる、ぼくと同じ顔で、ぼくが住んでいた家にすむ、このひと。 さっきまでの恐怖を思い出して、再び体が震えだす。 先生は、くるりと向きを変えて、ぼくから神田さんが見えないようにすると、宥めるように背中をトントンと、優しくたたいた。 「……失礼しました。私は、この子の保護者の、冴木と申します」 「へぇ……。"さえき"さん、ねぇ……?おかしなことを仰るんですね?綺羅くんの保護者は、"綺羅"でしょう?」 「……失礼ですが、あなたに話す義務はないと思うのですが。あなたこそ、どちら様ですか?綺羅に、なんの御用で?」 「これは失礼しました。私は神田と申します。 うーん、用事っていわれると困りますね。でも顔見たらなんとなくおわかりになると思うんですけどねぇ……」 なんだか、面白がってるみたいな、口調。 でも、きっと、また目は笑ってないんだろうな。 そんな気がした。 「まぁ、端的にお伝えすると、綺羅くんの、"生物学上の"父親ですかね?」 ーーーーそのことばに、先生がぼくを抱く腕が、こわばったのを感じた。

ともだちにシェアしよう!