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第39話
⚠︎流血表現あり
「…………じ、さつ?」
「えぇ、綺羅くん、家のむかいの柵から、飛び降りようとしてましたよ。私が止めていなければ、今頃どうなってたでしょうね?」
「…………綺羅、それ、ほんとか?」
先生の声は、いつになくかたい。
「………………」
こくり、しずかにひとつ、うなずけば、僕を抱きしめる手に力がこもった。
ぎゅうぅっと、存在を確かめるみたいに僕をだきしめて。
「…………ごめん、綺羅。ほんとに、ごめんな」
首元で、くぐもった声がそう呟く。
…………先生のこんなこえ、初めて聞いた。
ーーーーいろんな感情で、ぐちゃぐちゃ、みたいな。
とにかく、くるしそうな、こえ。
…………ぼくが、こんなにくるしそうなこえを出させてしまったんだよね。
そうおもうと、むねのおくが、きゅぅぅっと圧迫されたみたいに、くるしい。
……どうして今日、先生の態度が、急に変わってしまったのかは、わからないけれど。
いま、ここにこうしてきてくれるほどに、先生はぼくを大切にしてくれていて。
いつもだって、これ以上ないくらい、やさしく、甘やかしてくれて。
それなのに、ぼくは。
たった1日、様子がちがっただけで。
先生と、オトコノヒトを、かさねてしまった。
先生のことを、しんじきれなかった。
……"こわい"といって、ただ逃げた。
話し合おうとすら、しなかった。
なさけなくて、もうしわけなくて。
……あやまるべきなのは、絶対に、ぼく。
"すき"なのに、信用しきれていない、なんて。
ぼくは、どこまで、甘えるつもりなんだろう。
……そんなの。
「まぁ、そういうことなので。私としても、仮にも、自分の"こども"の綺羅くんを、あなたに預けるのはちょっと、ねぇ……。
だって、今度こそ、しんじゃうかもしれないし、ねぇ?」
「…………ッ」
もう、いやだから。
先生の腕の中で、もぞもぞ身じろぎをする。
「…………綺羅?」
不安そうな声で、そう問いかける先生に、顔を見せて。
「…………ぃ、……じょ、ぅ」
「!」
『大丈夫だよ』
そう、言った。
やっぱり、のどは苦しくて。
うまく、でない声。
たぶん、声だけじゃ、なにを言ったかさえわからない。
それでも、いいと思った。
緩んだ拘束から、するりと抜けだして。
「「!?」」
台所らしきところにはしる。
そのまま、したの台を開けると。
…………よかった、あった。
包丁を、取り出して。
そのまま、のどにおしつけた。
『…………冴木さんと、いっしょにいられないくらいなら、いまここでしぬ』
ーーー本気だった。
口の動きだけで、伝えたそれ。
「綺羅っ……!」
先生が、顔を青ざめさせて、今にも泣きそうな顔をするのが、わかる。
…………なんかいも、こんなことして、ごめんね。
今日は、そんな顔させてばっかりだね。
だけど、どうしても、離れたくない。
何だってするから、そばにいたい。
「さっき、僕に近寄られただけで、あんなに震えてなのに、そんな物騒なこと、できないでしょ。
ほら、危ないよ。強がらないで、こっちにおいで?
悪いようにはしないよ?」
対照的に、神田さんは、ひきつってはいるものの、どこか余裕のある笑顔を、崩さない。
声音も、あくまで優しさをよそおったまんま。
……ほんとうに、"そんなことできるはずない"って、思ってるんだろうなぁ。
だけど。
そのまま、腕に包丁を滑らせる。
グサリ。
「「!?!」」
一瞬、鋭い痛みが走って。
そのまま、傷口が、じんじんとあつくなった。
……包丁って、思ったより切れるんだなぁ。
なんて、ぼんやり考える。
ポタリ、ポタリと、僕の血が床にシミを作るのをながめてから。
ちらりと顔をあげた。
驚きすぎて、声もでないといった様子の、ふたり。
……神田さんも、これには、驚くんだ。
僕が、声を出さなくても、まったく気にした様子のなかった、神田さん。
……それは、"どうでもいい"、から?
…………それとも。
ぜんぶ、"しっていた"?
ぞわり、と悪寒がはしる。
ポタリ、ふたたび落ちた雫に、ハッとして。
すこし表情がくもった神田さんを、にらみつける。
『ざんねんだけど、ぼくは、痛いのはこわくないよ』
…………なれて、いるから。
『ぼくが、いま、こわいのは、冴木さんとはなれることだけ』
先生の、悲痛な表情に、ズキリとむねがいたむ。
……………ごめんなさい。
そんな顔、させて。
こんな方法しか、おもいつかなくて。
それでも、神田さんが、僕を"利用"したがっているなら、それを"利用"するしかなくて。
だって、きめたから。
先生の、そばにいたいから。
いることを、許してくれるなら。
…………もう、あきらめない。
だから。
こんなことしかできなくても、
それでも。
…………一歩踏み出したい、じゃなくて、一歩踏み出すって。
先生と、いっしょにいるために、自分も努力するって、決めたから。
だから。
『ぼくは、冴木さんと、いっしょにいたい』
ーーー今度こそ、"自分の意思で"動いてみせる。
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