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第62話
『今日は職員会議で大分遅くなるから、先に帰っててくれ』
終業式だからかな。
待ってろじゃなく、帰ってろって、そう言われて少しだけ寂しかったけれど。
困らせたいわけじゃないから、ほんのり茜色に染まる、空の下を、ひとりゆったり歩いて帰る。
…………今日で、高校一年生は、終わり。
充さんとはじめて話した時はあんなに冷たかった空気は、もうすっかり、暖かくなっている。
今まで生きてきた年月を考えたら、きっとそれはすごく短いけれど。
それでも、季節がひとつ巡るくらいの間、一緒にいたんだなぁって、なんだか感慨深い。
季節ひとつの間に、もらったものは、かぞえきれない。これからも、一緒にいられたら。
これから、いくつもの季節を一緒に重ねていけたら。
ぼくは、きっと、変わっていける。
そんな、気がするから。
だから、もし変われたら。
与えられるだけじゃない、そんなぼくになれたら。
その何倍もの季節をかけて、沢山のものを、充さんに返していきたい、なぁ。
そんなことを考えていると。
「わっ」
知らない声と、肩に軽い衝撃。
あわてて振り返れば、小さな女の人が、地面にうずくまっていた。
『ごめんなさい』
ぼんやりしていたから、ぶつかってしまったみたいで。
うずくまる女の人に手を差し出せば、その人は柔らかくわらった。
優しそうな雰囲気に、ほっとする。
「いえ、こちらこそごめんなさい。あなたこそ、怪我はなかった?」
コクリと頷けば、また安心したように笑って、ぼくの手を取る。
そして、そのまま立ち上がろうとして。
「いたっ」
そういって、うずくまってしまった。
「!?」
あわててしゃがみこんで視線を合わせると、女の人は足を抑えている。
ぼくがぶつかったせいで、痛めてしまったのかもしれない。
『大丈夫ですか?病院、いきますか?』
カバンからメモ帳とペンを取り出して、そう書くと、女の人は困ったように笑う。
「この後、急ぎの用事があるの……。申し訳ないんだけど、貴方、携帯持っていたりする?」
その言葉に、ふるふると首を振った。
『ごめんなさい、携帯持っていなくて……』
そう書くと、女の人は困った顔のまま続けた。
「私も忘れてきてしまったのよね……。じゃあ、本当に申し訳ないんだけど、家まで肩を貸してくれないかしら?ひとりじゃ歩けそうになくて」
その言葉に、迷わずうなずく。
『もちろんです。ぼくの不注意のせいで、すみません』
「私ももっとしっかり歩いていればよかったから、お互い様よ。じゃあ、申し訳ないけれど、お願いするわ」
そのまま、女の人に肩を貸して、歩き出す。
けれど、進むにつれ、感じる違和感。
女の人は、道を示す以外にはあまりしゃべらなくて、どこか焦っているみたいだった。
……そんなに、急ぎの用事だったのかな。
きっと、そうなんだろうけれど。
でも、怪我人にしては、すこしだけ早い歩調で案内される道には、嫌という程に、見覚えがあって。
ーーーーー逃げたい。
そう思うけれど、そんなことできるはずもない。
だって、この女の人はぼくのせいで怪我をしているのに。
でも、本当かな?
本当に、このひと、怪我してる…?
そんな風に思ってしまう自分がすごく嫌で、無理矢理足をすすめた。
きっと、気のせいだって。
だけど、進めば進むほど、既視感は、嫌な予感は、強くなっていった。
だって。
「次の角を、右でお願い」
やっぱりこれは。
「つぎの交差点を、左で」
"ぼくの家"までと、まったく同じ道。
まさかそんなはずはないと、そう思いたかったけれど。
「この建物なの。部屋の前までお願いしてもいいかしら」
その、"まさか"で。
なかば気が抜けたようになったぼくを引きずるように、一歩、一歩とすすんで、その女の人がとまったのは。
「ここよ」
ーーーーーーー"神田"の表札の前。
ぞわりとわきあがった恐怖に、腕を振り払って逃げようとしたけれど。
「だめ」
女の人が、抱きついてきて、離れない。
ーーーああ、やっぱり。
そんなことを思っても、今更どうしようもない。
そして。
「うん、もういいよ、お疲れ様」
聞こえてきたのは、1番聞きたくない声。
それと同時に、ガツッと、頭に衝撃がはしって。
「……ッ、」
ぐわんとくらんでいく視界にうつったのは。
「おやすみ」
うっそりと笑う、自分とそっくりな顔、だった。
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