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第63話

(side.冴木) 「だから、話が長いんだっつーの」 車を家へと走らせながら、ひとつ舌打ちをした。 学年末の職員会議ということもあって、遅くなるだろうとは思っていたものの、思った以上に、遅すぎる。 どうでもいいことをべらべらと長ったらしく語る教頭を何度黙らせたくなったことか。 今頃腹が減ってるんじゃないか、とか。 部屋にひとりきりで、寂しがってるんじゃないか、とか。 会議の間も、めぐむのことで頭がいっぱいだった。 「…………早く帰って、飯作ってやらないと」 もともと、信じられないくらいに細いのに、食まで細くて。いつか消えて無くなってしまうんじゃないかと、不安なくらいだった。 けれど、俺が作ったものはいつだっておいしそうに食べてくれて。 最近では、食べる量だって、ずっと増えた。 ……それでも、まだかなり少ないのだが。 なんて、こんなことをごちゃごちゃ並べたところで、全て、ただの言い訳に過ぎない。 勿論、めぐむが心配なのは嘘じゃない。 それでも、急ぐ一番の理由は、わかりきっている。 "俺が"めぐむと一緒にいたいからって、それだけだ。 どれだけ愛したって、愛したりない。 これ以上好きになんてなれるはずもないと思うのに、積み重なる日々とともに、愛しさも、積み重なっていく。 俺を見ると、柔らかく緩む表情も。 俺が触れると、恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに受け入れてくれるところも。 些細なことだって、ひとつひとつを大切にする、その姿勢も。 いつだって、俺をまっすぐに見つめる、その澄んだ緑色の瞳も。 いつだって、全てにまっすぐ向き合おうとするところも。 全部全部が愛おしくてしょうがなくて。 めぐむに会って、今まで経験してきた愛なんて、おままごとにすぎなかったのだと、知った。 めぐむのためなら、なんだってしてやりたいし、何を捧げたって、かまわない。 覚悟だって、きまっている。 この関係が、褒められたものでないことなんて、はじめから、わかりきっていた。 10歳ほども離れた年齢も。 生徒と先生という関係も。 男同士という、性別も。 ……………今一緒に住んでいる、この状況だって、事実だけ見れば、ただの、"誘拐"でしかないわけで。 "愛してる"なんて、どの行動の正当化にもならないことは、わかってる。 それでも、どうしたって、馬鹿みたいに、めぐむを愛しているから。 社会的地位だって、いらないし、世間から後ろ指を指されたって、構わない。 めぐむを守れて、めぐむを幸せにできるなら、そのために必要なもの以外なら、俺自身は何を失ったって構わない。 愛がもし質量化できるのなら、俺は愛に溺れて死んでいるだろうって。 そのくらいに、めぐむが好きなんだ。 …………あぁ、はやく会いたい。 何度だって、触れたい。 抱きしめたい。 口付けたい。 くちづけるたびに、慣れなさそうに、震えて。 それでも必死に応えてくるその様子を見ていると、とてつもなく、満たされて。 とろりと、甘く蕩けるその瞳を見ると、もっと甘やかして、とろとろに溶かして、ひとつに混ざり合いたくなる。 けれど、それは"今"すべきことではないから。 こんなにも愛おしいからこそ、めぐむが沢山のことを知って、見て、考えた、その後まで待つと、そう決めた。 めぐむの世界は、まだまだ狭い。 だから、何もかもを知って、それでも"俺だけだ"と、言ってくれる、その時まで待つのだと。 それでも、俺はいつだって、自分の理性を保つことで精一杯だ。 めぐむよりも、ずっと大人なのに、いつだって必死な自分が、なんだかおかしかった。 自分がこんなに余裕のない奴だなんて、思わなかった。 昔から、それなりになんでも出来て、特に必死になったこともなくて。 むしろ、必死になることが、かっこわるいとすら、考えていたのに。 「嫌じゃねぇんだよなぁ………」 不思議なことに、めぐむのために、必死になる自分のことは、嫌いじゃない。 ようやく着いた駐車場に、手早く車をとめて、家の鍵を開ける。 ……とにかく、はやく、めぐむに会いたい。 もう家に着いているというのに、扉ひとつ開ける時間さえ、惜しい。 あのふにゃりと緩む、柔らかい笑顔を見たかった。 パタパタと慌てて廊下をかける足音が、ききたかった。 『おかえり』と、そう動く口元を、見たかった。 それが、当然俺の家にあるものだと、信じて疑っていなかった。 「…………めぐむ?」 まず、真っ暗な室内に、違和感。 見下ろせば、めぐむの靴は、ない。 荷物を放り出して、部屋にかけ込めば。 鞄も、服も、かえってきた形跡すらない。 そこに広がるのは、朝家を出た時と、寸分変わらぬ、冷え切った部屋で。 頭が、真っ白になった。 これが、夢であってくれたなら、どんなによかっただろう。 けれど、これはまぎれもない現実で。 どんなに立ち惚けたところで、そこにあるのは、"めぐむがいない"という事実、ただそれだけだった。

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