68 / 69
第68話
(side.オトコノヒト)
家を出て、会社を辞めて、全てから逃げて。
惰性で稼いだ金を惰性で消費しつづけて、時間は過ぎた。
何がしたかったわけでもない。
めぐむから、自分から、現実から。
逃げられるのなら、それでよかった。
今の俺には、やりたいことも、見たいものも、行きたい場所も、なにもなくて。
だから、ずっと昔、"行きたかった"場所に、行った。
ーーーーー誰と?
そんな、心の声には、蓋をして。
そうして、たくさんの場所を訪れた。
それは、遠い場所だったり、すぐ近くにあるものだったり。
けれど、どこにいっても、虚しさが募るだけだった。
だって、どの場所にいっても。
………………いつだって、どこだって、そこには笑顔が、愛が、溢れていた。
それは、どれも、ひとを愛する人のための、場所で。
"愛する人"を喜ばせるための、場所。
俺みたいな奴が、行く場所なんかじゃ、なくて。
それでも、惰性で旅を続けた。
そうして数ヶ月。
貯金もほとんど底をついて、とうとう俺はこの無駄な放浪に、終止符をうった。
………………さて、この先どうしようか。
…………なんて、帰る場所もない俺に、先の選択なんてありはしないのだけれど。
それでも、最後に頭に浮かんだのは。
『おとうさん』
大嫌いな顔と、大嫌いな声だった。
俺は、なんて自分勝手なんだろう。
自分の感情に流されて、虐待して、挙げ句の果てに、1人家に置き去りにした。
それなのに、此の期に及んで、心配だとでもいうのか。
そんな資格なんて、あるはずない。
それでも。
ぎゅっと、手のひらにひとつ残る鍵を握りしめる。
家賃も払わず放置した家に、まだあいつがいるはずない。
そもそも、新しい入居者だって、いるはずで。
けれど、部屋の表札は、空白のまんま。
だから、これは賭けだった。
その鍵を、見慣れたドアに差しこんで、ゆっくりとまわす。
無理だと、そう思っていたのに。
ガチャリ。
鍵は、開いて。
「…………!?」
「〜〜〜〜♬♩〜〜〜♪〜〜〜〜〜」
そうして聞こえてきたのは、慈愛に満ちた、あいつの歌声だった。
ともだちにシェアしよう!