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十 違う世界

 それからひと月ほど、毎週続けて、清之介は私の元へやって来た。いつもよりも少し早い時間に、供を連れず、質素な着物姿でやって来るようになった。  まじめに珠算を学び、機織り、染物、職人の仕事について色々と知りたがる清之介に、私は惜しまず知識を与えていた。花巻のところで手習いをやっていたことは、彼にとっても私にとっても幸運なことであった。文字が読めるので、清之介に本を貸し与えることもできた。  学問が終わると、遠慮する私を押さえつけて、清之介はいつも私の股ぐらに顔を埋める。それにも慣れてきてしまった自分が、少しばかり嫌らしいと感じることもあったが、それで清之介の気が済むのならと私は彼のされるがままになっていた。  それ以上に、清之介の手技はやはり相当なものであった。美しい顔で、さも美味そうに私のものを咥え込む姿にも、なんとも言えない興奮を覚えるようになってしまっていた。  このままでは、他の客達と同じように彼を汚してしまいかねないと思いながらも、その快楽に逆らえなくなってきている。その事実に、私は気づかぬふりをしていた。  +  すっかり秋も深くなってきた頃、何の約束もしていない晩遅く、清之介はふらりと私の前に現れた。  涼やかな虫の声を聞きながら、私は細く障子を開いて絵柄を考えていたのだが、ふと人の気配を感じて障子を開くと、庭先に彼が佇んでいたのである。 「うわ、びっくりした」  私が目をまんまるにして声を立てると、清之介はちょっとだけ笑ってこちらへ近づいてくる。どこか仕事へ出ていた帰りなのだろう、血に濡れたような濃い紅色の着物を身に纏い、髪も酷く乱れている。  部屋に上げ、行灯の火で照らされた清之介の白い顔は、いつも以上に青白かった。 「……どうした」 「……」  私は乱れた清之介の髪を整えてやりながら、向かいに座って俯いている彼の暗い顔を見つめた。  見る間に目尻から涙が膨れ上がり、ぽたぽたと膝の上で握った拳の上に雫を落とす。私は仰天した。 「清之介?」 「うぅっ……」 「何かひどいことをされたのか」 「……分かんねぇ」 「何があったんだ」  私は清之介を抱き寄せた。微かに汗の匂いと、清之介のものではない香の匂い、男の匂いを嗅ぎとった私は、たまらず腕に力を込める。 「大外藩主の親父に……俺、随分気に入られちまって。ここんとこしょっちゅう藩邸に呼ばれて行ってたんだ」 「そうだったのか……」 「でっぷりした成金の匂いのする糞親父だけど、金払いもいいし、最初は別におかしなことしてくるわけじゃなかったから、いつも通りに身を売ってたんだけど」 「うん」 「でも今日行ったら、何人か女がいたんだ。それにもう二人男もいた。あいつら皆酔っ払ってて、女抱きながら俺を見るんだ」 「……」 「女にも飽きたから、今夜はこの子を食っちまおうって、男三人で俺を寄ってたかって……前も後ろも突っ込まれて、女達はそれを見てけらけら笑いやがった」 「……なんてことだ」 「散々好きにしたあとに、今度は女達に俺とやれっていうんだ。俺、女なんてまだ知りもしなかった。それに、そこにいた女どもを、俺は汚いって思った。なのに、でも、男どもに押さえつけられて、上に乗っかられて……」  私は言葉が出なかった。泣きながらついさっきの出来事を訴える清之介の背を抱きしめることしか、出来なかった。 「怖くて、全然勃たなくて……そしたら、あの糞親父がお前はここでしか感じないものなって、俺を四つん這いにして後ろからまた……。すげぇ嫌だったのに、俺……俺の身体……それなら勃つんだ。下にいた女がまた大笑いしてさ、これであたいも気持ちよくなれるって言って、やらされて……。すげぇ嫌だったのに、汚い汚いって思ってんのに、俺……何遍もいかされて、気が狂いそうになるくらい変な気分にさせられて……俺、あんなの嫌だったのに……!」 「もういい……もういいよ……」 「俺が一番汚いんだ! あんな下衆なことされて、それでもまた、あそこに行かなきゃなんねぇ。金いっぱいもらってさ、脚開いて尻突き出して、挿れてくださいって言わされて……! 一生こんな……俺、こんなことばかりして、一体何になるってんだよ!」 「清之介……」 「なぁ旦那。俺は旦那と知り合うべきじゃなかった。こういう世界もあるって知っちまって……俺に、こんなに優しくしてくれる大人がこの世にいるなんて知っちまってさ……どうしようもなく自分のいる世界が汚ねぇって思うようになっちまった……」 「……そんな」 「もう嫌だ……!! もう嫌だよ!! 何もかも汚ねぇよ……!!」 「清之介、しっかりするんだ。清之介」  取り乱し喚き始めた清之介の肩を揺すって、私は彼の目を真っ直ぐに覗きこんだ。  はっとしたように私を見返す目からは、ぼろぼろと大粒の涙が流れ続け、白い頬を真っ赤に染めて、清之介はしゃくりあげる。 「お前は汚くなんかないよ」 「……嘘だ」 「本当だ。お前はあの世界で、しっかり逞しく生きてきた。そして、私から学ぼうとした。少しでも変わりたいとと思ったからだろう?」 「……」 「何もかも諦めて、そこに安穏としていようと思えば出来たのに、お前はそこで足掻いている。前に進もうとしている。私は、そんなお前の姿をずうっと見てきたつもりだ」 「……でもそんなこと、どうにもなんねぇよ」 「どうにもならなくなんかない。清之介、お前が望むのなら、私はお前の人生を丸ごと買い取ったっていい」 「……え?」  頑なに頭を振って私の言うことを否定していた清之介の動きが、ぴたりと止まる。清之介の濡れた瞳が、じっと私を見つめた。 「私は、お前を身請けしたいと思っている」 「……はぁ? 何、言ってんだ」 「ここで、お前を一端の商人に育ててやる。清之助自身が、新しい人生を得たいと思うのなら」 「……馬鹿言うんじゃねぇよ。俺なんか引き取ったら、店の評判だって……」 「そんなものは関係ない。もともとこの店は、吉原と繋がっている時点でそう格式張ったものでもない。不名誉な噂ならすでにたくさん浴びてきた。今更私は何も気にしないよ」 「……でも……陰間を身請けなんて、聞いたこともねぇ」 「いいじゃないか、別に。私はお前の身体を買うんじゃない、お前の賢さや知識を求める姿……そういうお前の将来を買うんだ」 「そんな金……払わせらんねぇよ。だって、百両はいるって……」 「それくらい、払えない額じゃないさ」 「……本気で言ってんのか」 「本気だよ。お前がお前の仕事を続けられなくなった責任は私にもあるだろう。客として粋ではないことを散々してしまったわけだし」 「……そんなこと、ねぇよ」  私は清之介の頬を指で拭うと、火照った頬を冷やすように両手を添えた。戸惑いがちに私を見上げる清之介が、鼻をすする。 「お前はどうしたい、清之介」 「……」  清之介の瞳が揺れる。すうとまた一筋涙が溢れるのを、私は唇を寄せて舐めとった。塩辛く、熱い涙の味がする。 「……身請けするなら、あんたが俺の主人になるんだ。もっと偉そうに言ってくれなきゃ、駄目じゃねぇか」 「はは、そうだな」  少しばかり明るくなった声に、私は安堵して笑った。  笑みを浮べている清之介に軽く唇を重ねると、拳を握りしめていた彼の手が私の手に重なった。 「私のものになれ、清之介」 「……はい」  少し間をおいてそう答えた清之介を、私は改めて抱きしめる。さっきとは違う声音で涙を流す清之介の背を支えながら、私もひどく安堵していた。  これで、いいんだ。これでもう、この子の身を案じて眠れぬ夜を過ごすこともない。  私の手元で、大切に育てるのだ。この笑顔のままで、前を向いて歩けるように。

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