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第2話

 すべてのオメガたちが疲れ果てると、満足した財前は優位者の笑みで立ち上がり、美月の手を取り指先に口づけて去っていった。 「では、また」  ささやきに緩慢な動きで目を向けた美月は、わずかに唇を動かすだけで声を出さない。いかにも気だるく意識を濁していると示せば、財前はそれ以上のことをせずに帰っていく。  優秀なアルファであり、彼に望まれたいと願うオメガが多数いるのは知っていた。しかし彼は、美月の好みには合わない。隠そうとしてもにじみ出ている、オメガを下に見る雰囲気が、どうあっても気になって不快感をぬぐえなかった。  財前を気に入っているオメガたちは、それが気にならないのか、気がつかないのか。あるいはわかっていてもなお、財前を魅力あるアルファだと認識しているのか。  どうでもいいかと、美月は近づいてくる足音に耳を澄ませる。  離れていた護衛のベータたちがバスタオルを手に、それぞれのオメガを抱き上げる。己のベータの瞳に見え隠れしている情交の興奮に気づいて挑発的な顔をするものや、本当に疲れ切って身を任せているもの、疲れたふりをして身をゆだねているものたちがいる。  美月は疲れたふりでぼんやりと、己のベータ如月和真の手で汚れた体をぬぐわれた。  和真の目には、淫靡な光がかけらもない。どれほど好き放題に乱れるオメガたちを見ても、和真は性的な興奮を示したことがなかった。彼は不能なのではないかと美月は考え、そうではないとそそり立った彼の体を思い出す。 (不思議な男だ)  自分に対してこれほど冷静でいられる男を、美月は和真に出会うまで知らなかった。丁寧に体をぬぐわれて、服を着せられる。長い髪はひとつに束ねられた。  抱き上げられて、彼の肩に頭を乗せると滑るような足取りで運ばれる。揺れのすくない安定した歩みに、美月は目を閉じた。  この男のぬくもりは心地いい。  護衛のベータに襲われかけたという話を、美月はいくつか知っている。美月自身も、経験があった。しかし和真は安心だ。すこしも美月を害さない。それどころか傷つきやすい薄ものの陶器のように、繊細な指使いで大切に扱ってくる。  それを時々もどかしく、ものたりなく感じてしまうのは恵まれているがゆえのわがままだろうか。  美月たちオメガの部屋は二階より上にある。和真はしっかりと美月を抱えて階段を上り、部屋へと向かった。ほかの護衛たちはエレベーターを使う場合もあるが、和真はかならず階段だった。一度、その理由を聞いたことがある。答えは「鍛錬になるから」だった。  なんとも簡単な理由だと、あきれつつも愉快になった。  このベータは『天使の館』の天使の誰にも欲情しない。  そう認識すると、この男がなによりも特別に感じられた。天使に欲情しない男はいない。それがここにいるオメガをはじめ、管理者やアルファたちの共通認識だったから。 (めずらしい男が、僕の護衛)  それは美月の自尊心をくすぐった。彼が己のものになってよかったと思い、当然だとも考える。  なぜなら美月は、この館では極上の天使と言われていたから。  望んでそうなったわけでもないし、そうありたいと願っているわけでもない。特別視されることが、めんどうだと感じるときもすくなくなかった。けれど周囲のそういう視線は、本人の気がつかないうちに自己評価として張りついてしまう。  美月は無意識のうちに、そういう扱いを日常のこととして受け入れていた。  部屋に戻ると、まずはソファに寝かされた。和真がバスタブに湯を貯めにいく。その音を聞きながら目を動かすと、ローテーブルに手紙が一通、置いてあった。  誰からだろう。  手を伸ばし、差出人も宛名も書いていない封筒をながめて鼻を鳴らした。  こういう手紙はめずらしくない。オメガがオメガにあこがれて恋文めいたものを送ったり、相談事をしたためたりと、手紙の用途はさまざまだ。無線通信が発達している世の中で、オメガに許されている伝達手段は手紙だけ。メールや電話の使用は許されていない。そもそもオメガたちの居住区に、そういう設備は用意されていなかった。  希少種オメガの中でも、さらに希少な『天使』を管理する上で、どれほど規制をしても網目を抜けて、不特定多数と連絡ができる可能性を有するものは排除されている。  外部と連絡を取り、ここの実態を知られたりしては困るのだと、美月は考えている。あるいはホームシックにかかった誰かが外部と連絡を取り、抜け出してしまうことを危惧しているのか。  美月は封を切った。  瞬間、鋭い痛みが指に走る。 「っ」  顔をしかめて指を見ると、細い切れ込みができていた。ゆっくりと赤い球が現れる。 (ああ……いやがらせの道具だったか)  まったく、つまらないことをするものだと美月はあきれる。封筒の中にはカードが一枚。それを取るかどうか迷っていると、和真が戻ってきた。 「和真」  ケガをした指を見せると、和真はあわてて美月の手をつかみ、封筒を取り上げた。 「これ以外に、ケガは?」  首を振り、ついでに「気分の変化もない」と告げる。けれど、と美月は和真を見上げて小首をかしげた。 「なかにカードが入っていたんだ。なにか薬を仕込んでいたのかもしれないな。だから、念のために吸いだしてくれないか」  命じれば和真はわずかに顔をしかめて、美月の指をくわえた。キュッと血を吸われる。ティッシュを取った和真は、吸った血をそこに染ませた。 (そのまま飲めばいい)  血を吸う和真を見ていると、ムラムラと腰のあたりが興奮する。そんな自分が美月はきらいではなかった。あまり物欲のない、こだわりも薄い美月だったが、和真に対しては所有欲が強く働く。 (誰にもなびかない、僕に興味を示さない唯一の男だから)  しかもそれが量産型のベータであるという事実が、美月の興味をより強めていた。  優れた希少種のアルファ。劣等種とされながらも希少価値の高いオメガ。その間にある、いくらでも生まれて替えの利く量産型のベータ。  それが世界の常識だった。  希少価値の高いオメガの中でも、さらに貴重な『天使』と呼ばれる美貌を誇るオメガたち。その中でも群を抜いて称賛され続けている美月にとって、ベータでありながらオメガに魅了されない和真は未知の生物と同等の存在だった。  そんな彼の意識を自分に向けさせることが、いまの美月のいちばんのたのしみであり遊びでもあった。  だから――。 「和真」  艶めいた声で呼べば、和真は硬質な目で美月を見た。警戒をしているわけではない。無防備とさえいえる目は、護衛という任務に忠実な硬さだけを持っている。忠誠心がそのまま瞳になったと呼んでもさしつかえない。 (これは、僕のもの――僕だけのものだ)  彼のこの目を見るたびに、美月はそう実感し、優越感を胸に広げた。いやがらせの手紙を憎むより、和真を誘惑するきっかけを与えられたよろこびのほうが大きい。 「このくらいの傷であれば、空気に触れさせておくほうが、治りがはやいかと」  事務的な声にうなずいて、和真の首に腕を絡める。 「風呂」 「はい」  抱き上げられ、浴室に運ばれる。脱衣所で下ろされそうになって、美月は腕に力を込めた。 「疲れているんだ。おまえも脱いで、世話をしてくれるだろう」 「では、失礼して」  了承の言葉を聞いて、腕をゆるめる。床に座らされた美月は、服を脱ぐ和真をながめた。  すらりとした長身の和真は姿勢がいい。広い肩があらわになる。服の上からでもわかるほどに盛り上がった胸筋は、下から見るとよりたくましく感じられた。引き締まった腹筋とくびれた腰。ベルトに手がかかり、金具が外れる。ズボンが下ろされ、鍛え抜かれた太腿が現れた。自分の両腕ほどもある太腿に、美月はうっとりと唇をゆがめる。ギュッと身の詰まったふくらはぎと、研ぎ澄まされた足首。安定性のある大きな足。底から伸びる長い足指。  それらを丹念にながめていると、美月の体は熱くなり、ほんのりと男膣から愛液が漏れはじめた。  裸身になった和真の手で脱がされると、己の身の薄さと肌の白さが際立って、美月は恥ずかしいような誇りたいような、奇妙な感覚に苛まれた。  抱き上げられて、洗い場に行く。イスに座らされ、髪留めを外された。 「濡らしますよ」 「和真」  シャワーコックに伸ばされた和真の腕を掴んで、唇を薄く開く。 「体がまだ、おさまっていないんだ」  だから、お前の体を使わせろ。  言外でそう告げると、和真はおどろきもせずにうなずき、床にペタンと尻をつけた。 「どうぞ、お好きに」  よろこぶでもなく嫌悪するでもなく、淡々と受け入れる。そんな和真の胸に手を伸ばした美月は、自分の白い指と褐色の和真の肌色を見比べた。胸筋の溝をなぞり、鎖骨をくすぐって太い首を撫でる。そのまま指を持ち上げて、男らしい輪郭をたしかめると茶色のクセ毛に指を沈めた。  両手で和真の頭をつかみ、額に口づける。  すこし硬い髪の手触りに、美月の心がくすぐられる。中性的で繊細な『天使』のオメガたちよりも、男という性別を遺憾なく発している和真のほうがうつくしいと、美月は思う。  自分がそうなりたいというのではない。引き締まった筋肉におおわれた、たくましい体のラインがうつくしいと感じるだけだ。  自分にはないものだから、そう思うだけかもしれない。  美月はゆっくりと唇を動かして、和真の輪郭をたしかめながら自分の薄い胸と盛り上がった胸筋を重ねた。 (熱い)  褐色の肌には太陽が含まれている。だから自分よりも体温が高くて心地いい。淫靡な気配がかけらもないのは、まっさらな陽光とおなじものを和真が持っているからだ。  どうあがいても手に入れられない、手に入れてはいけない鍛えられた頑健な肉体。それが美月を惹きつける。 「和真」  ささやきながら胸乳をまさぐると、和真が下唇を噛んだ。ツンと尖った部分を指でクルクルもてあそび、唇をついばむ。美月の腹に、硬いものがあたった。興奮している和真に、美月の呼気が荒くなる。男膣から愛液があふれて、奥がうずいた。 「和真」  かすれた声で呼びながら、和真の肌に手のひらをはわせる。オイルを使わなくても奥が濡れることを、美月は和真を相手にしてはじめて知った。オメガがそうなることは知っていたが、体感では知らなかった。それは自ら望んで淫儀をしていなかったからだと、美月は思っている。  望んでいない交合だから、快楽を覚えても濡れはしなかった。和真との行為は、自分がしたがっているから男膣から淫液がにじむのだ。  ほかのオメガから、したい相手とするときは、たっぷりと濡れてしまうと聞いたことがある。つまり自分は和真に会うまでは、きらいではないがしたがってはいなかったのだと美月は知った。  どうして和真とは、したいと思うのか。  それは彼が自分に興味を示さないからだ。  めずらしい相手だから、試してみたくなる。試しても試しても、和真は美月におぼれない。だからよけいに、したくなる。  ほかの誰かとの行為は、すべて相手の望む形で進められる。しかし和真となら、主導権は美月にある。それもまた、彼としたい理由のひとつかもしれない。 「ぅ……ん」  胸に吸いつき、いきり立った部分を扱くと和真がうめいた。眉根を寄せて苦痛に堪えるように快楽を抑えている和真の顔は、最高に色っぽい。奔放に乱れているオメガたちよりも官能的だ。  クスクスと息を漏らした美月は、和真の腹筋を舌でなぞってヘソをくすぐり、下生えをまさぐりながら怒張した先端にキスをした。根元を両手で支えて舌先で鈴口をなぞると、和真の腹筋が波打った。必死に快楽を堪えるいじらしい姿に、美月の体が熱くなる。 「ああ……和真」 「んっ、う」  苦痛にも似た快感の吐息を引き出したくて、クビレにかるく歯を立てる。 「は――っ」  息を呑んだ和真のそこを、今度は舌先でなぐさめた。次々にあふれる和真の欲液と呼応して、美月の奥が濡れそぼる  ほぐさなくても、さんざん乱れた後だから準備はできている。  美月は和真の腰をまたいだ。目元を赤らめた和真が胸をあえがせている。 「和真」  両手で頬を包んで上向かせれば、濡れた瞳に美月が映った。ゾクゾクッと体を震わせ、美月は鮮やかな笑みを浮かべる。  これから、この男を支配するのだ。 「和真」  広い肩をつかんでゆっくりと体を沈める。和真の手が美月の腰を支えた。 「ぁ、んっ……く、ぅ」  先端が美月のすぼまりを割り拓く。息を詰めてグッと腰を落とし、張りだした部分を呑み込んだ。 「は、ぁ……あっ、あ」  顎をそらして溜めていた息を吐く。ひくつく入り口が和真のクビレに食いついている。奥が空虚を訴えて、はやくはやくとうごめいていた。 「ふっ、ぅ……うう、ん……く、ぁあ」  ズ、ズ――と慎重に体を下げる。足が滑って落ちないように、和真の手が支えてくれる。彼の肩を掴む美月の指は、擦られる内壁の刺激に痺れて力を失っていた。 「ああ、ぁ……んっ、んは、ぁ、ああ」  甘美な痺れが全身に広がる。  根元まで呑み込んだ美月は、ホウッと天井に濃艶な息を吹きかけ、恍惚の笑みを和真に向けた。  ゴクリと和真の喉が動いた。内壁に包まれた和真の熱がビクビクと震えている。美月の内壁は収縮してそれをなだめ、あるいは煽り、興奮の度合いを高めていく。 「ああ、和真」  唇を重ねて、美月は上下に体を揺らした。熱く乱れた和真の息に舌を絡めて、快感を追いかける。 「んっ、んふ……ふっ、んぅ……あっ、あ、和真」 「は、ぁ……美月っ、く、ぅ」 「まだだ……まだ、和真……僕が許可をするまでは……っ、まだ」 「んっ、ぅ」  美月の蜜と和真の液が混ざりあい、結合部分の隙間からあふれ出る。それに空気が含まれて、淫猥な音色を響かせた。 「ああっ、ぁ……和真……く、ぅ」 「美月――ッ!」  激しく腰を振り立てた美月に合わせて、和真が深く突き上げる。 「ひっ、ぁ、あはぁあああ――」  背をしならせた美月は、内壁できつく和真を絞りながら彼の腹筋に情欲をまき散らした。ドッと熱い奔流が美月の中に注がれる。軽く揺さぶられて余韻のすべてを吐き出しながら、美月は口元を笑みにゆがめた。 (気持ちいい)  これほどの快楽があるなんて、和真の上に乗るまでは知らなかった。もっともっと彼の快楽に歪んだ顔を見ていたいが、体力がそれを許してくれない。  うしろに倒れかけた美月を、和真の腕が受け止める。抱き寄せられて、和真の汗の香りを嗅いだ美月は目を閉じた。 「美月」 「疲れた。眠い」 「眠っても、かまいませんよ」 「ん」  どんな顔で自分を洗うのか見ていたい。しかしまぶたは重たくて、体は眠気に包まれている。 「夕食まで、ひと眠りなさってください」 「ん」  気だるい美月の耳に、やわらかな和真の声がぼんやりと響いた。安心感に包まれる。 「美月」  節くれだった長い指が、美月の髪を梳く。美月は目を閉じ、和真の胸にすべてをあずけた。ゆっくりと意識が沈んでいく。体内に呑んだままの和真の存在が、自分の背骨と融合していく不思議な感覚に陥って、美月はフフッと鼻を鳴らした。 「美月?」 「ん……和真」  目を閉じたままキスを求める。和真が動かないので、美月から唇を押しつけた。  護衛のベータは、自らオメガを求めてはならない。  誰の目もない場所でさえ、それを律義に守る和真の真面目さが心地いい。  彼は絶対に自分を傷つけない。  そんな確信を与えてくれる和真の存在は、美月にとってはなにものにも代えがたい贅沢だった。  護衛となるベータのすべてが、職務に忠実なわけではない。なかにはオメガの美貌に我を忘れて、欲望に走ってしまうものがいる。そんな事件が、美月がここに収容されてから八年の間に幾度か発生していた。  美月自身がそうなりかけたこともあった。  あの日の恐怖を思い出し、美月はブルッと震えて和真の肌を確かめる。 (和真ならば大丈夫)  だからこそ彼を玩具にして、己の快楽を極められる。  和真がいればなんの心配もいらないと、美月は彼を内側で抱きしめながら意識を手放した。

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