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第4話

「天使の戯れというよりも、神に甘える天使というところかな」  棘を含んだ目で親しげに話しかけられ、美月はそちらに顔を向けた。健康的な肌色の、茶髪の青年が立っている。背は美月よりも高い。身幅は薄いが華奢という印象は受けず、繊細だが男性的な体のラインをしていた。 (名前は、たしか) 「祐樹」  彼の名を呼ぶオメガを、幾度も目にしたことがある。つまりそれだけ、彼はオメガたちに親しまれている存在だった。美月とは逆の意味で、目立っているので知っていた。  祐樹は身をかがめて、美月と目の高さを合わせた。 「美月はこの館では古参の域に達しているから、天使のレベルを抜け出して神様になっているんじゃないかな」  あからさまな嫌味に、美月は気がつかないフリで苦笑した。 「僕が神様になれたら、外出日を作れるのにね」  たわむれに冗談をつぶやけば、わあっと美月に甘えていたオメガたちが顔を輝かせる。 「外出日ですか?」 「うん、そう。その日は街に出かけて、買い物をしたり好きなものを買って食べたりできるんだ」 「映画を観たり、本を買ったり」 「遊園地にも行きたいです」  目を輝かせるオメガたちに毒気を抜かれた祐樹が鼻白む。ここに連れてこられるまでの、あれこれを話しはじめた真澄たちに感化されて、あちらこちらで館の中では手に入らないお菓子のことや映画の話などが花開いた。おなじ話題に引き寄せられて、真澄たちが美月のそばから離れる。 「もっと自由に外出ができれば、たのしいと思わないか?」  美月に水を向けられて、まあなと祐樹はつまらなさそうに肩をすくめた。 「だけど、それほどいい提案だとは思えないな」 「そうかな?」 「すくなくとも、僕自身はそうなんだよ」  声を落とした祐樹に、美月は暗い影を見る。どういう経緯で彼が館に来たのかは知らないが、はたから見れば優遇されているかのような美月の扱われ方に嫉妬をするくらいの、なにかがあったらしいことはうかがえた。 「そうか。それじゃあ、君はずっとこの館にいたいの?」 「まさか。僕たちオメガはアルファに引き取られてからが人生の本番なんだ。ここにいる間はまだ、さなぎみたいなものだよ」 「さなぎ」 「そう。虫の、さなぎだ。僕たちはさなぎになって、館という繭に守られている。そこから羽化をするために、アルファの手助けが必要なんだ。どのアルファに気に入られるかで、どんなふうに羽化できるかが決まる。だから僕は、僕をうつくしく羽ばたかせてくれるアルファに認められたい」  ふうんと美月は鼻を鳴らした。 「美月は、そうじゃないのか」 「僕は……どうだろう。さっき祐樹が言ったように、僕はどのオメガよりも長く、ここに住んでいるから。だから、もうよくわからなくなっているんだよね」  けげんに片目をすがめて、祐樹はオメガたちが退いて空いた美月の隣に腰かけた。 「どういうことだ」 「う……ん」  すこし迷って、美月はポツンと声をこぼした。 「このまま、ここの教官になってしまってもかまわないかな」 「え」  呆然とする祐樹に苦笑して、美月は立った。 「そろそろ部屋に戻るよ」 「それは、本心なのか」  真剣な案じ顔に、美月は「不思議だな」とつぶやく。 「なにが」 (嫌味を言ってきたくせに、いまは心配をしている)  とは言えなくて、美月は意味深な笑みでごまかした。 「美月」 「話すと長くなるから」 「君の部屋に来いというのか」 「どちらでも。好きにすればいいよ」 「美月、君は……どうしてここに来たんだ?」 「その質問は、無意味だと思うよ」 「なぜだ」 「この館は行きたいと望んで入る場所ではないし、行きたくないと拒絶できるものでもないだろう」  なるほどと祐樹がうなずく。 「どうしてと問われたら、選ばれたからと答えるしかないんだ。ここは」 「たしかに、そうだ。だけど」 「だけどもなにもない。選ばれて、連れてこられた。ただそれだけが真実だよ。それとも君は、ここに入りたいと望んで努力して、それで選ばれたというの?」 「僕は……そう、かもしれない。可能性があった。だから、努力はした」 「ここに入る素地さえあれば、努力なくても館の調査員に見出されるよ」 「どうして」 「知らないのか?」  美月は眉を上げて意外だと示しながら、祐樹の肩越しに奥のテーブルで談笑しているオメガを見た。視線を追って、祐樹が振り向く。 「彼……名前は忘れたけれど。短い黒髪の、エクボの彼」 「勝也だな。あいつが、どうかしたのか」 「ここに来てすぐのころは、もっとこう……ふくよかだった」 「え」 「調査員はそれでも彼を見いだして、館に連れてきたんだ。そこから訓練をさせて、あの状態にしたんだよ」 「そう、だったのか」 「信じられないのなら、彼に聞いてみるといい。――だからつまり、努力をしなくても素養があれば、調査員は天使になれるオメガを見いだす……と、言いたかったんだ」 「僕の努力は無駄だったと?」 「そうじゃない。努力をしたぶん、はやく正規の教育を受けられたって側面はあると思う。彼……ええと、勝也は、訓練が終わるまでは通常の教育をなされなかったからね。余計な時間を使ったとも言える」 「美月がなにを言いたいのか、よくわからないな」 「僕もよくわからなくなってきたよ」  クスリと美月が鼻を鳴らすと、好意的な顔で祐樹があきれた。 「選ばれるべくして選ばれたから、館に来た理由なんて関係ない。望んでも得られないものは得られないし、拒絶をしたくてもできない制度だから――と、まとめればいいのか?」 「ああ、そうそう。そういうことだよ。だけど、言いたいのなら聞くのはやぶさかじゃない。ここの生活は単調だから、他人の人生は刺激になるよ」 「それは、わからないでもないかな」  うんとうなずいた祐樹に右手を差し出され、どういうことかと美月は目顔で問うた。 「もっとお高く澄ましているやつだと思ってた。勘違いしてて、悪かったな」 「ずいぶんと、わかりやすいというか、素直なんだな、君は」  伸ばされた右手を握って、美月はまっすぐに祐樹を見た。 「君も、財前さんに呼ばれたいのか」 「彼に呼ばれたくないオメガがいるなら、教えてほしいくらいだ」  左右に視線を走らせてから、美月は祐樹の手を引いて和真に声をかけた。 「客人を連れて帰るよ、和真」 「えっ」 「僕の部屋で話をしよう」 (祐樹なら会話ができるかもしれない)  美月は有無を言わさず祐樹を引っ張って談話室を出た。祐樹の護衛がついてくる。とまどいながらも祐樹は無言で美月についてきた。  部屋に入り、ソファを勧めて隣同士に腰かける。祐樹の護衛はドアの横に立ち、和真はキッチンへお茶を淹れに行った。 「和真はお茶を淹れるのがうまいんだ。口に合うといいんだけれど、苦手じゃないかな」 「いや。大丈夫だ。それで、どうして僕を部屋に?」  うん、と声を落として祐樹の様子をうかがう。 「言いづらいことなのか」 「祐樹なら、話が通じるんじゃないかと思ったんだ」 「なにが」 「財前さんのことだよ」  チラリと美月は祐樹の護衛に目を向けた。気づいた祐樹が大丈夫だと言いながら、話を聞くなと片手を振る。するとお茶を運んできた和真が、祐樹の護衛を誘ってキッチンに移動した。 「あそこにいれば、なにを話しても聞こえることはないから、安心して会話をしろってことか。美月の護衛は気が利くんだな」  和真のことで感心されて、美月はなぜか誇らしく、照れくさくなった。 「護衛同士で会話をしたいだけかもしれないよ。職務中に誰かと親しく接することはないから」 「それは、あるかもしれないな。あいつらも護衛の前にベータという人間だもんな」  さらりとこぼれた祐樹の言葉に、そうかと美月は目を開いた。 「美月?」 「ああ、いや。なんでもないよ」 (ベータという人間。祐樹はそういう考え方をしているのか)  急速に親しみがふくらんで、祐樹に向ける美月の視線がやわらかくなった。 「なんでもないって感じじゃないけどな」  まじまじと顔をのぞきこまれる。軽く首を振ってから、美月は硬い声を出した。 「財前さんのことだけど。あの人は、それほどいいアルファでもないよ」 「どうして」 「彼は、その……親切な顔をしているけれど、オメガを見下しているから。だから、それをごまかしているぶん、ほかのアルファよりもひどいかもしれない。劣等種のオメガを紳士的に扱っている自分に酔っているだけなんだ。――彼に呼ばれたことは、なさそうだね」  ざっと祐樹の容姿を確認した美月に、おかげさまでと皮肉っぽく祐樹が返す。 「財前さんの好みは、中性的な天使のようだからな。僕みたいな男らしい……と言うほどでもないけど、どこからどう見ても男にしか見えない、ここの中では体格のいい部類に入るオメガは、趣味じゃないみたいだ」 「それを悪いと言っているわけじゃない」 「わかっているさ。僕みたいなのが好みなアルファもいる。そういうアルファは美月には興味を示さない。――だろう?」 「そう。どちらがいい、というわけではないんだ。僕が注目されているのは、僕がアルファの誘いを断っていた時期が長かっただけで……だからなんとなく、僕が特別な存在みたいに思われてしまっただけだから。べつに、どうということはないんだけれどね」 「アルファの誘いを断れるなんて、相当なことだと思うけどな。すくなくとも、オメガがアルファに声をかけられて、拒絶をするなんて聞いたことがない。制度的には、ありってことになっているけどさ。ここにいる誰もが、そんなことはしようとも思わないどころか、思いつきもしないんじゃないか? 美月がそうなった理由は……聞かないほうがいいのか」  興味津々な顔で気遣いの言葉をかけられて、美月はあいまいな返事をした。 「それより、財前さんの話だ。どうして彼が、あれほどオメガたちに人気があるのかわからないよ。笑顔の奥はとても冷たい。それに気づいていないのなら、不幸な選択をしてしまうんじゃないかと心配になるんだ」 「僕は美月がそんな暗い顔をする理由がわからないな。財前さんに呼ばれたオメガから、彼の悪いウワサを聞いたことはないから」  カップに手を伸ばした祐樹が、おいしいとつぶやく。美月も紅茶に手を伸ばし、口を潤した。あたたかな紅茶に心身がほぐれる。 「どんなことを部屋でしているのか、聞いたことは?」 「遊びを彼に見せているだけだと、誰もが言っている。その中に、あとから美月も混ざるって。そのときには、美月の体がよく見えるように、みんなで美月を気持ちよくさせてほしいと頼まれるんだと言っていたな」 「そう……なのか」 「知らなかったのか」 「そういうふうにされてはいるけど、そう命じられているとは聞いていないな」 「ふうん?」  ジロジロと祐樹が美月を観察する。 「ウソはなさそうだ」 「つく必要がないよ」 「財前さんを取られないために、という可能性があるだろ」 「僕は彼に執着していないし、そんなウソは牽制にもならないだろう」 「相手が美月に執着しているだけ……か? それを嫌味と取る連中がいるから、言わないほうがいい」 「祐樹もそのクチか」 「まあ、そうだ」  おどけた様子で肩をすくめられた。 「正直だね」  苦笑する。 「美月に自覚がないってことを知ったからな。反省も兼ねて白状したんだ」  眉尻を下げて頬を掻く祐樹に、美月は正直な感想を述べた。 「いいやつだな」 「その評価は、どうでもいいやつに聞こえなくもない」 「ひねくれもの」 「美月はそう見える」  クスクスと笑い合い、紅茶を口に運ぶ。 (こんなふうに、会話がたのしい相手は久しぶりだ)  彼を部屋に誘ってよかった。 「そんな顔で笑うんだな」 「え?」 「いつも、取り澄ました顔をしているからさ」 「警戒をしているだけだよ。油断をすると、傷つけられる」 「まあ、そうだ。だけど、素直に自分を開いてみたら、相手も警戒を解いてくれるって場合もあるぞ」 「人それぞれか」 「人それぞれだ。――それで? 財前さんのことを気に入っているわけではないから、どうにかしてほしいと言いたいのか。それとも、財前さんの悪評を広めてほしい?」  すこし考えて、どちらも違うなと美月は首を振った。 「あの人がなにを考えているのか、僕にはさっぱりわからない。僕を使って自尊心を満たしているだけなんじゃないかな。そんな人に多くのオメガがあこがれているのは、どうしてなのかなと思ってる。それほどいい人じゃないのにと、ずっと不思議に感じているんだ。祐樹なら、それを話せそうな気がした。それだけだよ」 「つまり美月は、話し相手がほしかったというわけだな」 「えっ」 「友達がほしかったんだ。そうだろう?」  顔を近づけられて、美月は満面を朱に染めた。 「そっ、な……僕は」 「照れなくてもいいって。美月はアルファからもオメガからも、特別視されているんだ。気楽に会話ができる相手なんて、そうそういないだろうから、そういう相手がほしかったっていうのなら話はわかる。その相手として僕を選んでくれたんだろう」 「会話ができる相手だと判断した。それだけだよ」 「つまり僕とは友達になれそうだと。そういうことだな。――うん。いいよ、美月」 「なにが」 「僕と、友達になろう」 「えっ……あっ、ん」  顎に指をかけられて上向かされた美月の口に、祐樹の唇が重なった。

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