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第11話
キッチンから戻ってきた和真と秋定は、無表情ながら親密な気配を帯びていた。それに美月の心がざわめく。
(どうしたっていうんだ)
感情の動きに理性がついていけない。
「護衛戦についての情報交換は、終わった?」
「そちらは、俺との関係を美月さんに伝えたんですか」
「うん、伝えた。なあ、美月」
「ああ……うん。聞いたよ」
答えつつ、美月は和真を観察する。これといって変化は見られない。新しい情報を仕入れたわけではなさそうだと、美月は判断した。秋定が口を開く。
「護衛戦はおこなわれそうですが、順位によって護衛を変えるかどうかという話は、あくまでもウワサの範疇は超えないという結論に達しましたよ」
「だけど、絶対にないとは言い切れないんだな」
「ええ」
祐樹に答えながら、秋定は確認するような目を和真に向けた。
「和真」
美月も問うてみる。
「はい」
「おまえも、おなじ見解なのか」
美月の質問に、和真はすこし考えてから「はい」と答えた。
「その間が気になるな」
祐樹に指摘され、和真は重たそうに唇を動かした。
「護衛たちの間では、護衛戦はおこなわれるという前提でのウワサになっています。そして、護衛の交換をささやいている連中は、希望的な雰囲気を持っているとの見解に達しました」
「つまり、いまの相手に不満があると言いたいんだな」
「ええ」
(そうなると、どうなるのかな)
「護衛としっくりきていないオメガが、アルファに護衛の交代をさりげなくアピールする可能性があると。そこからウワサがほんとうになるかもしれないって考えたんだろう」
「そのとおりです」
すぐに察した祐樹は立ち上がった。
「もっと情報を集める必要がありそうだ。――美月。僕は中庭に出て、それとなく話を集めることにする」
「それじゃあ、僕は」
「美月はなにも知らない顔で、普段通りにしていてほしい」
「たしかに僕じゃ、ウワサを集められるほど交友が広くはないけれど」
「問題はそこじゃなくて。美月は、目立つんだ」
「僕が?」
「特別視されているってことは、注目してる人間が多いってことだからさ。もどかしいかもしれないけど、知らぬ存ぜぬって顔で、いつものしれっとした態度でいてくれよ」
そんな態度を取っているつもりはないが、ともかく美月はうなずいた。
「それと、和真といろいろ話し合っておいてほしい」
「それって」
「とにかく、部屋から出よう。追い立てるみたいで悪いけど、手遅れになると困るから」
「わかった」
なにか言いたい気もするが、言葉が見つけられないのではどうしようもない。美月はおとなしく祐樹に従い、中庭に向かう彼等と別れた。
(さて、どうしようか)
和真を見上げ、考える。
「部屋に、戻りますか」
「どうして」
「詳しい話を聞きたいかと」
じっと和真をながめてから、美月は「そうする」と答えつつ周囲に目を向けた。
(べつだん、変わった様子はないけど)
通りすがりに目にしたオメガや護衛たちは、いつもどおりにしか見えない。
(普段から気にして見ていたわけじゃないから、わからないのかもしれない)
和真の目には、変化が映っているのだろうか。
それをはやく聞きたくて、美月はせかせかと部屋に戻った。
ドアを閉めてひと息つくと、なにも命じていないのに和真はキッチンに入り、冷えたハーブティーを持ってきた。
「どうぞ」
「うん」
受け取り、喉を潤す。半分ほどを飲みきってから、ソファに落ち着いた。
「和真も、座って」
「失礼します」
向かいに腰かけた和真を、美月は観察する目でながめた。
(和真は、僕を大切に扱っている)
だから手を出さないというのは、どういうことだろう。考えてもわからないものは、聞くしかない。祐樹も本人に聞かないとわからないと言っていた。けれど、どう切り出せばいいのか。
(だしぬけに質問しても、いいのかな)
ためらいが美月の喉を抑えている。言いよどむ美月をまっすぐに見ながら、和真が口火を切った。
「護衛戦の話ですが、おそらくは近々開催されると考えます」
「あ、ああ……うん」
それが当面の問題だったと、美月は個人的な疑問を押しのけて背筋を正した。
「和真は、護衛の交代があるって言われたら、どうするんだ」
「どうする、とは?」
「従うしかないよね。アルファが決めたものなら」
ギュッと手を握って、美月は体を硬くした。和真はじっと美月をながめ、ゆっくりと口を開く。
「そう、ですね……アルファの決めたことなら、従わざるを得ませんね」
ヒヤリと美月の胸が冷えた。
「ですから、狙った順位になれるよう努力をいたします」
「えっ」
「なにか?」
「いや……うん、そう……だね」
(そういう考え方もあるのか)
冷えた胸にぬくもりが戻ってくる。
「どうなると思う?」
「護衛戦は、あると思いますよ。任期を終えるものもいるので、アルファやオメガに自分の力量を見せる機会がほしいと望んでいるものも、すくなくありませんから」
「三年ごとの更新だと、まえに聞いたけど」
「ええ、そうです」
和真は、と言いかけて美月は声を飲んだ。
「秋定は……祐樹は十八になってから引き取られたと言っていたけど、まだ三年にはならないんじゃないのかな」
「二年目のはずです」
「そうか」
「はい。俺は、三年目にあたります」
聞きたいことを告げられて、美月の喉がグウッと鳴った。
「更新の年なんだね」
「はい」
このまま続けるのかと聞きたいのに、喉がふさがって声がだせない。動揺している自分に気づいて、どうしてだろうと疑問を浮かべつつ、とりあえず落ち着かなければとグラスに口をつけた。
さらりとした飲み口の茶が喉に落ちる。けれどつかえは取れなかった。
(どうして僕は、聞けないんだろう)
変な質問ではない。自分の護衛がどうするのかを、知りたがるのは当然だ。護衛が変われば、いままでとは生活のこまかなことが変わってしまうのだから。
(なにを怖がっているんだ)
自分を押しとどめているのは恐怖だと、気づいた美月はますますわからなくなった。どうして答えが怖いのか。いずれ聞かなければならない、時期がくれば知ることなのに、先延ばしにしたがっている。
(いったい、どうしたっていうんだ、僕は)
わからない。
困惑する美月に、和真はほほえんだ。
「更新を願い出るつもりです。――美月の護衛を続けたいと」
「そ、そうか」
体中から力が抜ける。ホッとした美月は笑みをにじませていた。自分がそんな顔をしているとは気づかないまま、ソファの背に体をあずける。
「ああ……いろいろなことを考えて、なんだか疲れた」
「どのような話をなされたのですか」
「うん? うーん」
どう説明すればいいのか。祐樹との会話を思い返せば、これといって話題は展開していなかった。おなじ問題をいくつか、繰り返していただけだ。
(でも、わからないものはたくさんできた)
館の外を知っている祐樹は、美月には見えないものが見えている。それを質問しようとすれば、はぐらかされた。言いたくないのか、言うべきではないと考えたのか、言ってもわからないと判断されたのか。
(どれだろう)
それらをすべて、まるごと和真にぶつけてみれば答えてくれるだろうか。和真も祐樹とおなじか、それ以上に外の世界を知っている。館の中が世界のすべてと言っても過言ではない美月が、いくら考えてもわからないことを簡単に解いてしまえるはずだ。
「和真」
「はい」
なにから問おうかと悩んだ美月の脳裏に、ひときわ大きく表れた質問があった。
(和真は、僕を大切に思っているのか。どうしてそれが、手を伸ばさないという行為と繋がるんだ)
なによりも、それが聞きたい。
「あ、の……和真」
「はい」
ゴクリと喉を動かして、美月は前にのめった。
「き、聞きたいことがあるんだ」
お茶を飲んだばかりなのに、喉が渇いて声がかすれる。
「ぼ、僕を――」
「大丈夫ですよ、美月」
「えっ?」
「自分で言うのもなんですが、もし順位によって護衛を変えるとなっても、俺なら優勝ができますから」
なごやかな顔で言われて、美月はポカンとした。言葉は聞こえているのだが、意味が脳に浸透しない。
「自信がありすぎると、よけいに不安にさせましたか?」
「――いや、ああ……うん、ええと……優勝?」
「はい。オメガの順位を決めるのなら、美月はおそらく頂点になるでしょう。ですから、優勝……と」
「ふ、ふうん」
自分の順位など、すこしも気にしていなかった美月は、上滑りする返事を返して和真の言葉を噛みしめる。
(優勝ができる、だって?)
それをさらりと言ってのける和真の実力は言葉通りなのか、それとも美月を安心させるための方便なのか。
(どっちでもいい)
自分の順位も、和真の実力もどうでもいい。たとえ彼の言った通りであったとしても、実際の勝負ではどうなるかわからない。それよりも、確実に護衛の交代がオメガの意思以外でおこなわれないようにしなければ。
(どうすればいい)
「美月?」
考え込んだ美月を和真が呼ぶ。
「ほかに、なにか聞きたいことでもあるのではないですか」
「どうして」
「ずいぶん長いこと、祐樹と話をしていましたから。ほかにもいろいろな話題が出たのではないかと。それとも、そのことについてのみ、話し合われていたのですか?」
「そうじゃない」
「では」
「そうじゃないけど……いまは、それがいちばんの問題だから」
「あとのことは、あとでいいと判断なされたのですね」
(よくはないけど、聞けそうにない)
和真の行動と気持ちの関係を気にしている自分が奇妙で、落ち着かない。
(護衛はあくまでも所有物で、気持ちなんて気にかける必要はないのに)
けれどその“もの”であるはずの護衛に襲われたのは、護衛に心があったからだ。護衛も人間だと祐樹は言い、だから秋定と対等に接しているというような意味合いの会話をした。
(和真も心を持っている)
それは美月にとって、目の前にあるのにつかめそうでつかめない、煙に似たものだった。考えてみれば当然――という境地にも至らない。それは長年、護衛は“もの”と教えられ、館の中ではその認識が常識だったからだ。
(だけど、僕はその護衛に襲われた経験がある)
あのときは、どんな処理をされたのだったかと考えて、暴走という形で処分されていたと思い出した。
(あくまでも“もの”として処理をされた)
生きている相手なので、害獣扱いと表現するのが正しいのかもしれない。
(害獣。――祐樹は僕たちを、犬や猫とおなじだと言っていたな)
「ねえ、和真」
「はい」
「僕たちはペットなのか」
「は?」
「外から見れば、僕たちは犬や猫とおなじ扱いになるのか」
軽い衝撃を受けた顔で、和真はしばらく呆然としていた。しばらくして、気を取り直すためか、深呼吸をすると背筋を伸ばした。
「それを、祐樹から聞いたのですね」
首肯した美月は表情を硬くした。
和真は否定も肯定もせず、面を伏せて指を組むと額を乗せた。
沈黙が降り注ぎ、美月は息が苦しくなった。どうしてなにも言わないのかと、焦れ焦れしながら和真を見続ける。
うつむいているので、和真の表情はわからない。感情を推し量ることもできなくて、美月は息をつめてじっとすることしかできなかった。胸はいそがしくざわめいているのに、体は石のように硬くなる。このままでは呼吸が止まりそうだと危ぶむころになってようやく、和真が顔を上げた。
むりやり笑おうとしている顔はひきつれて、見ているこちらが苦しくなる。そんな表情から発せられた言葉は、美月の心を深くえぐった。
「俺も美月も、人間だよ」
いつもの敬語ではない。
おなじ位置に立って、和真はそう言っている。
美月の喉がヒュッと鳴った。
足元から理由のわからない恐怖が湧きおこり、体が震える。
「和真」
助けを求めて名を呼べば、和真はすぐに美月を全身でくるんだ。
(ああ)
ぬくもりが、まとわりついた恐怖をはがしてくれる。
美月は目を閉じ、自分のすべてを和真にゆだねた。
(和真以外の護衛なんて、無理だ)
湧きおこった恐怖の原因と安堵の理由がわからないまま、自分の感情を理解した美月は和真に包まれたまま、どうすればいいかと必死に思考をめぐらせた。
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