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第15話
目を覚ますと、薄暗い部屋の中にいた。立ち上がろうとした美月は、肩から先が動かないことに気がついた。手首になにか巻きついていて、背中に固定されている。うつむくと、膝と足首に白い布が巻かれているのが見えた。
(なにが起こったんだ)
わからない。
首をめぐらせて部屋を観察する。それほど広くはない。床は冷たく硬質で、壁も冷たい灰色だった。息苦しさを感じた美月は、尻を滑らせて扉の傍に移動する。扉の下からは光が漏れていた。
(あれから、なにが)
公園でのさわぎが耳の奥に残っている。この部屋には美月しかいない。ほかのオメガたちは、教官や護衛、川上たちはどこにいるのか。
ぼそぼそと話し声がして、美月は意識を耳に集めた。
「それで、どこで売る」
「そりゃあ、オークションだろう。あれだけの上玉だ。なるべく高値で取引したい」
自分を売る算段だと知って、美月の全身から血の気が引いた。ペットという単語が脳裏で明滅する。
「オメガじゃなかったらどうする」
「あれは、絶対にオメガだ。アルファが連れていたし、護衛もいたからな。だがまあ、そうじゃなくてもあれだけの美形なら、ベータでも問題ないだろう。ようは高値で売れればいいんだ」
「売る前に、ちょっと試してみたい気はするがな」
「商品価値が下がったらどうする」
「すこしくらいなら、下がっても変わりないんじゃないか」
「宝石だって、ちょっとした傷で半値以下になることもあるんだぞ」
「半値以下? そいつぁ困る。なら、がまんをするしかないな」
「売った金で、安いオメガを買って遊べばいいじゃないか。そのほうが回数もたっぷりたのしめるだろう」
「俺たちには、十人並みのオメガがちょうどいいってことか」
会話の内容のすべてを把握できたわけではないが、自分が売られることだけはわかった。
(オークションとは、なんだ。安いオメガを買って遊ぶというのは、どういうことだ。僕は……ほかのオメガたちは商品になるのか)
ここに祐樹がいたなら、きっとすぐに美月の疑問に答えをくれていただろう。彼も誘えばよかったと思い、彼がいなくてよかったとも考えた。危険であることは肌感覚で理解できる。そんな場所に祐樹がいなくてよかった。
(もしかして、祐樹が言いかけてやめたのは、これのことだったのか?)
知りたいと望んでいたものに近づいたらしい。けれどちっともうれしくなかった。それよりも、売られる前になんとか逃げ出して館に戻らなければ。
「手入れをするにも金がかかるし、売るんならはやいとこ売るとしようや。今夜、どっかで開かれていないのか」
「あるある。けどまだ、ちょっとはやいな。その前に腹ごしらえをしとこうぜ」
「売れてから祝杯のほうが、いいんじゃねぇか」
「空腹で判断力が鈍ったら、もったいねぇだろ。買い叩かれねぇように、しっかり食って備えとくんだよ」
「なら、酒は抜きだな」
声がだんだん遠ざかっていく。足音が聞こえなくなってから、美月は全身の力を抜いた。
(はやく逃げなければ)
猶予は残っていない。目を上げてドアノブを見る。背中を壁に当てて立ち上がろうとするが、うまくいかなかった。手足を縛られていて動きづらい上に、長い髪を踏んでしまった。グッと髪が引かれてうめく。
「くっ」
体をかたむけて髪を右側に流し、首を振って肩にかける。しかし、髪はすぐにサラサラと動いて背中に戻った。
(どうすれば)
使えそうな道具は見当たらない。というか、部屋にはなにもない。立ち上がるための支えになりそうなものが壁についていないかと見回して、窓に気づいた。
(あそこに行けば)
足と尻で移動した美月は窓を見上げた。こちらも立ち上がらなければ届かない。どうにかして立たなければと考えて、角で肩を支えにすれば髪を踏まずにすむのではと思いついた。
不自由な姿勢で動く美月の関節が痛む。食事に行くと言っていた連中が、戻ってくるまでに逃げ出さなければ。
「あっ」
あせる美月はよろめき、倒れた。思い切りぶつけた肩が痛む。歯を食いしばり、身を起こそうとするが床を這いずるだけだった。
(外に出ようと思わなければ)
そうすれば、こんなことにはならなかった。ほかのオメガたちも怖い思いをしているだろう。
(すべて、僕のせいだ)
外に出たいと望んだから。外に興味を持ったから。だから、こんなことになってしまった。
(祐樹の言っていたものは、これだったんだ)
祐樹はこれを知っていて、だから館に入りたかった。この後、どんな扱いをされるのかわからないが、ろくでもないものだとは確信できる。
(なんとか、立ち上がって)
逃げ出さないととあせる美月は、痛む体をくねらせて、必死にもがいた。汗が滲み、手首から先の感覚が薄れていく。足もしびれて絶望がヒタヒタと近寄ってきた。
(――和真)
心の中で名を呼んで、助けを求める。和真はいまごろ、なにをしているのだろう。帰らない美月を心配しているだろうか。それとも任務の外のことと気にも留めていないのか。
(和真)
もがきながら、美月は胸中で名を呼び続けた。涙があふれて髪を濡らす。なんとか体を回転させて、うつぶせになれた。顔を起こせば、正座になった。
(どうすれば)
移動したいが、固定された膝から下は動かせない。ふたたび転がって移動して――どこに行けるというのだろう。ドアは閉じられたまま、窓にも届かない。
どうにもならないのだと悟った美月は、下唇を噛んで天を仰いだ。ボロボロと涙がこぼれる。手足は痺れ、肩は痛み、髪はもつれて乱れていた。
(僕は……ああ、和真)
会いたい。
助かりたいよりも先に、その気持ちが強く美月を揺さぶった。ただただ、和真に会いたい。それだけが美月の中に広がって、ほかのなにをも忘れさせた。
(和真、和真)
彼の笑顔が、声が、指先が欲しい。
そう願って泣いている美月の耳を物音が打った。ビクリと震えると涙が止まった。
(帰ってきた……のか)
自分は連れ出され、売られるのか。
全身を硬くした美月の耳に、カラリと窓の開く音が触れて、誰かが地面に降り立つ音がした。
(窓……?)
どうしてと疑問を持っても、顔を向ける勇気はない。じっとしていると、人の気配が背後に触れた。
「美月」
ささやきにはじかれて振り向く。そこには、欲していたものがあった。
「和真」
止まっていた涙があふれる。和真の手に引き寄せられて、広い胸に抱きしめられる。
「静かに。すぐに、脱出します」
「いま、食事に出かけているはずだ」
「ですから、玄関から堂々と出ることにしましょう」
腕の戒めが解かれた。次に足を自由にされて、支えられながら立ち上がる。
「歩けますか?」
「大丈夫だと思う」
「不安ですね。では」
ヒョイと抱き上げられて、ドアまで運ばれた。ドアノブに手を伸ばしてひねると、簡単に開いた。鍵のかからない部屋らしい。
「なんとも不用心な人浚いですね。まあ、そのおかげで簡単に救出ができます」
「和真」
「はい」
「帰ってくるかもしれないから、急いで」
「そうですね。美月は、しっかりと掴まっていてください」
そう言いながらも和真は悠々とした足取りで部屋を横切り、玄関を出た。外は暗く、空には星がまたたいている。外灯などは見当たらず、隣家もない。遠くにほんのりと人工の灯りが見えていた。
「和真」
「そんなに心配をしなくても、大丈夫ですよ。ここから街までは車でニ十分ほどかかります。それから食事をして戻ってくる。あるいは、食べずに買って帰るにしても、余裕は充分にありますから」
平然としている和真がたのもしく、けれど不安はぬぐえない。
「美月は、ただ俺を信用してくれていればいいんです」
「和真」
「館に帰りましょう」
「――うん」
離れた場所に停まっていた車に乗せられ、美月はぼんやりと車窓から流れる景色をながめる。
「和真」
「はい」
「怒っているのか」
「どうしてですか」
「なにも言わないから」
「なにか、怒られるようなことに心当たりが?」
「……」
無言の車内は居心地が悪く、けれど和真がいることがうれしくて、美月は自分を持て余した。
館に到着すると、人目につかぬよう部屋に運ばれた。
「ケガは?」
「わからない」
「とりあえず、お風呂に入りましょう。埃だらけですよ」
うなずいて風呂場に運ばれ、服を脱がされる。縛られていた場所はうっ血し、打ち身がいくつかできていた。それに和真は眉をひそめて、ぬるま湯のシャワーを美月にかける。
「しみますか」
首を振って、美月はおとなしくシャワーに打たれた。腕まくりをした和真の、筋肉質な腕が恋しい。
「和真」
指に指を絡めて、もう片手でシャワーを奪う。それを捨てて和真の肩を掴むと唇を求めた。
「んっ、ん……ふ」
「美月」
「和真」
抱いてほしい。
「戻ってきた実感を、与えてくれないか」
「美月」
「僕がちゃんとここにいるのか、教えてほしい」
いますぐに、とささやきながら唇を重ねて瞳を見つめる。和真の目は葛藤を浮かべていた。それを崩したくて、美月は全身で和真に甘える。
「僕がするんじゃなく、和真にされたい。僕がここにいることを、和真で証明してくれないか」
ゴクリと和真の喉が鳴って、おそるおそる腰に腕がまわされた。かと思うと唇を乱暴にむさぼられる。
「んっ、う……ううっ、ふ……んむっ、う、うんっ」
おそろしいほど急速に劣情を引き出されて、美月はうめいた。キスをしたまま抱えられ、濡れたままベッドに押し倒される。呼気すらも奪われて息苦しくなった美月は目じりに涙を浮かべて、それでももっと求められたいと和真の肩にしがみついた。
激しいキスをしたままで、体の間に和真の手のひらが差し込まれる。首から胸を撫でられて、胸の先を指の腹でくすぐられた。
「んっ、ぅ」
ちいさくうめいた美月の唇が解放される。呼吸をむさぼりあえぐ美月の胸に、和真の唇が落ちた。
「は、ぁ……ぁん」
チロチロと舌先で突起を転がされ、軽く歯を立てられる。ジンと甘美な痺れが波紋のように全身に広がって、美月は肌を震わせた。
(なに……この感覚)
ゾクゾクと淫靡な悪寒が背骨の中を駆けまわる。男膣が震えて濡れて、内壁をトロリと湿らせた。脚の間が硬く脈打ち、心臓が早鐘のように鳴り響く。
「ふ、ぁ……あ、んぅうっ」
ちいさな閃光が脳内ではじけている。愛撫は淫らな花火を散らすスイッチだった。こんな反応を美月は知らない。こんな自分は知らないと、胸に吸いつく和真の頭を抱きしめた。
「んぅっ、う……は、ぁあんっ、ん、ううっ」
胸への刺激が下肢に走り、前も後ろも蜜を湧かせる。腰のあたりに泉ができて、次々に歓喜の蜜があふれ出る。やわらかかった陰茎は触れられてもいないのに、すっくと立ちあがって存在を主張し、筋肉質な和真の腹をつついた。
「あ、ああ――」
(きもちいい)
先端が腹筋の溝に擦れて、きもちいい。美月は腰をくねらせた。和真の腕が美月の腰を固定して、動きを封じる。
「っ、あ……んぅうっ、どうして」
「美月」
熱っぽく呼ばれて、美月は息を呑んだ。ギラギラと情欲に輝く和真の顔は獰猛で、色っぽかった。ビクンと震えた美月の陰茎が先走りをこぼし、尻が濡れる。顔を伏せた和真の舌に、鎖骨のくぼみからまっすぐに線を引かれた。ヘソですこし止まった舌にたわむれられて、美月はもどかしさに身もだえた。
(ああ、もっと……あとすこし、その先に……っ)
愛されたくて震えている肉欲がある。そこに唇を当ててほしくて、美月は和真の頭を押した。和真の頭が移動して、己の欲でぬれそぼった美月の先端に到達する。
「は、ぁあ――っ、あ、んぅう」
彼の口に含まれると、美月は腰を跳ね上げて強烈な刺激を求めた。それなのに和真は美月の望みをかわして、そこの形を舌先でたしかめながら、やわやわと蜜嚢を揉んでいる。
「ふ、ああ、んっ、うう」
このままではおかしくなると、美月は涙をこぼしながら首を振った。豊かな長い黒髪が、シーツに不思議な模様を描く。受け入れることを知っている箇所がヒクヒクと物欲しそうに動いて、かすかに濡れた音を響かせた。濡れてほとびたそこに、和真の指があてがわれる。
「は――ぁ、あふ、ぅう……んっ、ぁはあ」
満ち足りた嬌声を放った美月は、しかしすぐに物足りないと脚を開いた。もっと奥に、体中を埋め尽くすほどの情熱が欲しい。
「ぁ、ふぅう……くっ、ぅあ……んっ、和真ぁ」
甘ったるい悲鳴を上げた美月から、和真が顔を上げる。
「もう……いいから、はやく」
「まだ、準備が」
「いいから」
「だめです」
ピシャリと断られ、指で秘孔をまさぐられる。
「ふぁ、あ、んぅ……もっと、あぁあっ、あ、はぁああ」
どれほど指を増やされて淫らにかきまわされても、あの熱量にはかなわない。体を揺らし、先走りを振りまきながら、美月は和真の熱を求めた。
「ふぁっ、あ、和真ぁ、あっ、和真」
「そんなに誘惑しないでください」
和真の息が苦しく詰まり、荒くかすれていた。彼もまた自分と繋がりたいのだと、美月の胸によろこびが舞い降りる。
「は、ぁあ……和真、ああ、はやく……もう、ぁ、はやく」
「美月」
息をつめた和真の声とともに、脚を高く持ち上げられる。尻が浮いて、谷に熱杭が押し当てられた。いよいよだと、美月は胸をとどろかせる。
「美月」
「ん……和真」
繋がるよりも先に、唇が重なった。舌を絡ませて、互いの乱れた呼気のなかの劣情をたしかめる。
「ふ……ぅんっ、ん」
かかとで和真の腰を叩いて、美月は体を揺らした。彼の先端が美月のすぼまりをつつく。はやくそれで体を拓かれたくて、美月は和真の腰に脚を絡めて体を揺すった。
「美月」
「はやく、和真」
切なくねだる美月の奥に、和真が沈む。たっぷりと濡れそぼったそこは和真を歓迎し、奥へ導こうとうごめいた。
「は、ぁあ……あ、あ……っ、もっと、ぁ、もっと」
「ん、美月」
ズ、ズ――と慎重に腰を進める和真を、美月は「もっと」とうながし続けた。眉根を寄せて息をつめ、苦痛に似た顔で快楽を堪えている和真の表情に、美月の心が熱くただれる。
「は、ぁあ……あぅ、ん……か、ずまぁ」
幼子みたいに頼りなく名を呼んで、全身でしがみつく。和真はそれでも急がずに、根元までをも美月に埋めた。
「は、ぁ――」
最奥まで拓かれて、美月は恍惚の吐息を漏らした。脈打つ和真をはっきりと感じている。彼の意思で埋め込まれたことが、この上もない幸福感を美月にもたらしていた。その理由を考える暇もなく、美月は和真を無心に求め、和真はそれに全身を勇躍させて応えた。
「はんっ、はっ、はんぁあっ、あっ、は、ぁあうっ、んぁ、あっ」
「ああ、美月……っ、美月」
体中で求められている。繋がっているのは体の一部なのに、全身をむさぼられている。嵐にもまれる木の葉のように翻弄されて、美月は鋭く細く濃艶な悲鳴を上げ続けた。和真に振り落とされまいと必死にすがりつき、彼に突かれてよろこびの蜜を放つ。
「っ、は、ああぁああ――っ」
長く尾を引く悲鳴が終わるより先に、和真が短いうなりを上げて情欲を美月に注いだ。
「ふっ、は、ぁ、ああ」
じんわりと体内があたためられる。なんて心地がいいのだろうと恍惚に浸る間もなく、和真はふたたび激しく美月を攻めた。去り切らない余韻を増幅させられた美月は意識をはじけさせ、声も枯れよと言わんばかりに嬌声を響かせた。
「はふぅっ、あ、あううっ、んぁ、あっ、あ、ああ」
「美月、美月」
繰り返される自分の名前が特別なものに感じて、美月はほほえんだ。
「ああ、和真――かず、まぁ」
きれぎれに名を呼んで求めれば、和真はますます美月を求める。なにもかもが和真に支配され、奪われて溶けていく。
(このまま――)
自分のすべてが和真に取り込まれてしまえばと、美月は体をすり寄せて口を開き、和真の呼気を求めた。気づいた和真に噛みつくようなキスをされ、歓喜の悲鳴を美月は上げる。
「ふっ、んむ……ああ、和真、ぁ、ああ」
体も心もグズグズに溶けて、和真に流れる。二度目の熱波を受け止めた美月は、自分の奥になにかの兆しを感じた。
(な、に……これ、は?)
その感覚はすぐに霧消し、つかまえられなかった。けれどなにか、とても大切なものを受け取った気がしている。
「和真」
ぼんやりと名を呼べば、汗に乱れた前髪をかきあげた和真にほほえまれた。ドキリと心臓が跳ねる。
「かず……んっ」
ついばむキスは、スポーツの後のクールダウンのようだった。オメガたちとの遊びとは違う、けれどそれに似たなにかが和真との行為にはあった。たわむれに似ていて、相手を知るための行為であって、自分を知ってもらう手段でもあって、そしてなにか――とても大切なものを交わすもの。
(なんて呼べばいいのかな)
なんて名前でもかまわないかと、美月は考えるのをやめにした。それよりもいまは、よくわからない感覚を心の底から味わおう。ふわふわとやさしくて、けれどどっしりとたくましくて、奇妙な安心とぬくもりに包まれている。
「和真」
「はい」
「和真」
「……美月」
「和真」
「美月」
「ふふ」
くすぐったくなって肩をすくめた美月のまぶたが、和真の唇に撫でられる。もっとしてほしくて、美月は和真に頭をすり寄せて目を閉じた。
「はぁ」
「疲れましたか」
「ん」
「いろいろありましたからね」
「うん」
「おやすみなさい、美月」
「おやすみ、和真」
どうかこの感覚がなくなりませんように。
しっかりと和真をつかんで、美月は安寧の闇に意識を漂わせた。
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