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第17話

 美月はまず、ボルトとナットを持っている理由を祐樹に伝えた。 「ここに入る前に、父さんに渡されたんだ。僕はこれから、ぴったり合う相手を見つけに行くんだって。だからゆるんで崩れるような相手は選ばないようにと言い聞かされて、これを持たされた」 「いい親父さんだな」 「そう、なのかな。そうかもしれない。ほかがどうかは知らないから、わからないけど」 「まちがいなく、いい親父さんだ。俺のところとはくらべものにならないくらい」  苦々しく顔をゆがめた祐樹の話を聞いてみたい。それを口にする前に、祐樹に続きをうながされた。 「僕は、ボルトはアルファだと思っていた。だって、そのためにオメガはいると教えられているから。祐樹もそう考えて、ここに入ってきたんだろう?」 「そうだ。でもまあ、美月たちは違うだろう。ここに入ってからそういうものだって教えられた。だから、俺とは違う」 「そうか」 「そうだ。それで?」 「それで……財前さんは違うと思う」 「どうして。いままで美月を呼び続けていた……ああ、そういえば、言っていたな。オメガを見下しているとかなんとか」 「そんな相手がボルトであるとは考えられない」 「見下されていると感じるなんて、かみ合うとはほど遠いからな。それで、悩んでいるのか。財前さんの誘いを断ったらどうなるか、心配して」 「それもあるよ。それもあるけど」  言いよどんだ美月は、ちらりと和真の部屋を見た。 「和真もいっしょに引き取ってはくれないのか」 「そこまでの話はしていないよ。僕自身が、財前さんに引き取られたくないから」 「それじゃあ、なんだ」 「アルファに引き取られることだけが、しあわせなのかな……って」 「それは」 「祐樹はそれが目的で入ったんだろう。そこを否定するつもりはないよ。そう信じているオメガたちだっておなじだ。たとえそれが、教育されて覚えた認識だったとしても」 「さらわれたときに、なにかあったのか」  心底の気遣いを感じる声音に、美月は薄くほほえんだ。 「あったとも言えるし、なかったとも言える。――なにもされずに、と言うのは変かもしれないけど。縛られて閉じ込められて、それ以上はなにもなかったんだ。僕をつかまえた連中が留守の間に和真が来たから、乱闘騒ぎにもなっていないし。平和な救出劇だったと思う。窓から入ってきた和真にはおどろいたし、心細かったからすごく安心したけれど」  だけど、と美月は自分の心の揺らぎを引き寄せて、言葉に変える。 「よけいに財前さんがいやになった」  ハハッと祐樹に笑われて、美月は眉間にシワを寄せた。 「悪い。笑いごとじゃないってことは、わかっているんだけどな。でも、見下されていると感じているんなら、その相手といっしょにいたってしあわせにはなれねぇよ。ちゃんと心を通わせられる相手がいちばんいい。そりゃあ、金のあるアルファに引き取られたら、いいもの食えるし、ふかふかのベッドで寝られるから、その部分ではしあわせかもな。けど、それと引き換えにしてもいいってくらい、嫌いな気持ちを押し込めていられるのならって話だ。心が拒絶しているんなら、それはもう、どんだけ金をつまれても不幸にしかなれない。――と、ここに来てから俺は学習した」  ニイッと歯を見せられて、美月はキョトンとした。 「目的が変わったのか」 「そうとも言えるな」 「じゃあ、はやくここから出ていきたいのか」 「どうだろうなぁ。うーん……まだ、そこまではいってないかな。そういうアルファがいりゃあいいけど、こっちがいくら望んでも、向こうがそうとは限らないからなぁ」  微妙な言い方に、美月は祐樹に顔を近づけた。 「目当てのアルファがいるのか」 「ああ、うん……まあ」  あいまいな笑みを浮かべた祐樹が、照れくさそうに視線をそらす。 「その相手と、うまくいきそうなのか」 「まだ、わかんねぇよ。俺はずっと猫かぶってるからな。相手の前っつうか、みんなの前では“僕”つって、言葉遣いも乱暴になりすぎないよう気を使ってはいるし」  そういえば、いつの間にか一人称が“俺”に変わっているなと美月は気づいた。 「それで」 「それより、美月の話だ。財前さんの話、断れそうなのか」 「う……ん」  無意識に腹部に手を当てた美月に、祐樹が顔をしかめる。 「子どもができるかどうか、心配しているのか。見下されているって感じていたら、むずかしいだろうしな」 「それもあるけど、そうじゃないんだ」 「ん?」 「僕は……僕のボルトを知らないうちに、見つけてしまったのかもしれない」 「それは、いいことだって言いたいところだけど。――そういう単純な話じゃないんだな?」  こっくりと首を動かした美月は、祐樹の肩に額を乗せて告白した。 「和真の子どもを、宿したかもしれない」 「え」 「助け出されて、部屋に戻されて、和真に抱かれたんだ」 「手を出されなかったんじゃないのか」 「あの日は……僕がそう望んだから。和真は僕を求めてくれて、たくさん、僕の中に注いでくれて。そのときに、奇妙な感じがしたんだ。検査をしていないからわからないけど、たぶん、間違いないと思う」 「自信満々だな。経験があるのか」 「ないよ。ないけど……そんな気がするんだ。すごくあたたかくなって、それがずっと、奥に潜んでいるというか、そんな感じがずっとある」 「ふうん」  祐樹の手に腹部をまさぐられた。 「よくわかんねぇけど、まあ……そんなにすぐに変化が出るもんでもないか」  ポンポンと背中を叩かれて、美月は「どうしよう」と力なくつぶやいた。 「どうしようって、堕ろすかどうかってことか」 「それもある。だけど、そうしたとしても僕は、ほかの誰かの子を宿せるとは思えない」 「いまは、そうだろうな。けど、時間が意識を変えるってこともある」 「その時間って、どのくらいかかるのかな。僕はもう、引き取られる適齢期の上限に近いんだ。そんな僕に、猶予は残っていると思うかい?」 「美月なら、そんな上限ぶっとばせそうだけどな。美月はゾッとするくらい美人だから」  そうじゃないと言いたくて、美月は激しく首を振った。 「僕が、引き取られてもいいと思える相手ができるだろうか。それに、いまここにいる子どもを殺すなんて、僕にはできない」 「なら、それがわかるまでにアルファに抱かれなきゃならないな。――となると、財前さんになるってことか。美月から誰かに声をかけるって手もあるが、それもなぁ。なんか、妙な騒ぎが起きそうだし」 「アルファに引き取られずに、子どもを産める方法はなにかないかな」 「子どもがいるって知れたら、すぐに処置をされるだろうな。なんせ、ここはアルファがオメガを手に入れるために作られた施設だから。――けど、ほんとうに子どもをさずかったのか?」  硬い顔で肯定した美月に、祐樹がうめく。 「検査してからってわけにも、いかないしなぁ。それに、そこまで思いつめるくらい和真に惚れているんなら、もうどうしようもないだろう」 「ほ、惚れて」 「そういうことだろう。親父さんの言葉を借りれば、美月にぴったりのボルトを見つけたってことだ」 「でも」 「うん?」 「和真がどう思っているのかが、わからない」 「それは、そうだな。なら、聞いてみるか」  立ち上がりかけた祐樹を、美月は全力で引き止めた。ひきつった美月の顔に、祐樹のため息がかかる。 「重要なことだろう。大丈夫だって。和真は美月のことを大切にしてる。それは俺と秋定のふたりで保証してやる」 「でも、僕とおなじかどうかはわからないだろう。そうじゃなかったら……あくまでも任務としてしか見ていなかったら、僕は」  気弱に声を震わせて、美月は両手をだらりと下げた。 (そうだ。和真は僕の護衛でしかない。だから僕を助けに来たし、僕が望んだから僕を抱いた。それだけなんだ。これはあくまでも僕個人の問題で、和真には関係ない)  教官に知られれば、和真は罰せられる。護衛の任務を解かれたら、和真はどうなるのか。 「どうしよう」  ぽつりとつぶやいた美月は、すがる目で祐樹を見た。 「和真が護衛から外される」 「美月は、どうしたいんだ」 「わからない。ただ、そう……ああ、館から出られたら……そうしたら、いや、そうしないと……でないと、僕は……」 「落ち着け、美月」 「無理だ!」 「とにかく、俺も考えてみる。財前さんの誘いを受けずに、子どもも産めて、和真にも迷惑をかけないで済む方法を、俺も考えてみるから」 「館から出る方法があれば」 「出て、それでどうするんだ」 「わからない」 「出たって、なんにもできないぞ。帰る場所なんて覚えてないだろう? やみくもに逃げたって、探しだされて連れ戻されるだけだ」 「……川上さんがいる」 「え」 「川上さんなら、きっと助けてくれる」 (外に出て、川上さんに助けを求める。そうすれば、なんとかなるんじゃないか)  ほかに方法を思いつけない美月は、その考えに固執した。 「逃げ出して、かくまってもらうっていうのか」 「そうだ」 「危険だ。無事にたどり着けるかどうかなんて、わからないだろう」 「けど、ほかにどんな方法があるんだ。財前さんを断って、そのあとで別のアルファに抱かれて引き取られるという計画よりも、ずっといい」 「それは、そうかもしれないけどな」 「財前さんは無理だ。どうしても、受け入れられない」 「その間だけ我慢するってことも、できそうにないのか」  うつむいたままうなずいた美月に、そうかと祐樹が重たい息をかける。 「こんなこと……ほかに言える人がいなかった。すまない、祐樹」 「なんであやまるんだよ。むしろ、それくらい信頼されて、俺はうれしい。――うーん。適当なアルファを見つけたとしても、その相手に美月が納得できないのは明白だしなぁ。となると、館が美月を手放したくなる状態にならなきゃいけない」 「館が、僕を?」  キョトンとした美月に、そうだと祐樹が鼻をつつく。 「たとえば、さらわれたときに乱暴されて、傷物になったとか」 「傷物」 「そのときに、子どもができた……ってなったら、堕ろされそうだよなぁ。それに、美月ならそれでもいいって、引き取りたがるアルファはいそうだ」 「僕はそんなに――」 「価値があるんだよ。自覚がなくても、美月はもう特別な存在として、誰もが認識しているんだ。望むと望まざると、そういう立場に祭り上げられているって言えばいいか。だから、なにかこう……誰もが納得してあきらめるくらいのなにかがないと」 「たとえば」 「たとえば? そうそうすぐに思い当たらないなぁ。ええと……そうだなぁ。なにか、大きな病気をするとか。でもそれは、なりたくてなれるものじゃないし、外に出されるくらいの病気ってなると相当なものだろうから、まず無理だな」 「ほかには」 「ほか……ほかねぇ、ほか……うーん、ほか」  うんうんうなった祐樹は、眉間にしわを寄せながらつぶやいた。 「ほかっつうか、逆を探すってことになるのか」 「逆?」 「この館に連れてこられるオメガの条件だよ。それから外れたら、館から追い出されるってことになるだろ」  なるほどと美月は祐樹に尊敬のまなざしを向けた。祐樹が照れる。 「そんな目で見るなよな。まだ具体案はなんにも出ていないんだからさ」 「いや。僕だけなら、おなじところをグルグルめぐるばかりで、ちっとも思いつかないままだっただろうから」 「ヒントが出たってだけで、解決にはなってないぞ」 「それでも、ヒントを得られただけで大きな進歩だよ」 「あんまり思いつめるなよ、美月」 「わかってる。ありがとう、祐樹」  コツンと額を重ね合わせて、ふたりはしっかりと手をつないだ。 「なんでも、また俺に相談しろよな」 「祐樹も……まあ、僕に相談することなんて、なんにもないだろうけど」 「そうでもないぞ。どうやったら、そんな雰囲気を持てるのかとか、いろいろある。館の後輩だからな、俺は。口調だって、真似したい。だから、いっぱい俺と会話してくれ」 「そんなことでいいのなら、いくらでも」 「そんなことが、いいんだよ」  自分自身をまるごと認められた気がして、美月はうれしくなった。 「和真と出会ったときみたいな気持ちだよ」 「ん?」 「はじめて和真を紹介されたとき、僕をそのまま受け入れられた気がしたんだ。僕という存在を見てくれているっていうのかな。それで、すんなりなじめたっていうか、和真なら大丈夫だって直観したっていうか、護衛は和真がいいって思ったっていうか」 「なんだ。ひと目ぼれか」 「そう、なるのか」 「そういうことだろう。美月は、なんていうか本能的に相手が自分をどう見ているのか、察する能力があるんだな。だから和真を安心だと思って、財前さんをいやだと感じた」 「それと、祐樹のときは会話ができる相手だって直観した」 「正しかっただろ」  ニヤリとされる。 「正しかったよ。あのとき、祐樹に話しかけられてよかった」 「俺も、美月に声をかけてよかった。なんだかんだで、俺も自分のこと、ポロポロ美月に聞いてもらっているからな」 「そうだっけ」 「そうだよ。そんで、自分がなんでここにいるのかとか、改めて考えさせられた。ありがとな、美月」 「僕のほうこそ。なんだかずっと、モヤモヤしていたものの形を教えてもらえたよ」 「そのせいで、とんでもない目に遭わせたけどな」 「そのおかげで、なにも知らないままアルファに引き取られる、なんてことにならなくてよかった」 「前向きだな」 「後悔をする要素がないからね」 「とんでもない天使さまだ」 「誰かが言っていたよ。僕はもう、特別すぎて神様なんじゃないかって」 「誰だろうな。そんなことを言ったやつは」  とぼける祐樹の腕をつねって、ふたりはクスクス笑いあう。  テーブルの上で、飲まれるのをまっているハーブティーが、やさしい温度になっていた。

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