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第18話
(館に入れる条件)
それはなんだろうと、夕食時に美月は周囲を見回した。オメガたちがそれぞれの席について、食事をたのしんでいる。所作はきちんと仕込まれていて、行儀がいい。おしゃべりをしているもの、ひとりで黙々と食べているもの。その誰もに共通していることはなんだと、美月は隣の祐樹を見た。
「ん?」
「ああ、いや」
(祐樹は、このなかでは男らしく見える。――だけど、和真や秋定と比べると華奢だ)
ほかのオメガたちと祐樹にも通じる共通点が、さっぱり見つからない。
「さっきの」
「うん?」
「言っていた、この館に入る条件を考えていたんだ」
キョトンとした祐樹に、まじまじと顔をのぞきこまれる。
「なんだ」
「それ、本気で言ってるのか」
「?」
「ああ、あれか。普通になりすぎて、意識しなくなったんだな」
「なにを」
「この館に入れる条件は、たったひとつだ」
人差し指を目の前で立てられて、美月の視線は指先に止まる。
「見た目がいい」
「――は?」
「は? じゃねぇ……っとと、じゃないって」
慌てて言いなおし、祐樹は周囲を見回した。咳払いをした祐樹が「だからな」と会話を仕切り直す。
「この館に入れるのは、見た目がいいオメガなんだ。それ以外の条件はなにもない。ただ、それだけなんだよ」
「それ、だけ」
「そうそう。こういう言い方はなんか、すごいバカにしているように聞こえるかもしれないけどさ、美月はほかにすごいって思えるもの、なにかあるか?」
ちょっと考えてから答える。
「なにも……その、見た目も含めて、特にない、な」
「美月の見た目は抜群にいい。それは保証する。というか、それがあるから美月は特別視されているんだ。この中で美月と張り合える美貌の持ち主はいないって、胸を張って断言できる。俺……じゃない、僕の意見が信用できないんなら、ほかのやつにも質問しようか」
言いながら、向かいの席のオメガに声をかけようとした祐樹を止めた。
「いい。その、なんていうか」
照れくさくて居心地が悪くなった美月に、祐樹が「僕だって美形だろう」とニヤッとした。
「大半の天使たちとはタイプが違うけどさ。まあ、成長したら俺みたいになる可能性もあるわけで」
「それは、うん。そうだね」
「そういうわけで、ほかの条件なんてないんだよ。ここにいるやつは見た目のよさだけで、館に連れてこられた。だから十代前半から入るやつが多いんだ。そのころなら、いろいろと教育しやすいし、だいたいの成長の予測はつけられるからさ」
「そうなのか」
「そうそう。僕くらいの年齢だと、それまでについたクセを直すのはむずかしい。当人がやる気があって、そうなろうって意識があれば別だけど」
そこで祐樹が声を潜めた。
「意識があっても、ついつい俺って言っちまいそうになるから、それがどんだけ大変なのかは、身をもって知っている」
説得力のある言葉に、美月はちいさくうなずいた。
「まあ、そういうわけで。とにかく、ここにいられる条件はそれだよ」
「それを失うためには、どうすればいいのかな」
「うーん。いきなりブサイクになれって言われても、そうそうなれるもんじゃないしなぁ」
しゃべりながらもサクサクと食べ続けていた祐樹が、ごちそうさまでしたと手を合わせる。美月もそれに続いた。
「まだ残ってるのに、いいのか? べつに僕に合わせなくてもいいんだぞ」
「食欲が、あまりないんだ」
力なくほほえんだ美月に、そうかと祐樹の眉がくもる。
「あんまり、考えすぎないようにな。思いつめて体調を崩したら大変だ」
「いっそ、そうなってしまえば見た目が悪くなれるんじゃないかな」
「凄絶さが加わって、いまとは違った美貌になりそうだ」
軽口を叩きながら立ち上がった祐樹とともに、美月も席を立って部屋へと戻る。
「じゃあな。あんまり、悩みすぎるなよ」
「うん。――ありがとう、祐樹」
「なんかあったら、すぐに呼べ」
美月に言いながら和真に視線を投げた祐樹に、和真がまぶたで会釈した。
「それじゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ」
頬を重ねて別れると、美月は深く重い息を床に落として和真の開けたドアをくぐった。ソファに落ち着き、指を組んで顔を伏せる。和真はキッチンに入った。
(見た目を悪くする方法、か)
さきほど祐樹は体調を崩しても意味がないようなことを言っていたが、そんなオメガならアルファも引き取りたくなくなるだろう。食事を抜いて弱ってみるかと思ったが、あきらめてもらえる状態になるまで、どのくらいの時間がかかるのか。
(その前に、僕の管理ができていないって和真がしかられる)
そして別の護衛がつけられるか、医療係の監視がつく。そうなると検査をされて、自分の中に宿っているものの存在に気づかれてしまう。
(相手は誰かと問われて、処置をされる)
答えれば和真が処分される。答えなくても、護衛の任務ができていないと糾弾されて、別の護衛に変えられてしまう。
(時間がない)
一刻もはやく、館から追い出される状態にならなければ。
思い悩む美月の鼻に、やわらかなお茶の香りが触れた。顔を上げると、案じ顔でほほえんでいる和真がいる。痛いほどにやさしくあたたかな感情が美月の胸に湧き上がった。
(迷惑はかけられない)
これは和真のあずかり知らぬことなのだ。自分が勝手に彼を求めて、彼の子を宿した。和真は護衛として命令に従っただけ。彼を道連れになどできない。
(和真に迷惑をかけずに、僕がここから追い出される方法)
どうやれば見た目を悪くできるのか。
まったく見当もつけられないまま、美月はカップに手を伸ばして顔を近づけた。ゆったりと香りをたのしみ、口をつける。花の香りの甘さの後に、引きしまった酸味が口内に広がった。やさしいけれど厳しくて、さわやかな心地が後に残る。
「ああ、おいしい」
腹の底からつぶやけば、和真がまぶしそうに目を細めた。
「和真?」
「いえ」
はにかむ和真がめずらしくて、美月は視線を外せなくなった。
「その、とてもしあわせそうに味わっていただけたのが、うれしくて」
まったくの無意識だった美月は、カップの中の液体をながめた。
「そんなに、うれしいものなのか」
「すくなくとも、俺にとっては」
ふうんと美月はふたたびお茶を味わって、ホウッと吐息をついた。
「和真が護衛になってから、お茶がこんなにおいしいものだと知ったよ」
「それは、よかった」
「うん」
座ってと手のひらで示すと、和真は向かいのソファに落ち着いた。
「和真はお茶が好きなの?」
「そうですね。俺の家は、お茶の専門店ですから」
「お茶の、専門店?」
どこかほこらしげな和真に、美月の胸にあこがれが兆した。そしてそれはすぐに愛おしさに変わったが、美月はこの感情がそう呼ばれるものだとは知らなかった。ただ、和真が大切でまぶしくてしかたがない。
「俺にとっては身近で大切で、とてもおもしろくて奥が深い相手なんですよ。お茶は」
しみじみとお茶への想いを吐露する和真に、美月の心がチリリと焦げる。
「そ……うなんだ」
「ええ。とてもおもしろいですよ。まったくおなじ材料なのに、気候によって味が変わったりするんです。配合だって、それこそ無限にある。空間や料理、提供する相手の気分に合ったものができると、とてもうれしいんです」
夢を見るように語る和真の心の中には、さまざまな茶葉やハーブティーとなる草花の姿が浮かんでいる。それを感じ取った美月の胸が、狂おしく絞られた。
「そんなにお茶が好きなのに、護衛になったのは、どうしてなのか聞いてもいいかな」
「どうして、とは?」
「前に聞かせてくれただろう? 兵士になるための訓練があって、それは三年で終わると。そのあとは帰ってもいいと言っていたじゃないか。どうして和真は帰らなかったんだ」
ズキズキと痛む胸を抱えながら、美月は和真の唇から漏れる声を見つめた。
「そう、ですね」
和真はわずかに迷い、笑んだまま眉尻を下げた。
「守りたい人がいるからです」
ギシリ、と美月の心にヒビが入った。
「まもりたい、ひと」
硬質な声で繰り返すと、和真が無言で首を動かす。その目じりはほんのりと朱に染まっていた。
耳鳴りがして、頭の中に嵐が起こって、美月の呼気は浅くなった。胸を抑えると、和真がすぐさまそばに来た。
「美月?」
「なんでもない……なんでも」
「すぐにわかるウソをつかないでください。真っ青ですよ。気分が悪いんですか。どんなふうに」
「ほんとうに、なんでもないんだ」
「医者を――」
「いい!」
叫んだ美月に、和真が目をまるくする。
「大丈夫だよ。横になっていれば落ち着くから。――夢見が悪くて。ほら、まだあの日からすこししか経っていないだろう?」
さらわれたことをほのめかすと、和真の目元が暗くなった。心配をしてくれているのだとうれしくなる。
(僕は、その“守りたい人”よりも気にかけてもらえているのかな)
大好きなものと離れてまで、和真が守りたいと望んだ人。
見知らぬ相手に嫉妬と羨望を向けながら、美月は和真に抱き上げられてベッドに寝かされた。
「和真」
「はい」
「おまえも」
横になれと命じれば、和真はすなおに従った。命じなくてもそうしてほしかったと、美月は切なくなった。目の奥が熱くなって、涙がこぼれそうになる。情けない顔を見られたくなくて、和真の胸に顔を寄せた。
「俺が、ついています」
耳元でささやかれ、抱きしめられる。たくましい胸と熱い体温につつまれた美月は、静かに涙をこぼしながらも決意した。
(なんとしてでも、和真に迷惑をかけないうちに、館を追い出される方法を見つけなければ)
そのために、どうやれば誰にも疑われることなく自然に、かつ早急に自分の見た目を損なわせられるのかと頭を悩ませる。
(そうなったらもう、和真とはいられなくなる)
それでも彼を取り上げられるよりはマシだ。自分から離れるほうが、ずっといい。
(父さん。僕は、僕のボルトと繋がれないみたいだ)
ごめんなさいと謝罪した美月の心は、熱を持つほどに冷えていった。
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