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第21話

 和真の家は、あらゆる茶葉を売る店をしていた。  店はそれほど大きくはない。ドアを開ければ数歩でカウンターに到着する程度だった。しかし扱っている茶葉やハーブの種類は豊富で、定番のものは当然のこと、店オリジナルのブレンドもやっていた。  ベータたちが住んでいる街の一角に、それはあった。  客たちは店頭に並んでいるものを買いもしたが、ほとんどが「こんな気分のときに合うものを」などと、独自のブレンドを注文していた。  店の奥には調合室があり、そこで店主である和真の父親が注文に合わせて茶葉やハーブを計量して、注文どおりのものを作成していた。和真はそんな父親を、まるで魔法使いみたいだと尊敬のまなざしでながめていた。 (俺もいつか、父さんみたいなお茶の調合師になるんだ)  そんなふうに夢を見て、父の仕事を見学しながら知識を蓄え、十歳になるころには定番の調合をまかされるようになっていた。 (自分オリジナルのものを作りたい)  いつしか自然とそう考えるようになっていた和真は、十四歳になったとき、試飲用のポット一回分だけならと許可をもらって試行錯誤を続けた。  調合するには味のイメージがいる。  和真にはお茶の配合のモデルとなる人がいた。  それはいつも母親に手を引かれてくる、女の子みたいな男の子だった。 「俺は、その子のイメージに合ったお茶を作りたかったんです」  どうしてそう思ったのか、いまでは覚えていない。ただ、その子どもはとても目を引いた。漆黒のつややかな髪をひとつに束ね、母親の趣味なのかスカーフで留められていた。服装はいつもブラウスにズボンという恰好で、それになにかを羽織っていたり、ネクタイやリボンがついていることもあった。  名前も知らないその子の雰囲気に似合うお茶を。  和真は何度も失敗し、そしてやっと成功した。人見知りらしいその子は、母親には満面の笑みを咲かせるのに、和真の両親が話しかけると顔をこわばらせて、母親のうしろに隠れてしまう。そんなひかえめな態度が、なかなか表現できなかった。 「完成したお茶を、俺は両親よりも先に飲んでもらいたくなったんです」  だから朝早くにそれを用意し、その子が来るのを待っていた。  お店の一角には試飲ができるスペースがあり、カウンターに向かう形で二脚のイスがあった。  その子が来店してすぐに、和真はその子をイスに誘った。 「俺のお茶を飲んでほしいんだ」 「こら、和真。――すみません。ちかごろオリジナルの調合に夢中でして」 「あら、そうなんですか」  父親に叱られて、その子の母親にやわらかなまなざしを向けられて。そして目当てのその子は、警戒の目で母親のうしろに隠れてしまった。 「その子のイメージで作ったんです」  背筋を正して、和真はその子の母親に訴えた。そしてニコッとその子に笑いかけた。その子はおずおずと顔を出し、ちいさな声で「僕の?」とつぶやいた。 「そう、君の」  元気よく言った和真は、その子をイスへと手招いた。もじもじしていたその子は母親に背中を押されて、イスに座った。 「和真。お客様にお出しするまえに、まずは俺に試飲させなさい」 「大丈夫だよ、父さん。味は保証する。ちゃんと俺が味見しているんだ。それに、これはあの子のお茶だから、いちばんに飲んでもらいたいんだよ」  あらあらとその子の母親はコロコロと笑い声をあげ、和真の父親は弱った顔で頭を掻いた。 「いいじゃないですか。――そんなふうに思われて、うれしいわねぇ」  母親にうながされて、その子はぎこちなく、けれどしっかりうなずいた。 「それで俺は、その子の前に、その子をイメージして作ったお茶を出したんです」  語る和真のほほえみが、まなざしが、美月の心をキリキリと痛める。これほどまでに和真に思われている相手が、うらやましくてならなかった。 「それで、その子は」 「おそるおそるカップを持って、飲んでくれました」  その瞬間を思い出した和真の顔が、至福に輝く。遠い記憶にそこまでの顔をさせるほど、鮮烈な思い出なのだと美月は知った。 「それで?」  痛む心を隠して問えば、はにかみながら和真が続ける。 「はじめは不思議な顔をして、それからとてもうれしそうに、母親に向かって言ったんです。おいしいって」 「そう」 (そうだろうね)  いままで和真が淹れてくれたお茶の味を思い出して、美月は指を握りこむ。どれもが美月の気持ちに寄り添ってくれた。あの技はその子のために磨かれたのかと苦しくなる。 「その顔が、月並みな表現ですが、花がほころんだみたいで。そのあと俺にむかって、おいしかったって言ってくれたんです。そして、このお茶がほしいと母親にねだってくれました」 「買って帰ったの?」  いいえと和真が顎を揺らす。 「俺が許された調合は試飲用のポット一回分。売るための茶葉は調合できていなかった。だから、翌日にそれを渡す約束をしたんです。お茶の値段も決まっていませんでしたし」  うんと美月は相づちを打った。和真の笑顔にかげりが生まれ、どこか悲しげなものになる。 「お茶の名前はセレーネにしました。その子の名前を聞いて、それに関係のある名前にしたかったので」 「セレーネ」 「はい」 「どういう意味?」 「意味、というか。名前なんですよ」 「名前?」 「ええ。神様の名前なんです」 (神様になぞらえるくらい、和真にとって特別な相手ということなんだね)  胸だけでなく、みぞおちのあたりもキュウッとなって、美月はあえいだ。 「美月」 「大丈夫だ。続けて」 「ですが」 「いいんだ。聞きたい」  案じる和真を強い目でうながす。しばらく様子をうかがっていた和真が、わかりましたと話に戻った。 「その子は翌日、来ませんでした」 「どうして」 「遠くへ行ってしまったのだと、母親はさみしそうに笑っていました。そしてセレーネを、子どもの代わりにと言って購入しました。それから俺は、その子の母親のために、セレーネを調合し続けた。いつかまた、その子がセレーネを飲んでくれるようにと願って。あの笑顔を励みにして、いろいろな調合ができるよう勉強をしました。父の代わりに調合をまかされるようになって、自信もついて、いつでも店を継げるとまで言われるようになれました。――すべて、その子のおかげです」 「それで、どうしてそこから館に来ることになったんだ」 「俺が兵役に行っている間は、セレーネの調合は父親にまかせると、その子の母親に告げたときに教えられたんです。その子は天使の館に連れていかれたのだと。とてもきれいな子でしたから、すぐに納得できました。オメガだとは知りませんでしたが」 「そう、なんだ」 「ええ。ですから、兵役訓練を終えて、護衛に志願し、鍛錬を積んで館の護衛試験を受けたんです。その子に会いたくて。――もうすでに引き取られている可能性もありましたが、彼はまだ館にいました。ひと目でわかりましたよ」  はにかみながら目を伏せた和真の姿に、美月の心が悲鳴を上げた。 (やはり和真の守りたい人は、あそこにいるんだな)  確信を持った美月は、無理やり笑顔を作った。 「心配をしなくてもいい。川上さんに、和真が護衛に戻れるようにしてほしいと頼んであるから。その子の護衛になれるように、きっと手を貸してくれるはずだよ」 「えっ」 「えっ……て」  感謝の言葉ではなくおどろきを発せられて、美月は目をパチクリさせる。 「ここまで話しても、わからないんですか」 「なにが」  やれやれと首を振った和真が、そっと美月の手を取った。 「セレーネというのは、月の女神の名前です。なにか、思い当たりませんか?」  美月は首を振った。和真はソワソワと視線をさまよわせ、唇を迷わせてから美月に視線を戻し、硬い表情になった。 「美月」  真摯な声に、美月の背筋が伸びる。 「うつくしい月と書いて、美月。そう教えてもらいました。だから俺は、あのお茶にその名をつけたんです。――前に、なつかしい味だと言ってくれた、あれがそうですよ。たった一度の試飲だったのに、覚えていてくれたんだと……俺は」  胸を詰まらせた和真の声が途切れる。美月は信じられない顔で、和真を見つめた。 (たしかに、なつかしい味だと思った。あのお茶が、僕をイメージして和真が調合してくれたもの……だって?) 「俺が守りたい人は、美月。あなたです」 「そんな……たったそれだけのことで、護衛になったのか。僕が覚えている保証なんて、なにもないのに」 「美月の護衛になれる保証だって、ありませんでした」 「そう、そうだよ。それなのに、どうして」 「どうしても、守りたかったからです」 「そんな」  わなわなと震える美月の頬が、和真の大きな手に包まれる。あたたかなそれに、美月の目じりから涙がこぼれた。悲しいわけでも、うれしいわけでもない。ただただ胸になにかがあふれて、それが涙になっていた。 「たった、それだけのことなのに」 「俺にとっては、とてもおおきな出来事なんです。あの笑顔があったから、俺はその道を究めようと思った。あの笑顔がずっと、俺を支えてくれたんです。すごく自分勝手な思い込みだとはわかっています。だけど本当に、あの瞬間は特別なものなんです。きっと、恋に落ちてしまったんでしょうね」 「こ……い?」 「はい」  その単語は、ふわふわと揺れるばかりで美月の中には落ちてこない。いまいち実感が持てない美月に、和真は言い直した。 「子ども、いるんですよね」 「え、ああ」 「俺と美月の、子どもなんですよね」  そうだと言っていいものかと迷いつつ、どうせ祐樹から聞いているのだから、ごまかしてもしかたがないとうなずいた美月に、和真が顔中をとろかせた。 「美月のボルトは、俺だったってことでいいですか」 「あ……」  ポケットからなにか取り出した和真が、それを見せる。 「これ」 「美月が父親からもらった、大切なものです」  震える指でつまんだ美月は、それを目の高さに持ち上げた。繋がっているボルトとナットの向こうに、和真のやさしい瞳がある。 「オメガは自分が望まなければ、妊娠しない。――つまり美月は、俺との子どもを望んでくれたんですね」  ふわぁと頬が熱くなり、美月は顔を伏せようとした。すぐさま顎に手をかけられて阻止される。せめて視線だけはと、目をそらした。 「美月」 「それは、不可抗力というか……どうして子どもができたのか、僕もよくわかっていないんだ。だけど、和真に守りたい人がいると聞いたとき、とても苦しかった。胸のあたりがギュウッとなって、つらかったんだ」  言いながら胸元を握りしめた美月は、そうっと和真に視線を戻した。 「和真を取られたくないと思った。ずっと、そばにいてほしいと思った。だけど、だから……和真に迷惑をかけないようにしたかったんだ」 「つまり、俺のことが好きだと。そういうことで、いいんですね」 「う……そ、そうなるね」  もごもごと観念した美月の唇に、そっと唇が重ねられる。 「美月」 「なに」 「俺は、川上さんと取引をした。祐樹から話を聞いてすぐに」 「えっ」 「川上さんは快諾してくれたよ」  和真の口調が敬語ではなくなっている。それに気づく余裕もなく、美月は和真の肩を掴んだ。 「取引って、なにを」 「美月を助けてほしい。その代りに、俺が提供できる最高のものを、川上さんのために使うと約束をした」 「そんな、なんで」 「言っただろう? 俺が守りたい人は美月なんだ。だから、俺のすべてをかけて美月を守る」 「和真。……でも、それなら僕だって、なにかしたい。和真のためになるようなこと。なにができるのか、ぜんぜんわからないけれど」  言いながら、川上の「元気になったら頼みたいことがある」という声を思い出す。 (僕にもできることがある)  それはちいさな勇気になった。 「それじゃあ、美月。互いに支え合って生きていかないか」 「互いに?」 「そう。ボルトとナットは、ふたつでひとつなんだろう? ピッタリの相手でないと、すぐにゆるんで外れてしまう。だけどピッタリの相手なら、しっかりはまって外れない」  そのとおりだと美月はうなずく。 「だから、俺と結婚をしてくれないか」 「けっ……」  そんな単語が出てくるとは思わなかった。おどろきすぎた美月の思考が空回りする。 「どうだろう。子どもといっしょに、俺とお茶の店を継いでくれないか」 「そんな……でも、僕は」 「俺と美月の子どもだろう? 俺が育児にかかわってもいいはずだ。それに、俺は美月が好きで、美月も俺のことが好きなら問題はなにもない。なにより結婚をすれば、ずっといっしょにいられるし、川上さんとの取引を、手伝ってもらいやすい。――どうだろう、美月」  緊張気味の和真を見ていると、なんだかおかしくなってきた。 (僕の気持ちは、物証付きでわかっているのに)  それでもきちんと美月の気持ちを聞きたがる和真の態度が好ましく、うれしかった。 「和真」  美月は深く息を吸い、和真にとってはなつかしく大切な笑みを満面に広げた。 「はい」  短い返事を口にした瞬間に、美月はしあわせと愛おしさを実感し、愛されるよろこびを思い出した。

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