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第2話 古城の老人

 翌日、ゼスは村の外れの街道を馬で一人辿っていた。村長の話はこうだった。  『村外れの山頂にある古城に、百年程前から人影を見たという噂が絶えない』という。  人影は、恐いもの見たさの若者たちの話によると、ある時は三十代くらいで狩りをしていたり、ある時は六十代くらいで薪を割っていたり、ある時はとてつもなく年ふりて黙ってロッキングチェアーに揺られていたりするという。  ゼスは、頭上に作られた天然の樹木のアーチをくぐりながら、あの時と似ていると考えた。  孤独な男が、古城に住み着き、たまたま永らえているだけなのではないか、と。  自分はけして間違いを犯さない。そう誓っているゼスは、気配を殺す事なく堂々と古城の入り口まで馬で乗りつけた。  ヴァンパイアなら、昼間の安全を図る為に、訪れる者を除く様々な罠が仕掛けてあるものだ。  だが今回は、何も仕掛けられていなかった。ゼスは確信に近い予感として、まだ見ぬ彼が、ヴァンパイアではないと感じていた。  馬の手綱を木の枝に結び付けると、ゼスは精緻な獅子の彫刻の施されたドアノッカーを三回、鳴らした。硬い音が響くが、返事はない。  かつては名のある貴族が所有していたのだろう、打ち捨てられて百年経ってもなお、苔や蔦の下の彫刻は、どれも品が良く細部まで凝っていた。 「開いてる……」  驚きに、思わず独りごちた。両開きの長大な扉に鍵はかかっておらず、また錆付いてもおらず、ゼスの力でも容易く開ける事が出来た。  一応、いつでも抜けるよう剣に手を添えながら、内へ踏み入る。 「誰かお住まいですか?」  吹き抜けの玄関ホールで声を上げる。やはり返事はない。そのまま、ゼスは招かれるように進んでいった。  古城に住人がいるのは明らかだった。簡単に開いた扉に、もう随分と手入れはされてないようだが人工的に植えられた中庭の花、歩いた跡だけが減っている毛足の長い絨毯。  しかしそれだけ住人の痕跡があるのに、人の気配が全くないのが不可思議ではあった。ゼスは、廊下に飾られた絵画や中世の甲冑などに目を奪われながら、進んでいった。  突き当たりにある部屋の扉が、細く開いている。本来なら用心する所だが、ひと気が感じられず、また開けた先にあった火の点らぬ暖炉の上の巨大な肖像画に、ゼスは感嘆の溜め息をついていた。 「わぁ……」  黒いスーツに長いブロンドのゴージャスな紳士が、まるで今にも話しかけてきそうに、生き生きと精悍に描かれていた。  ゼスは我を忘れ、魅入られたように、肖像画に近付く。 「……どなたかな」 「!!」  一瞬、本当に絵が口をきいたかに思えたが、声は間違いなく斜め後ろからした。  反射的に剣を抜き放って振り向くと、今まで全く気配を感じなかったそこに、一人の老人がロッキングチェアーを揺らしていた。 「居眠りをしていたようだ……。もう歳なものでね、お出迎え出来ずに申し訳ない……」  肖像画と同じスーツとネクタイに身を包んだ、薄い白髪(はくはつ)に痩せぎすの老人は、そう言って、見えているのかいないのか、切っ先を突きつけられている事には触れず、灰色に濁った目でゼスを見た。 「あ……いえ。こちらこそ、無作法で申し訳ありません。鍵が開いていたもので、お邪魔してしまいました」  ゼスはすぐに剣先を下げると鞘にしまい、非礼を詫びて一礼した。 「俺はゼス・スライドです。貴方は……?」 「名乗るほど立派な名前は持っておらんよ……」 「でもそれでは、どうお呼びしたら良いか分かりません」  それまで生きるのに疲れたといった表情を見せていた皺が、確かに微笑んだような気がした。 「ほう……こんな年寄りの相手をしてくれるのかね」 「ええ、貴方とお話しする為に来ました。どうかお名前を」  老人はひとつ、頷いた。まるで自分の名を思い出そうとするかのように間をとって、暖炉の上の肖像画を見ながら言った。 「……ラッド。そう、ラッド・ピングス」  つられて、ゼスも肖像画を見上げる。老人の視線を辿ると、絵の下のプレートに目がいった。そこには、『ステラヴェルト・ピングス』とあった。 「ラッドさん、ですね。この絵は、ご家族のものですか」 「ああ……父の肖像画だ」 「素晴らしいですね」  だがゼスのこの言葉には、何故かラッドは、謙遜でなく否定した。 「画家は良いがね。被写体が悪い……」  その言葉にゼスは、家族の確執でもあったのかと、しばし黙して次の会話まで時間をおいた。  しかし意外にも、次に口火を切ったのはラッドだった。 「紅茶が……確か……キッチンに……」  そう言って、傍らのサイドテーブルに立てかけてあった杖を取り、椅子から立ち上がろうとする。そのふら付く足元を見て、ゼスは慌ててラッドに駆け寄って制した。 「お構いなく。用件は短いんです」 「ほう……何かね」 「俺はこういう者です」  ゼスは、酒場の店主にしてみせたように、ローブの隙間から、シルバーの十字架をチラリと覗かせた。  しかしラッドは、灰色の目をしばたたかせて、 「すまないね。目が殆ど見えんのだ」  と皺深いおもてをゼスに向けるばかりだった。  この人は、違う。その思いから、ゼスは端的に言った。 「俺は下の村から依頼を受けた、ヴァンパイアハンターです。貴方は、ヴァンパイアですか?」  瞬間、ラッドはきょとんとした顔色になり、やがて咳き込むように深く笑った。笑いが収まると咳だけが残り、ゼスは思わずその背をさすった。 「ああ……いや……ありがとう、ありがとう……もう、大丈夫だ」  ラッドは、柔らかくゼスの掌を断り、可笑しそうに笑顔で言った。 「君は……そうやって、いつも尋ねるのかい? 私がヴァンパイアなら、不意を打てたかもしれないのに……」 「貴方は、違うと思ったから尋ねたんです。貴方からは、血の匂いがしない。現にこうやって、昼間でも活動している」 「力の強いヴァンパイアは、昼間でも陽光さえ遮れば、活動出来ると聞いた事があるがね」  言われてみれば、城中は薄く白いカーテンに覆われていた。  しかし充分に明かりが差し込んでくる為、意識しなかったのだ。 「ハンターになって、初仕事かい?」 「いえ。すでに四体倒しました。依頼は三十件ほど受けましたが、その多くは、中世の魔女狩りのような悪しき風習です」 「ほう……その若さで、四体も……」  ラッドは感慨深く唸った。 「今回も、違いました。その事実を村人に伝え、今後の貴方の身の安全を保障しましょう、ラッドさん」 「……ヴァンパイアハンターは、報酬の為なら、魔女狩りに加担するとも聞いたがね」  ゼスが、木枯らしに向かって立つ白樺の木のように、強い声音を出した。 「俺は違います。ラッドさん」 「そうか……」  何回か頷いて、ラッドは深く溜め息をつくと、ゼスを見上げた。 「もうずっと一人でおったから、話し疲れてしまったようだ……。楽しかったよ、ゼス。私はもうひと眠りするとしよう……」  本当に疲れたのか、ラッドは灰色の瞳を閉じた。  ゼスは、先程ラッドが立ち上がりかけた時にずり落ちた膝かけを定位置に戻し、礼を尽くして老人に去就を告げた。 「では、失礼します、ラッドさん。……また」  言ってから、ハッとした。『また』? 視線は、肖像画の蒼い瞳に釘付けになっていた。  自分は、『また』とどっちに言ったのだろうか? 老人と、肖像画と。どちらにしても、馬鹿げている。  ゼスはかぶりを振って、急ぎ足でこの奇妙な城から退散した。  異形の者をいち早く感じ取る筈の駿馬は、のんびりと下草を食んでいた。

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