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第3話 ダンピール

 『また』。その言葉は、数日後に実現しようとしていた。  あれから村に下り、村長にラッドがただの老人だと告げても、酒場の若者たちは納得しなかった。中には、ゼスの無能をあからさまに揶揄する者もいた。  若者たちを鎮める為、村長にもう一度確たる証拠を持ち帰って欲しい、と乞われ、ゼスは再び町外れの街道を馬に揺られていた。  不思議な事に、胸が躍る。またラッドと話したかったし、あの肖像画を見たいと思った。  今日も、ノックしても返事はない。ゼスは、真っ直ぐに数日前ラッドと会った部屋へと足を向けた。  だが、そこに彼の姿はなかった。 「ラッドさん?」  呼んでみても、あの老人の耳に声が届くとは思われなかった。  代わりに、彼の父だという肖像画を見上げる。飽く事なくそのターコイズブルーの瞳と目を合わせていると、描かれた魅力的な壮年の男は、こう語りかけてくるようだった。 『久しぶりの来客だ、ゆっくりしていくと良い』  うっとりといっても良い眼差しで男を見詰めるゼスは、我知らず口に出していた。 「ラッドさんは何処ですか……?」  返事こそ返らなかったものの、ゼスはようやく男の魅了から解き放たれ、城の中を探し始めた。  城というだけあって、部屋数が多い。どの部屋にも、小奇麗に装飾品が飾られてあった。手入れも行き届いているようだったが、小間使いの姿が一人も見えないのが不思議に思える。  やがて、ひとつの部屋の扉をを開けると、天蓋付の豪奢なベッドのある寝室に出た。サイドテーブル上に飲みかけの水差しが置いてあるのを見て、間違いなくここが主寝室だと悟る。  これも古めかしい伝統的な刺繍の入ったビロードのカーテンは、下ろされていた。  寝ているのだろうラッドを起こさぬよう、ゼスはそっとカーテンの内を覗いた。 「!!」  思わず悲鳴を漏らしそうになり、唇を片手で覆う。  そこには――ベッドの上に、漆黒の棺が乗っていた。ヴァンパイアが生まれた土地の土を入れ、昼間の間眠る唯一の場所だった。 「まさか……!」  ラッドからはヴァンパイア特有の、拭っても拭っても拭いきれない血の匂いはしなかった。  数瞬、ゼスが立ち竦んでいると、中からしわがれた声が聞こえてきた。 「どうしたゼス……倒さないのか? 心臓に杭を打てば良い」 「そんな……そんな、ラッドさん、貴方は……」 「私は……ダンピールだ。ヴァンパイアが、戯れに人間との間に儲けた子……」 「ダンピール……!」  師からその存在を教わってはいたが、出会うのは初めてだった。 「ヴァンパイアと違って、血を吸わなければ、いつか年老いて死ぬ事が出来る……そう願っていたが、君が来た。君の手で最期を迎えるのも悪くない」 「一度も吸血した事がない……?」 「ああ。呪われた生を、これ以上長引かせるつもりはない」  ゼスは、戸惑った。吸血を望まない者を、果たしてヴァンパイアと呼べるのか?  沈黙が下りると、ラッドが語り始めた。 「母は、画家だった。父がこの城に住んでいた頃、村から呼び寄せ肖像画を描かせた。そして母は私を身篭ったが、父は私が生まれる前にすでに母に興味を失って、この地を去った。母は物心つくまで何とか私を育ててくれたが、気が触れていて自ら命を絶った」 「……ラッドさん、俺が入ってきたのを分かっていて、棺の中に居たんですか? 殺される為に!」  喉の奥で楽しそうに笑う声がこもって聞こえてきた。 「君は本当にヴァンパイアハンターかね? ダンピールと知ってもなお、私に敬意を払う……。ハンターとヴァンパイア、相容れぬ定めだ。敬語は不要……」  悲痛な表情を浮かべ、ゼスはラッドの棺に手をかけた。数日前にしたように、その縁を労わるようにさする。 「ラッドさん……」 「ラッドで良い」 「……ラッド。貴方は、そう遠くない死を待つただの老人だ。村人には、そう伝える」 「ありがとう、と言うべきかね」 「その代わり、証しとしてしばらくここへ通わせて貰う」 「これは……今わの際に、思わぬ楽しみが出来たな」  その声は笑みを滲ませていた。ゼスは、哀しいような嬉しいような複雑な表情を美しいおもてに浮かべ、しばらく黙って棺をさすっていた。 「じゃあ、ラッド。また」 「ああ……。私に、『また』と言い合える友が出来るとは思わなかった……」  最後の方は、寝息混じりに溶けていた。この老人は、少しの会話でさえ疲れてしまう程、生きるのに疲れているのだとゼスは思った。

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