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第6話「呂(キス)」
降りてくる瞳を見つめていられない。
ドクン、ドクン
瞼を閉じたら、心臓の音だけがやけに五月蝿く響いてくる。
ドクン、ドクン
ドクン、ドクン
ドクン、ドクン
(これって本当に、俺だけの心音なのか?)
緊張に耐えきれなくて、パッと目を開けた。
瞼を持ち上げた視界……
さらりと黒髪が揺れた。
(山本の……)
短く切り揃えた髪に、爽風が駆け抜けた。
柔らかい……
湿った感触が、俺の唇……の数ミリ横に落ちる。
(山本の、唇……)
キスだけど、キスじゃない。
チリッと微かな痛みが走る……
「やっぱり藤堂は面白れーな」
濡れた感触はすぐに離れて。
蒼穹の下に、いつもの見慣れた笑顔が飛び込んできた。
「無防備すぎ」
「……からかったのか」
「仕返し。殴られて痛かったからな」
唇が触れた頬に、指を這わせてみる。
歯を立てたのか?
赤くなってるんだろうか。
「殴り返せばいいだろ……」
こんな紛らわしい手段を取らなくても。
「んー、殴るとさ。手ェ怪我して、知覧に行けなくなるとマズイだろ。飛行兵は手が命だし~」
そういう事かよ。
ひらひら
臆面もなく、手を振って見せるから憎らしい。
「それにさ」
腕を引っ張られて、無理矢理、重い体を起こされた。
「お前を傷つけたくねーよ」
ペロリ
食 まれた頬を、舌が舐めた。
「これでもう痛くねぇよな」
「……タチ悪ィ」
「そっか?」
悪すぎるだろ。
自覚がない分、余計に。
「でもさ。これで藤堂も分かっただろ」
「なにが?」
「思い通りにはいかねーって事。
自分の事ですら思い通りできないのに、ましてや俺の事を自分のせいだって抱え込むの、おかしくね?
藤堂は他人を思い通りにできる程、偉いのか。違うよな。藤堂は俺の幼馴染み」
だから。
「お前のせいじゃない」
陽の光のそよいだ草原が、さらさら揺れる。
(なんだよ、それ)
俺は慰められているのか。
ぎゅっと握った拳に爪を立てる。
(守りたい相手に慰められて、どうするんだよ)
「悪かったな、幼馴染みで」
無力な幼馴染みだ。
「拗ねてるのか?」
「拗ねてない!」
唇が動いて、山本が何か言いかけた時。
「藤堂さーん」
俺を見つけた下級士官の少年兵が、走ってくる。
「マルタがっ」
言いかけて、ハッと口をつぐんだ。
隣にいる山本を目にして、顔色が変わる。一緒にいたから、同じ部隊だと思い込んでしまったらしい。
俺の所属部隊は機密が多い。他部隊に漏らす事さえ厳禁だ。
『マルタ』という呼称に関しても、である。
「藤堂……お前、ヤバイ事に首突っ込んでんじゃないのか?」
「お前が心配する事は何もない」
心配げに瞳を揺らした山本に、フッと口角を上げて見せる。
こういう時の演技 だけは上手くなったものだと、自分を褒めてやる。
「行こう」
口にしたが、体が動かない。
なぜ?
理由など知れていた。
(まだ山本と別れたくない)
何も納得していない。
お前を送り出したくない。
「いつだ」
背中越しに問いかける。
「知覧には、いつ行くんだ」
影と陽射しが揺れている。
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