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3.ただの同僚 1/2
「好きな人いるの?」
女はどうしてそういう話が好きなんだろうな、と口に出す勇気はない悪態を心の中でつきながらも耳だけはしっかりそちらに向けた。
「いませんよ」
くだけた口調に嫌悪感を表すわけでも合わせて軽い調子で返すわけでもなく、顔色1つ変えず質問をされた男は答える。
新入社員の挨拶、社内が少しざわついた。かっこいいとどこからか小さく呟く声が耳に入った。今も変わらない表情は落ち着いた雰囲気を出し、整った顔に大人っぽさも加わりとてもただの新入社員には見えなかった。そんな男を女たちは放っておくはずもなく、同期だけの飲み会はすぐに計画され、実行に移された。親睦を深めるためという名目の元全員参加が強制され、噂の同期、野間桜深ももれなく出席することとなった。
おそらく主に女性が野間と親睦を深めることを最大の目的として開催された飲み会ではあったが、基本そこら中で話は盛り上がり、女性と野間以外も割と親睦を深めることができた飲み会だった。会計を終え外に出ると集合では少し遠慮気味に話していた人たちがお酒の力もあるのか楽しそうに笑って話していた。
飲み会の間、何となく近くにいる男連中と話していた俺はそこで数時間ぶりに野間の姿を見た。楽しそうな雰囲気の輪から少し離れたところに、1人静かに立っていた。どうも女性陣も話が盛り上がっているらしく、ようやく解放された野間が1人で立っているようだった。
二次会行く人、という声がかかるとみんながそこに集中した。行くという元気な女性の声やどうしようと悩む男性の声を抜けて、野間の方へ一歩近づく。今を逃すとこのまま当たり障りのないただの同僚になる気がした。
「野間」
口に出したはずの俺の声はかき消され、野間には届かなかった。
かき消されたのは同僚のにぎやかな声ではなく、他でもない野間自身の声にだった。
「政時!」
そんなに大きな声出せたのか、政時ってだれだ、俺野間のこと呼んだよな、数々の疑問が一気に頭の中を埋め尽くした。しかしそんな疑問は、店内から漏れる明かりに照らされた野間の表情を見てすべて消えた。
同僚になったばかりの男の緩んだ顔を初めて見た。その表情は嬉しさも戸惑いも持たないのかと思っていた。基本無表情で少し面倒くさそうなその表情しか持たないのではなかった。その表情にしかできなかった俺たちが悪かったのだと思うほど。「政時」と口にした野間の表情は一瞬にして明るく輝き、暖かみを持つ。
好きな人いないなんて嘘じゃないか。
すべての疑問は頭から消え、次に浮かんだのはそのことだった。
そして、自分がやっぱり野間のことをそういう対象として見ていたことに気づかされる。好きという言葉がすとんと自分の中に落ちた。
ノンケは好きにならないと決めていたが、おまえもそうなら許されるだろうか。飲み会の間少しも見せなかった笑顔を政時と呼んだ男に見せる野間を眺めながら、ふとそんなことが頭をよぎった。
いや、でもきっと俺には野間をこんな顔にはできない。
どこかではっきりとそのことがわかってしまう。これ以上はここにいてはいけない気がして、振り返ろうとしたとき、野間の友人の右手薬指に光るものが見えた。そして、それが目に映らないはずない野間の顔が曇らないのを見て、こいつはもうすべて知っていて、すべて諦めていて、それでいてこんなにも好きなのだと知る。
それがどうしようもなく愛おしく感じてしまって、抱きしめたくなるのを抑えた。
今度こそ2人に背を向け、元居た場所へと戻る。
あの時呼んだ声が届かなかった時点で、きっと俺と野間の関係は変わらない。きっとただの同僚だ。
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