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第3話 不遇の王太子(2)
政治の場である中央院にある王の執務室。ユリエルはその扉の前に立ち、硬くノックをした。
「ユリエル、参りました」
「入れ」
すぐに声があり、ユリエルは従って中に入る。
正面にある執務用の黒檀の机の奥に王はいた。
年の頃は五十を過ぎ、少しくたびれて見える。心労の色も窺えた。力を持たない瞳が、ユリエルを見ている。
「ユリエル、ラインバール平原ではご苦労であった。見事な戦いだったと聞いている」
「運が良かっただけでございます」
ユリエルは歌うような声で告げて静かに頭を下げる。この姿を慇懃だと言う者がいる。華やかな出で立ちと声音は劣等感を刺激するらしい。
だがユリエルはいつも、このように振る舞う。王もそれを咎めはしなかった。
この日、ユリエルは一ヶ月ぶりに王都へ帰還した。ここより二百キロ程離れた、ラインバールと呼ばれる前線に赴いていたのだ。
隣国ルルエとは、もう長く睨み合いが続いている。その最前線がラインバール平原だ。
事の起こりは一ヶ月と少し前。膠着状態だった両国は再び戦争へと転がろうとしている。
ルルエの前王が病死し、新たな王が即位したことでタニス側が戦を仕掛けたのが原因だった。
一時はタニス側が優位に立ち、ラインバールを平定しそうな勢いだった。
だが即位したルルエ王がこれを知り、すぐに反撃。その結果、タニスはあっという間に危機に陥った。
このままではラインバールの覇権を奪われてしまう。この段階でようやくユリエルが呼ばれ、指揮を執ることとなったのである。
ユリエルは残された兵を再編成し、見事に劣勢を押し戻した。結果、平原を手中に収めることはできなかったものの、再び膠着状態に戻すことには成功した。
だが、ユリエルの危惧はこの戦とは違うものに向かっている。
一つは、王が軍の暴走を止める力を持てなかった事。
今回の事は軍の上層部が勝手に判断した結果だ。これこそが王の弱体化の現れだ。
こんな事が横行すれば一気に国は戦争へと向かっていく。無用な争いが増えれば国が疲弊する。
更に言えばこの戦いを支持する諸侯や大臣の影が気にかかる。奴等は戦争を隠れ蓑に私腹を肥やすつもりだろう。戦争ほど腐敗の目眩ませにはもってこいだ、目端がきかなくなる。それを知らない奴等ではないのだ。
加えて気にかかるのが、ルルエ側の手応えのなさだ。捕らえた兵を尋問したが、新王に関する事は何一つ出てこなかった。
嫌な予感がする。何か裏がある。その為にラインバールでの戦を利用したのではないか?
勘ぐるのは自分の悪い癖。そう、ユリエルは思いたかった。
「して、陛下。私を呼んだ理由は労をねぎらう為ではないでしょう。用件は、どのようなものですか?」
王の言葉をユリエルは待った。ジェードの瞳が王を見据える。数秒の沈黙の後、王は深く息を吐いた。
「お前には王都を離れ、聖ローレンス砦へと赴いてもらいたい」
この命に、ユリエルは片眉を上げた。
「王太子たる私を、王都から地方へと移す。ということですか?」
王は答えない。おそらく答えられないのだろう。これは王の決断ではない。賊臣の要求だ。
「つまり、私をお役御免にして遠ざけたいと、そういうことですね?」
鋭さを隠さないまま、ユリエルは問う。それでも王は何も答えない。
「弟の王位を確立したいが為に、私を追い払うのですね?」
もう一度、重ねて問う。それにすら王は答えない。理由は分かりきっている。
ユリエルにはシリルという、腹違いの弟がいる。優しく純粋で、色々な意味で無知だ。そして、ユリエルよりも母の位が上だ。
王は正妃との間になかなか子ができなかった。その為側室を迎えたのだ。この側室が、ユリエルの母だ。
王は長子を生んだユリエルの母に、この子を王位につけると約束した。だがそれは十年あまりで覆された。正妃との間に男児が生まれたのだ。
これによりユリエルの母は城内で立場がなくなり、不遇の日々を送ることとなった。そのうちに母は顧みられることもなく亡くなり、ユリエルの不遇は今も続いている。
今も城の内部では正妃の子である弟を王太子とし、後の王へと推す者が多い。それは有能だではなく、弟の方が扱いやすいという考えからだ。
「母との約束を、決定的に違えるのですね?」
「すまない」
項垂れた王が言ったのは、たったそれだけだった。
「貴方を責めるつもりはございません。国の首座として決定した事ならば、一将兵に頭など下げる必要はありません。例えそれが、一度でも愛した女性との約束を違える結果でも。息子である私が相手でも」
ユリエルの声には、一欠片の優しさもなかった。
明らかな責めに王は言い訳をしなかった。これは既に決定されたことで、ユリエルの責めに間違いがないからだ。
「五百の兵を預ける。後は聖ローレンス砦の首座として努めよ」
「それが貴方の精一杯の温情ですか。……いいでしょう、従います。ですが父上、私が何者かを知っていれば、こんな事は時間稼ぎの無駄な足掻きと分かるでしょう」
ジェードの瞳が危険な光を宿して王を見る。
「私は、王の子です」
「……そうだ。だからこそ、私はお前が恐ろしい。お前の性は苛烈すぎる。このままお前が玉座につけば、血の粛清が行われかねない」
王の言葉に、ユリエルは柔らかく微笑んだ。母に似た、とても美しい顔で。
「貴方のその配慮に、家臣一同感謝の涙を流すでしょう。そして民は、血の涙を流すのです」
それだけを残して、ユリエルは踵を返し部屋を出た。
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