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第6話 無名の碑(3)
「ところで殿下、聖ローレンス砦を守る男の事をご存じですか?」
グリフィスの問いに、ユリエルは首を横に振った。
名は聞いた事がある。それと一緒に、噂も少し。
聖ローレンス砦を預かっているのは、クレメンス・デューリーという若い将だ。貴族の嫡男であり、聖ローレンス砦を含む領地の領主だった。だが、貴族の世界と水が合わなかったのか、騎士となった変わり者だ。
性格は少々偏屈で、周囲とは溝がある。そういう人物らしい。
「クレメンスという男で、俺の友人です。悪友という方が合っているかもしれませんが。噂くらいは聞いた事があるでしょうか?」
「噂くらいは。ですが私は噂で相手を評価する様な事はありません。その人物は、友人のお前から見てどのような人物ですか?」
「噂通りかと思います。偏屈ですし、付き合いやすい相手ではありません。ですが、能力は高いと思います。武というよりは、智として」
「ほぉ」
ユリエルは鋭い笑みを浮かべる。瞳には明らかな興味と野心が見て取れた。
「用兵、諜報の才能があります。先読みの力も。王佐の才、とまで言えるかは分かりませんが」
「お前がそう評価するのなら、そのような才があるのでしょう。お前は他人の評価に手心を加えるような奴ではありませんからね」
グリフィスは少し顔を赤くし、視線を外した。意外な評価だったのだろう。
「武についても後れを取るものではありません。腹を割って話してみてはいかがでしょうか。おそらく、貴方の力になってくれます」
「不穏な事にも乗ってくれそうですか?」
意地悪に笑って問うと、グリフィスは予想通り眉根を寄せる。誠実を体現したようなこの男は暗い話しを好まない。
だがユリエルにとっては重要な部分でもある。
そのクレメンスという男が有能で、かつ野心家ならば取り込みたい。一緒に悪巧みをしてくれる仲間が欲しいところだ。
「……クレメンスは現状に満足しておりません。それに、求める国の形もございます。程度にもよるでしょうが、貴方に興味を持つのは間違いございません」
「なるほど、参考にさせてもらいます」
控えめに言っただろうグリフィスの言葉に、ユリエルは満足そうな笑みを浮かべた。
「それと、よければ俺の馬をお連れください」
「ローランを?」
突然の申し出に、ユリエルは首を傾げた。
ローランは国一番の名馬だ。黒く逞しい体躯の駿馬で、力も強く、何より動じない。だが気性が荒く乗り手を選ぶので、今はグリフィスしか乗っていない。
ただローランはユリエルの事も気に入ってくれているのか、乗せてくれる。
ユリエル自身がローランほどの名馬に乗る必要性がないため、グリフィスに任せている。
「あれは強い馬です。きっと殿下の思うように動いてくれるでしょう。お使いください」
「お前は?」
「俺はしばらく王都を離れる事はございまん。お気遣いなく」
これもグリフィスの気遣いかと、ユリエルは頷いて申し出を受けた。
王都の夜は更けていく。この時、密かに暗雲がこの王都に忍び寄り、やがて飲み込むとは誰も気付きはしなかった。
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