15 / 178

第15話 エトワール(1)

【エトワール】  リューヌの背が夜に消えていくのを見送った後で、エトワールは立ち上がる。その足が向く先は、この国の王城だった。  かつては王の居城だったここも、既にその主を失っている。固く閉じた門扉を守る兵は、ゆっくりとこちらへ近づいてくる人影を見て身を硬くした。 「何者だ! ここより先は許可なく通す事は出来ぬ!」  警告の言葉を発した兵士は、松明の光に照らされた青年を見て顔を青くした。手にした槍を落としてしまいそうなほど、委縮したのだ。 「へっ、陛下!」 「お勤めご苦労」  穏やかに言ったエトワールは、今にも卒倒してしまいそうな兵士の肩を軽く叩く。そして、穏やかな笑みを浮かべた。 「申し訳ありません! 貴方様とは露知らず…」 「まぁ、こんな格好だし、夜なのだから仕方のないことだ。それに、お前のように熱心な兵が守る城ならば、俺も安心して眠れるというものだ」  思いがけず貰った激励の言葉に頬を紅潮させ、兵士は大きく敬礼をする。門扉が開いて、エトワールは通された城を見上げた。 「美しいな」  綺麗なシンメトリーの表は、白い壁面に青い尖塔を持つ美しい城だ。庭も手入れされ、綺麗な石畳が続いている。だがやはり、その所々には戦の跡が残っていた。  そのままエトワールは城の中へと入り、王の執務室を訪ねた。すると、中からこれまた見目のいい若者が顔を出した。 「遅かったね、ルーカス。キエフ港に到着したのは、確か昼だったと聞いているけれど?」  多少咎める様子のある若者に、エトワールことルーカス・ラドクリフは苦笑した。 「そう煩く言わないでくれ、ジョシュ。この目でゆっくりと、王都を見たかったんだ。この国は美しいな」  そう言って室内へと入ったルーカスに溜息をつきつつも、若者は扉を閉めてソファーの一つに腰を下ろした。  ルーカスは窓際に立ち、そこから街を見下ろしている。その瞳は、さっきまでリューヌに向けられていたほど柔らかくはない。静かで厳しい、王の目をしていた。  彼こそが、若きルルエ新王。戴冠から一年と経っていない、まだ無名とも言える王だった。 「街には大した被害は出ていないな」 「あぁ、予定通りだよ」  そう答える若者もまた、ルルエ国内では有名な人物だ。  ジョシュ・アハル将軍。ルルエ国第一騎士団を預かる有能な人物であると同時に、ルーカスの従兄弟にあたる。背に落ちる鳶色の髪と端整な顔立ちは、常に女性の憧れの的である。  しばらく夜景を楽しんだルーカスは、ジョシュの正面に座る。そして、暗い顔で聞いた。 「現状を聞こう」  ジョシュも真剣な顔になり、現在把握している限りのことを説明し始めた。 「城を守っていた兵の抵抗が意外と強く、三千ほどを斬る事になった。残りは城の地下牢へと入れてある。けれど、時間を取られたせいで重要な書類や手紙は灰となり、城を取り仕切っていただろう者達にも逃げられてしまったよ」 「相手も必死だ、当然といえば当然だろう」  だが、随分と手際のいい者がいたものだ。攻めたててから三時間程度で落ちたと聞いている。その間に城の者を逃がし、書類や手紙を集めて燃やしたか。 「タニス王は何か喋ったか?」 「いいや。近年では王としての力も落ちたと聞いていたけれど、そう簡単な人でもない。尋問はしているけれど、何一つ話そうとはしないよ」 「そうか…」  これも想定外だ。  元々、王は殺さずに捕えるつもりではいた。だが、王としての力も落ちた者ならば、胆力も落ちただろうと考えていた。だから簡単に口を割らせることも可能かと思っていたが、そう簡単ではないらしい。 「王太子と、弟王子の行方は分かったか?」 「そちらも分からずじまいかな。王太子の方は城を落とすよりも前に、他の砦へ出向していると噂に聞いたよ」 「王太子を王都から出したというのか?」  ルーカスは怪訝な顔をした。あまり聞かない話だ。だがジョシュの方は苦笑するばかりだった。 「どうやら、不遇の王太子だったようだよ、ユリエル王太子というのは。今回も左遷だったとか」 「…そうか」  それでふと、ルーカスは自身の王太子時代に聞いた噂を思い出した。  弟王子のほうが王妃の位が上だ。そんな理由で、国の剣となり盾となっている王太子は冷遇されている。聞いた当初はなんと馬鹿らしいかと思ったものだ。まさかそれが、未だに続いていたとは。 「お前はその王太子に、会ったことはあるか?」 「残念ながら、顔を合わせた事はないよ。戦場でぶつかった事はあるから、なんとなく人柄は分かる気がするけれどね」 「どんなだ?」 「…簡単に言うと、狡猾で抜け目ない。ただ、兵士を大事に扱っている。無暗に突撃するようなアホではないよ。こちらの穴を的確についてくるから、やりづらい相手だった」  ジョシュが思い返すように苦笑する。仕事に対してこのような弱気とも取れる発言をするのは、実は珍しい事だった。 「戦いたくない相手か?」 「正直に言えばね。全力で向かってくる感じがある。逃げを許さない鋭さもある。そして、こちらの盲点を的確についてくる」 「お前がそこまで言うなら、気を付けよう」  会った事のない王太子は、どんな人物か。ルーカスは興味を引かれた。  城の中で冷遇を受け、戦場では冷静な戦いを仕掛ける。王太子でありながら軍籍に長らく身を置く人物とは、どんな者なのか。 「手を組むなら、弟王子の方が御し易いと思うよ」 「どちらがいいかは、会ってみないと分からない。こちらの目的は二国の統一。その方法は、国を攻め落とすばかりではないからな」  そう、戦争だけが国を繋ぐものではない。ないのだが、現状ルーカスはこの方法しか取れなかった。  ルーカスはまだ若い。そして、それ以上に周囲が煩い。特に神の名を騙る者どもが騒がしい。そしてとうとう、神の名の元にあるべき国の形を取り戻すと、信者にまで奮起を呼びかけようとした。  さすがにそうなると、国民のほぼ全てが信仰する神の呼びかけに等しくなる。罪のない民まで巻き込んでの戦争など冗談ではない。  結果、時間をかけてこのような方法で王都を占拠した。これで、あの者共も少しは満足だろう。 「話し合い、両国の関係を正常化する。それは確かに理想的ではあるけれど、果たして聞く耳を持つかどうか」 「持たせてみせるさ。それをするのが、王の務めだ」  これ以上無用の血を流す事は避けたい。だからこそ、王太子と弟王子を捕え、話しをしたい。現王には申し訳ないが、国内を鎮めるための生贄となってもらう。 「頭の痛い話だな。ジョシュ、引き続き王太子の行方を追ってくれ。どこにいるか分かれば、そこに兵を送る」 「了解」  静かに言ったジョシュは、この道の困難さを思って溜息をついた。

ともだちにシェアしよう!