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第44話 海の覇者(3)

 フィノーラ達を見送ったユリエルの傍に、青い顔をしたレヴィンが近づく。そして、具合悪そうにしながらも彼らの背を睨んだ。 「あのフィノーラって女性が、頭目なのかい?」 「おそらくそうでしょうね」 「おおよそ、そんな感じの無い人なのにね。見目は麗しいし、品もある。なにより賢い女性が、海賊だなんてね」 「人にはなっただけの理由と過去があるものですよ。このような決断をしたのだから、それ相応の思いがね」  ユリエルは見逃さなかった。ドレスで隠した足を、僅かに引きずっていた。歩き方もほんの少しぎこちなかった。その理由も、おそらくグリオンだろう。 「俺には少し分かるよ。確かに、なっただけの理由はあるんだ」  アルクースが同意するように頷く。そして、困った顔でユリエルを見た。 「北の地が平穏なら、俺は預言者になっていたし、お頭は族長になってた。誰だって、好きで盗賊なんてしないよ。あの人達だって、同じじゃないかな」  その言葉に、ユリエルは苦笑するしかない。加害者と被害者が奇妙な関係で協力している状態でこうした話題になると、加害者の方はなんともリアクションがしづらかった。  一時間ほど待って、ようやくフィノーラとヴィト、そして数人の海賊が船に戻ってくる。ユリエルは立ち上がり、彼らへと一歩近づいた。 「話は、つきましたか?」 「えぇ。皆の気持ちとしては、条件に異議はないとのことですわ」  静かに言ったフィノーラだったが、ユリエルはそれだけではないと分かっていた。何故なら隣のヴィトが、とても冷たい、感情のない目でユリエルを睨み付けていたからだ。 「他の条件が、ありそうですね」 「えぇ、その通りですわ。私達は貴方の実力と、覚悟が知りたいのです。海賊なんてものは、所詮実力がなければ認められない世界。何よりも力が物をいいますわ」 「つまり、私が戦って貴方達に勝てばよいのですね?」  ユリエルはニッと口の端を上げる。その鋭い眼光は、いっそ獣のようだった。ユリエルは無用な戦いを好む性質ではない。だが、強い者と戦うことに血は騒ぐのだ。 「それでは、相手はヴィトですか?」 「えぇ。この子はこの海賊団の中で一番の実力者。この子が負けたとなれば、皆は貴方の力を認めましょう」 「構いませんよ」  ユリエルが数歩進み出る。それに合わせて、ヴィトも数歩前へ出る。周囲の者は彼らを囲むように後退し、場を空けた。 「先に言っておく。死んでも知らないからな」 「構いませんよ。私に何かあっても、貴方にも、貴方の仲間にも責は負わせません。私にも、それなりの自負があります」  互いを睨み、ユリエルは剣の柄に手を伸ばした。  足場はユリエルにとって、あまりよくはない。波で揺れる。だが、それを負けの理由にするつもりはない。  大きな波が船に当たり砕けた。それを合図に、ユリエルは前へと出た。だが、何かが光ったのを見てその足を止め、飛んできた光を避けた。  銀の光はユリエルの頬を掠めるように飛び、対象を見失っても大きく弧を描いて背後から襲い来る。その音を頼りに、ユリエルは持ち前の柔軟さで瞬時に避ける事ができた。  ただ、それは運よく光を捕え、反射的に体が動いたからに他ならない。ユリエルはヴィトを睨み付ける。そしてその手に戻ってきた、見慣れない武器を認識した。  それは円型の見慣れない武器だった。持ち手の部分には布が巻いてあるが、それ以外は円の外側全てが刃になっている。直径は三十センチほど。彼はこれを手足のように操っていた。 「チャクラムの変形ですか」 「よく、知ってるね。指だけで回転させて投げるチャクラムは、威力がない。けれどこっちは、腕の力で投げられる。殺す事も、できる」  言うのと同時に、ヴィトは再びユリエルめがけて投げた。チャクラムは決まった軌道を描き、回転しながらユリエルを狙う。それをかわしても弧を描いで戻ってきて、背を脅かす。  ユリエル自身はこの武器の事は知っていた。だが、これほど自在に操る使い手と出会ったのは初めてだ。  だが、変則的な動きをしない分読むことは可能だ。一度かわした後は暫く隙ができる。  ユリエルは一撃を避け、そのまま俊敏に走り寄る。おそらく短剣などは持っているだろうが、応戦していればチャクラムに対応するのが難しくなり、武器を取り落とす可能性が出てくる。そうなれば、ユリエルに勝機がある。  だが、そうして忍び寄ったユリエルの頬を、鋭い痛みが走った。血が一筋伝い落ちる。銀のそれは、二つヴィトの手にあったのだ。  血の匂いが、妙な興奮を呼び起こす。それは暫く感じていない高揚感だ。  後方へと退いたユリウスの口元には、ニヤリとした笑みが浮かんだ。闘気の中に殺気がどうしても混じる。そのまま、ゆらりと立ち上がった。  ユリエルの目が、ギラギラと光る。伝い落ちる血を指ですくい、更にその指で唇に触れた。口の中に広がる血の味は、臭いは、確かにユリエルを興奮させた。そして、より笑みを深くした。  更に一歩間合いを取ったヴィトを追うように、ユリエルは軽く進む。その跳躍力の高さに、ヴィトは目を見開いた。  慌ててチャクラムをユリエルめがけて投げる。それにも、ユリエルは一切怯む様子はない。 「な!」  迫るスピードを落とすどころか、更に加速してみせるユリエルは、チャクラムを避ける気などなかった。腕を掠り、チャクラムはそれでも止まらずに僅かに軌道を逸れて飛んでゆく。もう一つが更に迫るが、これもユリエルは加速しながら避けた。目が徐々に、この武器の速度に慣れてきた。  ヴィトは短剣を抜いて構えるが、それよりも前にユリエルの剣が短剣を弾き飛ばした。チャクラムは弧を描き戻ってくる。ユリエルの首を狙うかの如く背後から迫ってくる。  だがユリエルは何の恐れもなく、それに手を伸ばした。 「!」  戻りの方が多少回転数が落ちる。ユリエルの瞳は確かにそれを捉えていた。そして、伸ばした手を僅かに切るだけで武器を奪い取った。  濃くなった血の匂いと、ボタボタと落ちる赤い滴。  それに目を丸くして戸惑ったのは、ヴィトの方だった。  だが、そんな時間はヴィトには与えられていなかった。武器を奪ったユリエルは、そのままヴィトを突き飛ばし、尻もちをついたところへ剣を突きつけた。 「殿下、危ない!」  その声に、ユリエルは視線を向ける。後に放たれたチャクラムが戻ってくる。それを、ユリエルは剣の鞘で絡めとった。勢いをなくしたチャクラムはそのまま静かに、ユリエルの手へと落ちた。

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