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第89話 もう一つの親書(3)
「ルーカス」
「どうした?」
「どうして、私の親書に応えてくれなかったのですか?」
ユリエルは射るような目でルーカスを見た。最初に送ったあの親書に彼が応えてくれていたら、ラインバールの戦いは起こらなかった。
だがその言葉に、ルーカスは訝しそうに首をひねる。そして同じように射るような瞳が、ユリエルへと向けられた。
「何の事だ? 俺は開戦を受け入れる旨の親書しか受けていない。それにユリエル、君こそどうして俺の親書に応えてくれなかった?」
「何の事ですか? 私はルルエからの宣戦布告しか受け取っていません」
互いの瞳が、大きく見開かれる。ユリエルの心臓は嫌な音を立てて鳴っていた。そして、こみ上げる怒りに震え、立ち上がった。
「ユリエル!」
走りだそうとしたユリエルの腕を、ルーカスが掴んだ。だがユリエルは振り返り、止めるルーカスを睨み付けた。
「離せ! あの毒虫共、今すぐに殺してくれる! よりにもよって、王の親書を盗んだんだぞ! そのせいで、どれだけの兵が死んだと思う。どれだけの者が悲しむと思う。どれだけの憎しみが生まれると思う! 血の一滴も流さぬ愚か者が温かな場所で幸せに暮らし、国の為に戦った者が不幸を背負うなど、あってなるものか!」
「落ち着け、ユリエル! それだけはしてはいけない!」
掴まれた腕が強く引かれ、暴れても敵わぬ力で抱きとめられる。それでも、怒りに染まった心はなかなか収まらなかった。
「ユリエル、証拠も無しに酷い仕打ちをすれば、その後どれ程の善政を敷こうが、君は暴君と言われてしまう。一時の感情に呑まれて虐殺などすれば、人の信頼は失われる。お前の治世は始まったばかりなんだぞ」
「では、これを許せと言うのか!」
荒れる心のままに、怒気を含む声をルーカスに向ける。
だが、返ってくるのはどこまでも静かな金の瞳だった。その瞳にはユリエルと同じくらい、怒気や憎しみが含まれていた。
「証拠を見つけ、裁く。王の親書を盗み、国の道筋を歪めた行いは間違いなく謀反だ。それを証明し、堂々と裁く」
「…親書を、探すのですか?」
静かな問いに、ルーカスはただ頷いた。
「どういった内容だったんだ、ユリエル」
「平和的に両国の関係を改善させていきたい。その為の話し合いが持てるなら、捕虜とした兵を引き渡し、ジョシュ将軍の遺体を引き渡す」
「概ね、同じような内容だな。俺は、両国の関係改善のための話し合いを求めた。捕虜の引き渡しに関しては、見受け代を払う事で納得してもらうつもりでいた」
「私と貴方の願いは同じだったのに、真逆の事をしているなんて。これで、引っ掛かりが取れました」
ユリエルは納得できなかったのだ。エトワールがルーカスだと分かっても、ならばどうして親書に応えてくれなかったのか。その一点が、大きく彼にそぐわなくて不安だった。
だが、これで納得だ。そもそも彼は親書の存在を知らなかったのだから。
「俺もだ。お前が戦没者の慰霊碑に残した言葉を見て、この王とならば話ができると思っていた。だが、答えは返ってこない。平和的な解決などできないのだろうと、思ったんだ」
「ルーカス、一度開いた幕は簡単に閉じられない。止める事はできますか?」
「…今は難しい。だが、方法がないわけではない。その為には失われた親書か、それに準ずる物を見つけ、犯人と結び付けなければ」
鋭い瞳で言うルーカスは、決してユリエルには見せない目をする。憎悪よりも更に深く憎い、そんな目だった。
「ユリエル、そちらはどうだ?」
「こちらも、難しいですね。止める理由が無ければなりません。私は…正直、今の家臣団とは折り合いが悪い。それでなくても、弟のシリルに玉座を譲れと言われています。理由もなく、戦果も上げずに停戦などすれば何を言われるか」
「互いに立場は苦しいか」
深い溜息は苦労と心労の現れだろうか。苦々しい顔をするルーカスに、ユリエルは微笑んだ。
「時間をください」
「それは俺も同じだ。だが、どうする?」
「戦いを続けます。ただ、表面的に。被害を最小限に抑えられるように互いに協力し、策を知ったうえで動けば騙せる。そこで時間を稼ぎつつ、裏で動いてもらいます」
「スリリングな話だな。バレたら命はないだろう」
「その時は、私も同罪。共に手を取って逃げてみますか?」
溜息をつくルーカスに、ユリエルは鋭い瞳で笑う。冗談っぽく言ったが、本気だった。
「叶えたい夢がある。君と、何の気兼ねもなく会い、共にいられる未来を」
「えぇ、是非とも叶えたい未来です。その為には、どんな手でも使う」
「悟られないように」
「たとえ信頼している部下でも、易々とは教えられない」
不敵な笑みを浮かべた二人は、しっかりと向き合って頷き合う。そして、今後の話を軽く確かめ合うのだった。
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