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第91話 不落の城(2)
【ルーカス】
ルーカスはリゴット砦から、前に広がる荒野を見回した。
砦は天然の谷のすぐ脇に建っている。橋はこの砦から直接通じているもののみ。ここは関所でもあり、右側は岩場、左側は森が広がっている。森に軍を隠しても、深い谷が結局は進路をふさぐし、罠もしっかり仕掛けている。
「ユリエル、どう攻める?」
本心では、ここで止まってもらいたい。互いに後方支援が十分にできるこの場所で止まって、睨みあったまま時間を稼げるのがルーカスの理想だ。
だが、そうはならない。何故なら再会の夜に、ユリエルから堂々と「砦を落とす」と宣言されているからだ。
考えを巡らせていると、不意にノックの音がした。振り向き、声をかける。そうして現れたのは、ヨハンだった。
「話ってなに、陛下?」
「ヨハン、お前に特別な任務をお願いしたい。誰にも知られず、極秘にだ」
「極秘って…」
ヨハンは困った顔をする。「極秘」という言葉が嫌なのだろう。それでも一つ頷いてくれた。
「いいよ、やる。何をすればいいの?」
「とある人物の足取りを追って、消息を探してもらいたい」
「なに、それ?」
思った任務とは違ったのだろう。ヨハンが大きく首を傾げる。そんな彼に、ルーカスはメモを渡した。
「髪はブルネット、瞳は青い三十代前半の男。青い牧師姿で、腰に黄色の帯を締め、首からは翡翠のお守りを下げている? この人が、何かしたの?」
「タニスからの親書を運んでいた人物の特徴だ。ラインバールの関所を通り、リゴット砦の関所も通過している事が確認できた。だがその先で行方がわからなくなっている」
「タニスの親書って?」
首を傾げながらも、ヨハンの顔色は悪くなる。これでも頭の切れる青年だ、何かしら感じたのだろう。
「とある噂を、タニスの者から聞いた。タニス王が送った親書は二通ある。一通目は、和平交渉を行いたいという内容の物。これを持ってきたのが、メモにある男らしい」
「和平交渉、って。それって、どういう意味だよ…」
徐々に青ざめるヨハンは震えている。それに、ルーカスも息をついた。怒りに猫のような目が光るのが分かる。その気持ちは、嬉しいものだ。
「あちらも、平和的に両国の関係を修復するつもりだったということだ。だが何者かが、それを阻んだ。これも噂だが、俺が送った最初の親書も、届いていないらしい」
「じゃあ、なに? お互い最初に送った親書が届いてなくて、今戦ってるって事?」
「そうなる」
「…最悪だ。それって、今の戦い全部がしなくてよかったことになるじゃん! 命張る事もなくて、仲間が死ぬ事もなかったって事だろ!」
「…そうなる」
ヨハンの怒りは、深く激しい。そしてそれは、ルーカスも同じだ。そして、ユリエルも。
「この人物がどこに行き、どこで消息を絶ったのか。それを行った人物が誰で、どこに繋がっているのかを探してくれ」
「そんなの探る必要ないよ。絶対教皇の周辺だ」
「そうだとしても、証拠がない。親書か、親書を預かった使者の痕跡が必要なんだ」
「何、するつもり?」
「…教皇の不信任を通す。その為には、王命に背き国家を危険に晒した証拠がいる。確かな物的な証拠と裏付けが必要だ」
「!」
ヨハンが息を呑むのが分かった。それだけ、事は大きな事だった。
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「教皇の不信任?」
二人で今後の話をした時、ルーカスはユリエルにこの案を話した。それは、ルーカスにとっても命がけの覚悟だった。
「王と教皇の立場は非情に拮抗している。王は教皇と共に国を支える二柱だと、位置づけられている。だから、この両名が不仲な場合、とある条件を満たせば王は教皇を退位させ、新たな教皇を置く事ができる」
それは確かな国の法であり、王の権限だ。だが、一度しか使えない諸刃の剣でもあった。
「なぜ、すぐに使わないのです?」
不思議そうに首を傾げるユリエルに、ルーカスは苦笑する。そしてもう少し詳しく、話しをした。
「王と国に対し、明らかな損害、謀反となる行いが認められた時に、大臣及び十名の大司教の半数以上が不適切だと判断した場合のみ、教皇を再任できる選挙が行える。この選挙で王は新たな教皇候補を出し、現教皇とどちらが適任か、国民に問う事となる。王が立てた教皇が選任されればいいが、負ければまずい」
「何がです?」
「逆の事が行われる可能性が大きいからだ」
ルーカスの言う事を正しく理解したのか、ユリエルのジェードの瞳が大きく見開かれた。
「王が教皇の適性を問う選挙を行い、それでも国民の信頼を得た時には、教皇は王の退位を国民に問う事ができる。条件は先の選挙に勝つ事。そして、王位を継ぐ者がいること」
「貴方に兄弟はいないでしょ? 従兄弟のジョシュ将軍も…」
そこまで言って、ユリエルは口を噤んだ。気にしているのだろうが、問題はそこではない。ルーカスは苦笑した。
「ジョシュの息子がいる。今年一歳だ」
「一歳の子を王に据えるつもりなのですか!」
驚いた顔で言うユリエルだが、ルーカスは容易に想像ができた。幼ければ御し易い。教皇が後ろ盾となって、国をいいようにするだろう。そうなれば、この国は最悪な軍事国家となる。
「そうならない為にも、明らかな謀反の証拠が欲しい。親書、もしくは親書を運んだ者の明らかな証拠がいる」
「親書は既に処分されている可能性がありますが、身に着けている物ならまだ残っているかもしれませんね」
そう言うと、ユリエルはニッと笑った。
「お守りを探してください。翡翠の、旅人のお守りです」
「それは…」
見覚えがある。リューヌと名乗った彼がつけていたのも、確か翡翠のお守りだった。
「私のお守りを渡しました。あのお守りには、留めや装飾にタニス王家の家紋が小さく彫り込まれています。翡翠自体にもありますから、間違いがありません。それを持っているのは、王家の命を受けた使者のみです」
ユリエルの言葉にルーカスは頷き、まずはその使者を探す事から始める事としたのだった。
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ヨハンは、不安そうな顔をしている。だが、ルーカスはやるつもりだった。困難でも、不可能ではない。そう信じている。
「使者を見つけて、その使者を襲って親書を隠した人物が、教皇と結びついている。その証拠を、求めるわけ?」
「そうだ。それに、それを見つけて民に知らせれば、とりあえずの停戦が可能かもしれない。交渉次第では、タニスとの関係をとりあえず取り持てる」
「そんな都合よくいくの?」
「…信じるしかない。だが、同じように和平を望んだ心が、タニス王にもあるのなら、願いは同じはずだ」
ルーカスの言葉に、ヨハンは少し考えて、静かに頷く。そして早速、夜の闇に消えていった。
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