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第93話 リゴット夜戦(下午)

【ルーカス】  リゴット砦から見える場所に、タニス軍は大きく野営を展開した。  距離はまだかなり離れていて、大砲が届く範囲ではない。大型のテントがこれ見よがしに並んでいるのを見ながら、ルーカスは冷静だった。 「これじゃ流石に、大砲は届かないぜ。どうするよ、陛下」 「焦るな、ガレス。あちらがいつ動くかを、今は見よう。こちらから出る事はないし、大砲があれば易々とは近づけないだろう」  ルーカスはユリエルを考えていた。彼ならばどうするか、その心を考えていた。  彼は冷静に見せて、実は優しく仲間を大事にする。ならば、被害は最小限にとどめようとするはずだ。これだけの部隊が一気にこちらに突撃するような、無謀な作戦は立てないだろう。  では、単騎で出るか? そうなれば、あまりに危険すぎる。それを、彼の仲間は許すのか? そもそも、単騎で攻めて一体どうするつもりだ?  予測でしかない不安が広がり、胸が痛くなる。自身の無茶よりもよほど、恐ろしい事だ。  もしも彼が単騎で攻めてきたら、攻撃の手を緩めるのか? それは、兵の命を預かる身としてできない。では、彼を傷つけ、最悪殺すのか? そんな事は、絶対にできない。 「陛下?」  名を呼ばれ、ルーカスはハッと顔を上げる。キアが、どこか不安そうな顔をして見ていた。 「すまない、少し考え込んでいた。キア、お前にも一つ頼まれて欲しい」 「はい、なんなりと」 「石橋に爆薬をしかけておいてくれ」 「それは!」  キアだけではなく、ガレスも目を見開く。戸惑うのはもっともなことだ。だが、ルーカスはどこかで感じていた。  この砦は落とされる。彼の宣言は誓いのようだった。そう簡単に諦めたりはしないだろう。 「もしもタニス軍が攻め、砦の門が開いてしまった時には橋を爆破し、奴らの進軍を止める。橋が落ちれば、復旧には数か月単位で時間がかかるだろう。その間に、様々な体勢を整える」 「それは…納得はできます。ですが、この砦が落ちるとお考えで?」 「…自身の陣営に罠を仕掛けるような奴等だ、一筋縄ではいかない。準備をしておくことも、必要だ」  ここまで言うと、キアは納得してくれたらしい。一つ頭を下げて、早速仕事を始めた。 「陛下、大丈夫?」  残されたガレスが問いかけるのに、ルーカスは緩く笑う。弱く、疲れたような笑みだった。 「少し、疲れているのかもしれない」 「仮眠取ったら? 俺が見張ってるから、安心して」 「…そうだな」  ガレスからの気遣いに、ルーカスは緩く笑う。そして、お言葉に甘えさせてもらう事にした。  自室に戻っても、いまいち落ち着かない。心の中は嵐のようだ。初めて知った恋情というのは、こんなにも激しく心を揺さぶるものか。  よく、色恋で失敗をする者の話を聞く。今まではなんて馬鹿な事かと思った。だが、今はその者達の事を言えはしない。何よりも愚かな決断を下した自分が、何を言っても説得力などないだろう。  今はただ願う。ユリエル、どうか無茶をしないでくれと。 ============================== 【ユリエル】  同じ頃、ユリエルもまた皆を集めて最終の確認をし、グリフィスは最後の抵抗をしていた。 「ユリエル様、危険すぎます! どうかもう少し、我々を頼ってください」 「十分頼りにしていますよ。そうでなければ、私はお前たちに背中など預けない」 「私が貴方の代わりに、突入の役をやると言ってもダメなのですか?」  グリフィスは噛みつくような目で言うが、ユリエルは緩く首を横に振る。それでは、計画が狂ってしまう。なんとしてでも、ユリエルは真っ先にリゴット砦に入らなければならないのだ。  あの砦には、ルーカスがいる。彼を逃がすだけの時間を稼ぎ、他の者が彼を切り結ぶ事が無いようにするには、最初に突入しなければならない。  何よりも、一目でいいから会いたかった。 「お前では目立ちすぎます」 「貴方ほどではない」 「王である私が後方に下がっているのは普通ですが、お前が前線にいないのは明らかに違和感があります。あちらに、不審がられますよ」 「まぁ、それは確かではあります。ですが、無理をして貴方に何かあれば国が持ちこたえられません。その点、重々ご承知ですね?」  クレメンスも今回に限ってはチクチクと言ってくる。口には出さないが、反対なのだろう。それを押し切ったから、不満があるのは当然だ。 「気を付けます。それに、私の影武者が自陣に立ってくれます。私ほど、夜に目立つ者もいませんからね。変装も楽でしょ?」  ユリエルは笑って、傍にシリルを見る。それに、シリルはしょうがなく頷くしかなかった。  今回、自陣を空けるユリエルに代わり影武者が立つことになった。その役を、シリルがかってでた。自陣を出ない役回りで比較的安全が確保されている事、レヴィンが彼の傍に常に付き添っていることもあり、容認されたのである。 「…俺の馬をお連れ下さい。あれは音にも光にも怯えない、強く速い馬です。そのくらいは」 「グリフィス、有難う。借ります」  やんわりと微笑み、ユリエルは頷いた。悔しそうに、それでも諦めて聞き入れてくれたグリフィスには申し訳ない。  彼らを騙している事が、心苦しい。これは罪だと分かっているが、どうしても守りたい者ができてしまったのだ。 「森の中は多少いるよ。でも、リゴット砦の付近に集中してる。見た所、俺が前に当たった暗殺者の姿は見えないし、こっち側は安全」  周囲の様子を偵察していたレヴィンが帰ってきて、報告をする。そして自然に、シリルの隣に腰を下ろした。 「森の中を抜けると言っても、あまり近づきすぎると気づかれるよ。目立たないようにとは言え、気を付けないと」 「兄上、無理をしないでください。僕には大したことはできませんが、無事を祈ります」 「レヴィン、シリル、有難う」  可愛いシリルを抱きしめ、レヴィンにも視線を向けてユリエルは笑う。  同時に、誓った。ここで死んだら、仲間を裏切るばかりではない。ルーカスを酷く傷つけることになる。無事でいなければならない。  その気持ちが、強くユリエルの覚悟を支えた。

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