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第94話 リゴット夜戦(秘密会議)
【シリル】
その日の夕刻、ユリエルが夜に備えて仮眠をとっている間、シリルはクレメンスのテントで秘密会議に参加していた。
「ユリエル様の無茶は今に始まった事ではないが、今回は何やら切迫したものを感じる」
クレメンスが腕を組んで呟く。それは皆が感じていることで、何とも言えない様子だった。
「兄上、何か悩みがある様子でした。今はそうは、見せていないけれど…」
シリルは遠慮がちに発言をする。
シリルがこうした会議に参加する事は多くなった。勿論、暗い話にはあまり関わらせてもらえないが、全体として何が起ころうとしているか把握できる程度には参加している。
「ユリエル様の悩みとなれば、国政の事だろうか。だが、あの方はそう簡単に他人に弱みなど見せないというのに、珍しい」
「矜持の高い人だからね。確かに、俺の目から見てもちょっと様子がおかしかったかな。でも、今は弱った感じなんてしないよ」
グリフィスの言葉をレヴィンが拾う。皆、何かしら様子の変化には気づいていたのかもしれない。そう、シリルは感じた。
「体の具合が悪いとか、国内でよほどの問題が持ち上がったか…」
「国内はむしろ安定している。地方までは徹底できてはいないが。体調も、問題はないだろう」
顎に手を当てて唸るグリフィスは、何が原因なのか分からないという様子だった。そして事情通のクレメンスも、大して変わらない様子だった。
「何にしても、こう頑なじゃ俺達には分からないんじゃない? 素行調査なんて、するわけにもいかないし。まずは、支えるしかないでしょ」
レヴィンのもっともな言葉に、結局は皆頷くより他になかった。
けれど、シリルはとても不安だった。今夜、馬はこの荒野を駆けるだろう。大砲の弾が降り注ぐ中を、どう切り抜けるかはユリエルの武運に頼るしかない。それを見ているのが、不安で苦しくて怖かった。
テントを出たシリルとレヴィンは、同じテントに戻る。ユリエルからの気遣いだ。名目としては、シリルの身辺警護をレヴィンに任せるというもの。
自身のテントに戻ったシリルは、黙ってレヴィンの後につき、その背に抱きついた。
「シリル?」
「レヴィンさん、兄上を守って」
シリルのお願いに、レヴィンは難しい顔をした。色々と、考えている様子だ。多分、難しいお願いなんだと思う。何よりシリルの傍を離れない事になっているのだから、明らかな命令違反になってしまう。
「そうしたいのは、山々なんだけれどね。色々、難しいよ。あの人は警戒心が強いから、だいぶ離れないと気づかれてしまう。距離を取るって事は結局、出遅れる可能性が高いから」
「楽じゃないのは分かっています。ですが…」
あまりに必死なユリエルの姿など、今まで見たことがない。だからとても、心配なのだ。
いや、これまでの生活でどれだけユリエルの事を見てきたかと問われれば、きっと何も見えていなかったんだ。近くにいるのに、遠い人だと最近感じるようになった。
「…サポート程度しか、約束できないけれど。それでもいい?」
「レヴィンさん?」
考えている様子だったレヴィンが、苦笑する。それに弾かれたように、シリルは顔を上げた。困ったような優しい瞳が、覗き込むようにシリルを見ていた。
「有難うございます! あの、でも僕は何もレヴィンさんに返せなくて…」
そこが少し、心苦しい。シリルはレヴィンに、今の所何もしてあげられていない。
「いいよ、そんなのいらないから」
「ダメです。僕は…レヴィンさん、何かして欲しい事ありませんか?」
頼りなく聞いてみる。するとレヴィンは少し考えて、悪戯っぽい笑みを向けてくる。とても楽しそうな、キラキラした笑顔だ。
「じゃあ、キスしてほしいな」
「キス?」
シリルは目を大きく見開く。揶揄われているような、悪戯な笑み。それはどこか、意地悪にも感じた。困らせて楽しんでいるようにも。
シリルは抱きついていた手を離し、腕を強く下へと引いた。剣の修行を始めてから、これでも腕力はついたんだ。油断したのか、レヴィンはそれに引っ張られる。そしてその頬に、シリルは唇を押し当てた。
「えっと…冗談だったんだけど…」
そんな事は分かっている。でも、ちょっと仕返しした気分でシリルは笑った。少し赤くなるレヴィンの顔は、初めて見た。
「僕を揶揄ったりするからです。できないと思いましたか?」
「いや、そうじゃないけど。もう少し、困った顔も可愛いなって思っただけだよ」
少し視線を逸らして言うレヴィンは、少し子供っぽくも見える。それに、シリルは嬉しくて笑った。
「あっ、笑うなんて失礼だよ」
「ごめんなさい」
「だーめ、許さない。許してほしかったら、もっと熱烈なのね」
「…」
また、困らせて楽しんでる。
シリルの目は据わった。そして、しっかりとレヴィンに近づくとその場にしゃがませ、首に腕を回した。そしてそのまま、唇に触れるだけのキスをした。
「レヴィンさん、僕はこういうの、困らないです。僕はレヴィンさんの事が、好きなんですから」
「あぁ、うん。伝わった…かな。ごめんね、困った顔で赤くなるのが可愛くて、つい。もうしないから、機嫌直して?」
背中に大きな手が回って、抱きしめてくれる。大きくて、綺麗な手。肩口に額を押し当てて甘えてみると、胸の中の不安が薄れるような気がした。
「さて、少し休もうか」
「そう、ですね」
戦いの前、気の立つ場面なのに気持ちは穏やかになった。シリルは微笑んで、自分の布団へと潜り込む。眠りはすぐに訪れた。
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