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第101話 疑惑(3)
【クレメンス】
その頃、クレメンスとグリフィスは落ち着いた時間を過ごしていた。表向きは。
「クレメンス、ユリエル陛下をどう思う」
酒を飲みながらのグリフィスの言葉はどこか重たい空気を持っている。それに、クレメンスは少々考える。それに焦れたように、グリフィスは更に言葉を続けた。
「ユリエル陛下は元から、他人を頼らない傾向はあった。だが、今回の事は少々引っかかる。あれではまるで…」
「自己犠牲、か?」
クレメンスの言葉に、グリフィスもためらいがちに頷いてみせる。
その言葉の意味は分からないではない。赤々と燃える戦場に溶け込むように消えていった背中を見て、拒絶を感じた。傷ついた姿を見て、悲しみを覚えた。
グラスの酒を一口飲む。そして静かに机へと向かうと、そこから一つの報告書を持ってくる。今朝がた届いたものだ。
これを読んで、クレメンスはある意味で今回の作戦をユリエルが強硬に決めた理由が推測できた。
「これは?」
無言のまま差し出された報告書に戸惑いながら、グリフィスが内容に目を走らせる。その目が見る間に驚きに見開かれ、同時に怒りに燃えるのを見た。
「私は国内外に間者を忍ばせている。これは、その筋から入った情報だ」
「これを、陛下は?」
「私からは伝えていない。だが、陛下も独自の情報網を持っている。もしかしたら、もうその線から情報が入っていたのかもしれない」
そこには、ルルエからの使者が二人いた事。タニスの最初の使者が行方知れずなままであることが書かれている。つまり、ルルエからの親書は二通、内一通は届いていない。そしてタニスの最初の親書が届いたかが未だ分からない。
帰ってこない事を不審に思い、探させてはいた。だが敵国の内部では思うように間者も動けない。ルルエに消されたのかと思っていたが、この情報で分からなくなった。
もしかしたら、ルルエ王も最初の親書の事を知らないままなのではないかと。
「これが事実だとすれば、誰かが意図的に王の親書を掠め取った事になる」
「そしてルルエ王もこちらの最初の親書を受け取っていないばかりか、使者が出された事すらも知らない可能性が出てくる」
「信憑性はどのくらいだ、クレメンス」
「高い、とだけ。まだ正確な事は何も分かっていない。だが、この情報をどこからか陛下が入手していたならば、この砦を無理を押して落とした事も、自身が最初に砦に入るように作戦を譲らなかった事も、扉を開けるまでに時間がかかった事も説明できる」
グリフィスが一気に酒を食らう。空になったグラスにもう一度酒を注ぎ足し、それも一気に飲み干した。そして深呼吸をし、唸るように口にした。
「では、なんだ? 陛下はこの情報をどこからか入手し、対話での解決が可能かもしれないと考え、戦いを強制的に長期間停止させる為にあえて危険を侵して侵入し、橋を落としたと?」
「あの方の性格なら、考えうる。あくまでも平和的な解決を望んでいた陛下だ、可能性が見えれば無理もするだろう」
「だが、それなら言ってもらえれば…」
「情報の出所を言えない。もしくは信憑性も確信もない段階では我らが訝しむと思い、言えなかった」
この発言には自信がある。クレメンスもにわかには信じられなかった。特に、ルルエの使者が二人いたことについては。
正直、今も半信半疑だ。何の証拠も出てきてはいないし、託された親書がどのような内容だったかもわからない。ただ、ルルエ王という人物像から考えられる予測では、安易に戦いを望むものではなかっただろう。
「リゴット砦の橋が落ち、数か月から半年という猶予が出来た。陛下はきっと、国内の掃除を始めるのだろう」
クレメンスはそう言って、グラスの酒を覗き込む。実に情けない顔をした自身が映る。それはそのまま、心境だった。
「現在の家臣団は陛下を良くは思っていないだろうし、ルルエとの戦も支持している。加えて奴らの横暴を許せば民が苦しみ、それは徐々に陛下への不信に繋がるだろう。陛下が国内を掌握するにしても、現家臣団の力を削がなければ」
「だが、陛下が直接そこに介入すれば抵抗も反発も強くなるだろ。何より奴らがそう簡単に尻尾を出すとは思えない。血の粛清などすれば、息を潜めている穏健派や高貴なる血筋までが騒ぎ出す。一体、どうするつもりだ?」
グリフィスの言葉は実に理にかなっている。狸は簡単に尻尾など出さないだろうし、ユリエル自身が動けば警戒する。血の粛清など、もってのほかだ。
だがこれは、ユリエル自身が理解しているだろう。こんな事にも気づかぬアホな主を持った覚えはない。
「俺にもそれは、まだ分からない。今は見守るとしよう。我らが焦った所で、どうにかなる話ではない」
クレメンスは既に覚悟を決めていた。元より仕えると決めたならば主は一人と決めていた。
ユリエルは扱いづらい主ではある。警戒心が強く秘密が多い。だが、人を大切にし、誠実な主だ。例え身分の差があっても、交わした約束を反故にすることはない。そういう人だ。
酒に映る自身の像を、クレメンスは一気に飲み干す。それは、惑う自分を一掃するような気持ちの現れであった。
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【レヴィン】
翌日、天気は快晴。レヴィンは周囲の森の探索を終えてのんびりと日向ぼっこをしていた。戦争中というのが嘘のような穏やかさだ。
森の木々を通る日差しは心地よい温かさがあって、何とも昼寝にはうってつけ。そよぐ風も心地いい。
「こんなに気持ちのいい日なのに、それを楽しむ事すら困難なんて。国ってのは本当に、厄介だな」
なんて、呟いてみる。勿論、聞く者などないと分かっていて。
緑の世界に、所々赤や黄色の差し色が見える。葉の隙間からは青い空が見える。自然はこんなに綺麗なのに、人間の世界ってのはごちゃごちゃしていて綺麗じゃない。そんな世界の国を治めるとなると、人間性格も歪むし苦労も多い。それは、ユリエルを見ると顕著だ。
そんな取り留めも無いことを考えていると、不意に足音が聞こえてきた。草を踏む、まだ軽い足音。確認しなくても分かる相手だ。
「レヴィンさん」
「シリル、こっちにおいで。あんまり一人で出歩くと、心配されるよ」
草地に寝転がったままで手招きすると、シリルはその傍に座り、突然覆いかぶさるように抱きついてくる。これには流石のレヴィンも驚いて面食らった。
だが、しがみつく体が僅かに震えているのに気づいて、その背を撫でた。
「どうしたのさ、シリル。何かあったのかい?」
「…僕は、いけない人です。兄上が心配で、兄上を疑っています」
今にも泣きだしそうな新緑の瞳が覗き込む。それを下から見上げるレヴィンは、そっと頬に手を添えた。
「俺には肉親がいないから分からないけれど、そんなもんだと思うよ。特にあの人は忙しくて、秘密主義だからね。いけないなんて事はないよ」
「違うんです! 僕は…兄上の幸せを願っているのに、兄上が遠くに行ってしまうのを恐れて、兄上の幸せを心から応援できないんです」
「どういうこと?」
どうも話の焦点が見えないし、シリルの様子が違う。
レヴィンは起き上がって、真っ直ぐにシリルを見た。幼い体が震えている。困惑に表情が強張っている。その額に口づけて、しばらく体を抱いた。体の震えが消えて冷静に話しが出来るようになるまで。
たっぷりと十分以上が過ぎて、シリルはようやく落ち着いたみたいだった。レヴィンは体を少し離し、隣に座る。シリルはまだ俯いていたけれど、やがてポツリと話し始めた。
「兄上と昨日、話しをしました」
「うん」
「その時、兄上は好きな人がいると言ったんです。しかも、男の人」
「あぁ……」
なんと言うか、聞いていい話なのだろうか。別に他人の趣味をあれこれ言うつもりはないし、言える立場でもない。だが、あの人の相手が男というのは…リアルだな。
一瞬想像したレヴィンは、妙に腰に響くものを感じて妄想を止めた。最近そちらはご無沙汰だから、妙な色気に当てられそうだ。
「ユリエル陛下は、なんて?」
「その人の事、遠い月のようだって。それに、命ほど大切だとも言っていました」
「意外と一途で情熱的なんだね、ユリエル陛下って」
「相手も相当無理をして、色んなものを犠牲にしてるって。そう、苦しそうに、幸せそうに言うんです。でも、そう言ったのと同じ表情でフォレを愛でる兄上を見ていたら妙に、不安になってきて」
考えすぎだと、言えばそれまでだ。恋人を想って幸福な顔をするのは普通の事。敵国の鳥を愛でて幸福な顔をしたのは、単に動物好きと言えなくもない。
だが、シリルはこの二つを直感的に結びつけたのだろう。だから不安になっているんだ。
レヴィンも考えた。ユリエルが詩人に扮して時々抜け出していたのは知っている。ただそれは、堅苦しくて息が詰まる日常からほんの少し逃避して、息抜きに出ただけだと思っていた。もしもあの時、誰かに会いに行くことが目的だったら?
それにラインバール平原での戦の直後、ユリエルは明らかに様子が違った。塞ぎ込んで珍しく仕事を放棄して森に散策に出たのをレヴィンは窓から目撃している。しかも、立て続けにその夜も出かけていた。
その翌日からはむしろ元気になっていた。そして今回の強硬な作戦だ。
いつもその陰に、ルルエの存在があるように思う。明確ではなくても、距離が近い。疑うにはあまりに恐ろしい事だが、一度不審を抱くと妙な確信があるように思えてくる。
「…そんなに心配なら、つけてみようか?」
ここでこうして考えたって、答えはでない。レヴィンは軽い調子でシリルに言った。それにシリルは困惑したが、やがてしっかりとした表情で頷いた。
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