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第102話 共犯者(1)
【シリル】
その夜、ユリエルはこっそりと自室を出た。シリルはレヴィンの部屋でそれを確認し、足音が微かに聞こえる程度まで距離を置いて、レヴィンと一緒についていった。
「こんな夜更けに、どこに行くのでしょう?」
とても小さな声で呟くのは、戸惑いからだ。
ユリエルの足音を聞き分けて進むレヴィンは真っ直ぐに、地下の食糧庫へと向かっている。十分な距離を保ったから、二人が食糧庫につく頃にはユリエルの姿はなかった。けれどレヴィンは足音を聞きのがしていないのか、しきりに足元を気にしている。
「これ…か?」
レヴィンの足元には同じような石造りの床がある。けれどよく見ると、そこには不自然な切り込みがある。
僅かに手を掛けられる部分を見つけて、レヴィンがそれを引き上げた。引き上げ式の扉は軽く開く。石にしか見えなかったその扉は本当は木製で、表面に薄く石造りに見えるよう石を張り付けて作っていた。
扉の下には長い階段がある。薄暗いそこはぽっかりと黒い口を開けているようで怖かった。
「この先にいるよ。どうする? ここで待つ?」
優しく聞いてくれるレヴィンの気持ちは嬉しい。けれど余計に不安が増した今、ここで大人しく待っているなんて事は出来そうもない。
シリルはランプに火を入れる。そして、傍に立つレヴィンを見て無言で頷いた。
階段はかなり下まで続いている。寒くて暗くて、足元も不安定だ。一つ先を行くレヴィンが転ばないように先導してくれるが、滑りやすいから何度か転びそうになった。
「それにしても、兄上はどうやってこんなのを見つけたのでしょう?」
一見は分からない。クレメンスも砦は調べたと思う。けれど、ここは分からなかった。
「扉の上に荷物が置いてあったんじゃないかな? 周辺に埃とかなかったし、傍に木箱が置いてあった。見た感じ、不用品置き場みたいだし、あの部屋だけ地下なのに松明を置く場所も無かった」
「では、どうして…」
「…誰かがこの場所を知らせた、というのが一番納得できるけれどね」
レヴィンの言葉に胸が痛くなる。不安が、そうさせている。一番考えちゃいけない可能性が見えた気がしたのだ。
やがて二人は谷底についた。木戸を開けると月光が青く地表を照らす、岩の多い景色が広がっている。
「けっこう深いな」
「兄上はどこでしょう?」
辺りを見回してもユリエルの姿はない。
シリルは足音に気を付けながら岩に隠れるようにレヴィンの後に続いた。そうして少し進むと、衣擦れの音が聞こえた気がした。
慎重に岩陰に隠れて、ソッと音のしたほうへと視線を向ける。そしてそのまま、シリルは思考を止めた。
薄青い月明かりに、銀の髪が反射する。ユリエルは愛しそうに目の前の人に寄り添い、見つめている。
ユリエルを見下ろすのは、雄々しい黒い人。整った凛々しい顔に愛しさを込めて見つめ合い、やがてどちらともなくキスをする。
「ルーカス」
小さく優しく、ユリエルが呼ぶ。シリルはもう、その光景を見ている事ができなかった。恐ろしくて、悔しくて、胸が張り裂けそうだった。こんなことが他に知れたら、兄はどうなってしまうのか。
「何も…何も見なかったことにしてください。お願いです、レヴィンさん」
「…それでいいのかい?」
「いいえ、見ていない事にされては困ります」
突然とかけられた冷たく刺さる声に、シリルは言い知れぬ恐怖を感じて動けなくなった。隣のレヴィンもまた、冷や汗を流して固まっている。この、少しでも動けば殺されてしまうのではと思う恐怖は、なんなのだろう。
「二人とも、そこから一歩でも引けば容赦はしません」
ゆっくりと近づいてくるユリエルが、シリルの前に立つ。レヴィンは咄嗟にシリルを背に庇うように前に出て、剣の柄に手を掛けた。それを見て、シリルは背が冷たくなった。
「とんだ裏切りだね、陛下。それで? 俺達の事も斬るの?」
「そう思いますか?」
月を背にしたユリエルの表情はよく分からない。けれど、どこか悲しそうに笑った気がした。
「シリル、俺が時間を作る。その間に逃げろ」
「でも!」
「俺でもこの人を相手に長くは時間を稼げない。考えずに走れ」
そんな事、出来るはずがない。大切な人を残して逃げるなんて事、したくない。そんな事をしてしまったら、空っぽになってしまう。誰かを恨んで、憎んで、でも結局いない事に打ちのめされてしまう。
一歩、レヴィンが前に出る。そして、剣を抜いた。それを見てユリエルもまた溜息をつき、剣の柄に手をかけた。
弾けるような気配の後に、レヴィンは前に出る。その剣を、ユリエルは受け止めていた。
逃げるの?
言われた事を実行するのが、多分レヴィンの願い。けれどそれをする事はできない。シリルは成す術もなくその場にへたり込んで、涙を流していた。
「やめて…止めてください! お願いです、兄上! レヴィンさん!」
喉から血が出そうなほど強く叫んでも、声は届いていない。目の前で二人は激しい戦いをしている。味方のはずなのに、まるで憎み合うように剣を交えている。こんなのは見たくない。こんなのは、望んでいない。
「やめてぇぇぇ!」
その時、ふわりと頭を撫でる大きく温かい手があった。驚いて見上げると、敵のはずの人が傍にいて、困ったように笑っている。
「困った兄だな、あれは。本来はもっと器用なはずなのに、妙なところで不器用だ。こんなことをしなくても、丸く収める方法はいくらでもあるというのにな」
「あ…」
不思議と、怖いという感情が浮かばない。穏やかで、優しい感じがする。
「だが、不器用な時こそあいつが伝えたい強い想いがある。君は、それを受け止めるだけの覚悟はあるか?」
「覚悟?」
分からなくて問い返すと、静かに頷かれる。金色の瞳が、優しく包むような光を宿してシリルを見ている。
「国を、変えようとしている。俺達は、今の世界をひっくり返す。その為には君の力が必要なのだそうだ。ただ命じる事もできるが、命がけの使命を与えるのだからこちらも誠意を見せなければと彼は言ったんだ」
「兄上が、僕の力を必要としている?」
信じられない気持ちだが、目の前の人が頷く。とても、嘘を言うような人には見えない。だから、シリルは強い瞳で見返して、頷いた。
「良い目だな、さすが兄弟だ。では、止めてこよう」
「止めるって…」
明らかに激しい戦いの中に、割って入るのだろうか。そんなの、危険なのに。
だが、ルーカスは進み出ていく。そして、剣を片手に、鞘を片手に走り込んでいった。
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