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第103話 共犯者(2)

【レヴィン】  やっぱりこの人を相手にするのは得策じゃない。  レヴィンは激しい剣の交わりの中で思う。ファルハード、ヴィトとの戦いの中で思ったのだ。この人の剣は苦手だと。  鋭い突きが頬を掠めて僅かに痛む。だがそれを気にする余裕はない。かわした事で空いた腕を狙って剣を振るうが、当然のようにかわされた。  鋭くて、正確で、なのにかわす時には流れるような動き。ゆったりと動くくせに、攻撃となれば苛烈になる。掴めないし、苦手な相手だ。  それでもレヴィンには守る者がある。こうして盾となって、破滅しか見えなくても譲る事の出来ない相手が。 「さぞ、愉快だろうな…」  思わず気持ちが口をつく。こんな事、昔はなかった。腹の内など見せなかった。  けれど最近、たぶん周囲の人間が警戒心を削ぐような人が多いから、ふとした時に溢れるようになった。 「俺や、シリルを騙して…多くの仲間を裏切っての逢瀬は、楽しかったかい?」  近づいたから、相手の表情も分かる。とても傷ついた、苦しそうな顔。それを見ると、妙な人間臭さを感じて笑えた。この人も人間で、傷ついたり苦しんだりするんだって。そんなの、分かりきっているのに。 「らしくないだろ、陛下? 頭のいいあんたが、どうしてあの人なんだよ」  決して報われない相手。同性というばかりではない。それよりもずっと、国同士が抱える問題が大きい。それとも意外と、身を焦がし国が傾くような恋を好むのか。 「…分かっていますよ。ただ、分かった時には遅すぎた」  縮んだ距離でだけ聞こえる呟きだった。絞り出すような声と、泣きそうな笑み。だから分かる。この人だって、この関係がいかに無謀か知っている。そして、知ってなお止められないのだと。  剣が強く弾かれた。胴が空いてしまい、レヴィンは咄嗟にワイヤーに手をかけた。これを外したことは今までない。だから、剣を失っても戦えると睨み付けるようにユリエルを見た。  レヴィンがワイヤーを放つ。ユリエルの剣がレヴィンへと振り下ろされる。どちらも無傷ではいられない。  その間に、黒い風が吹いた。レヴィンの放ったワイヤーを剣が受け、振り下ろされたユリエルの剣を鞘で受けた彼は、厳しい視線をユリエルに向けレヴィンを背に庇っていた。 「止まれ! ユリエル、これ以上は駄目だ。お前の大切な者を失うぞ」  強く鋭い言葉で、ユリエルの手が止まった。恐れたような表情は初めて見た。そしてまじまじと、目の前の背を見上げた。  強くて、大きな背だ。この王なら、民も部下もついて行くだろうと納得できるものだ。  金の瞳がレヴィンを見て、柔らかく緩められる。そして差し出された手を、どうしたらいいか分からずに見つめた。 「君も、一度剣を引いてもらいたい。俺達は戦う為に君達をここに招いたわけではない。話をしたかっただけなんだ」 「話?」  何の話がある。何を話そうという。この状況で、話し合う事なんてあるのか?  気持ちがまた剣を持ち始める。その心を折ったのは、不意に抱きついた少年だった。 「話を聞きましょう、レヴィンさん」 「シリル?」 「兄上達にだって、何か事情があるのです。こんな事になったいきさつも、あるのです。まずはそれを、聞きましょう」  縋るようにしがみつく体は震えている。困惑や恐怖を含む新緑の瞳は、それでも勇気を失っていない。優しさを、失っていない。 「…わかった」  頭をかいて剣を納めると、意外なほど簡単にユリエルも剣を納めてくれる。そしてルーカスに案内されるまま、谷の奥へと入っていった。  谷の奥には一軒の家があった。入ってすぐにリビングダイニング。他に部屋が二部屋という簡素な家だった。 「暖房はないから、これを」  そう言ってルーカスが出してきたのは、綺麗な毛布だ。それにくるまると夜の寒さも和らいだ。 「離れてはいるが、煙が出ればさすがに見つかる。隠れ家にならないからな」  確かに、納得した。  木造りのジョッキに、度数の高い酒が振る舞われる。どうやらここでの暖房は、毛布と酒らしい。 「まずは、改めて名乗ろう。ルーカス・ラドクリフだ」 「シリル・ハーディングです」 「レヴィン・ミレット」 「驚かせてすまない、シリル、レヴィン」  申し訳なさそうに苦笑するルーカスを見ると、悪人には見えない。むしろ誠実で温かく、優しい空気を持っている。ユリエルよりもよほど穏やかだ。 「さて」  一通りの挨拶が終わったのを確認して、ユリエルが話し出す。自然と視線がそちらへと集まる。  レヴィンは未だに全てを飲みこめていなかった。冷静になった、今でも。 「まずは話しましょうか。私達がどうして、こんなことになったのか」  酒を一口飲んで口を軽くした様子のユリエルは、それでもどこか重く、勇気を振り絞るような表情で話しだした。  話しを聞き終えても、にわかには信じられなかった。  王都を奪われた直後に偶然に知り合い、好印象と運命的なものを感じ、マリアンヌ港で想いを伝え、王都奪還後に別れと、それでも離れられない気持ちを互いに感じていた。  そして、ラインバールで互いの正体を知り、絶望し、そして同じ目的を持って手を取り合った。  こんな話、そう易々と信じてたまるものか。だが、隣り合って座る二人の表情や空気を見ると、そこに偽りはないと感じてしまう。 「本当に、お互い知らなかったのか?」 「僅かな違和感は感じていたが、追及しなかった。精々が、元軍人か傭兵なのだろうと思っていたんだ」 「私も同じようなものです。旅人なんてものは、辛い経験をしたかよほどの物好きがなるもの。そうした人の過去を詮索するのは気が引けた」 「二人とも鋭いはずの人なんだから、確認しようよ…」  がっくりと肩が落ちて溜息が出る。そのレヴィンの背を、シリルが気づかわしげに撫でていた。 「それで? 俺達をここに誘い込んで、わざわざ仲睦まじい姿を見せたってことは、何か狙いがあるんでしょ? しかも、簡単にはNoと言えないようなお願いごとが」  冷静になれば頭が回る。考えてみればそうだろう。ユリエルはシリルを使ってレヴィンを釣った。そして示し合わせたタイミングでいちゃついて、明確に関係を見せつけた。  こんなものを見て冷静でいられるはずもないし、知ったからには殺されるか、さもなければ抱き込まれるか。  本当に手の中で踊った気分で睨み付けると、ユリエルはニッと悪い笑みを浮かべた。 「二人にお願いがあります。私はこれから、国内の掃除をしたい」 「あぁ、うん。まぁ、タイミング的にはいいよね」  頃は収穫が終わり、税が納められ始める時期。新たな不正を行う役人や領主の手元に証拠が残っている可能性がある。しかも、収穫祭が王都で行われるのに合わせて、国王、もしくは王に準ずる者が赴くのが通例だ。この時期にしかるべき人間が各領地を回っても不自然ではない。  そこでレヴィンははたと気づいてユリエルを睨む。隣のシリルも何かを察したのか、真剣な表情でユリエルを見ていた。 「もしかして、シリルに掃除させるつもり?」 「シリルを国王代理として収穫祭に出席させます。そのついでに、道中各領地へと赴いてもらいます」 「まった! 危険なの分かってるよね? 各領地の領主だって、シリルを王に据えたいと思ってる。抱き込みたいと思ってるんだ。そこに、放り込むつもりかよ」 「国王代理として、王に準ずる権限も与えます」 「鴨葱だぞ!」 「食いついてもらわないと意味がありませんから。美味しそうに飾り付けます」  開いた口がふさがらない。これが実の兄がやることか。レヴィンは怒りを込めて睨み付けたが、こういう時はガンとしてユリエルもゆずりはしない。  けれど意外な場所から、決意の声があがった。 「分かりました、兄上。僕にできることなら、何でもします」 「シリル!」  隣の少年は実に真面目な、意志の強い瞳でユリエルを見据えている。その横顔は、凛として美しいくらいだ。 「兄上が出来る事なら、僕に頼みはしない。兄上にできないからこそ、僕にお願いするのですよね?」 「…私が各領地を回っても、警戒されて尻尾を出しません。貴方が相手なら、奴らは不用意に近づきボロを出しやすい。何より、奴らは貴方の成長を知りません」  心を明かすように言ったユリエルに、シリルは嬉しそうに笑う。力を認められた事が嬉しい様子だった。 「分かりました、お受けします」 「シリル!」 「ですが、問題があります。僕は囮になれても、自衛ができません。捕えられでもしたら、本当に奴らの思うつぼです」 「レヴィンがいれば、十分に貴方の身は守られますよ」  やんわりと笑うユリエルの瞳が、不意にレヴィンを見た。それに、ドキッとしてしまう。なるほど、このためにまとめて謀ったのか。 「レヴィンを、シリルの護衛隊長としてつけます。二人で各地に赴き、諸問題を解決してください」 「簡単に言うね」 「簡単ではありませんよ」  そう言って苦笑するユリエルを睨んだが、結局それ以上は何も出てこなかった。  詳しくは後日、という事になった。シリルが受けるというのだから、レヴィンが断るはずもない。他の人間に任せるくらいなら、一緒に行ったほうが安心だ。 「苦労するな、互いに」  場が少し開けて、シリルはユリエルの傍であれこれと話している。とてもそこに参加する気にはなれなくて離れていると、意外な人に声をかけられた。 「あの兄弟、なんだかんだで似てるんだね。振り回されてるでしょ?」 「そうだな。だが、悪くはないのが困る」  なるほど、重傷だ。こんなに振り回されて、それでも笑っていられるんだから。  ルーカスは断りを入れてから隣に座る。敵の大将だっていうのに、居心地悪くないから困る。 「悪いな、巻き込んで」 「え?」  見れば、困った笑みを浮かべるルーカスがいる。それに、レヴィンも困ったように目尻を下げた。 「だが、これがあいつなりの誠意なのだそうだ」 「…厄介な人だね」  そう、本当に厄介だ。こんな信頼、受けたことがない。こんなに懐深くまで晒してくるなんて、予想してない。簡単に人を騙すし、残忍にもなれる人なのに、内に入れば深い愛情をかけてくれる。 「人たらしだ」 「確かにそうだな。あれは厄介だ」  苦笑したルーカスを見て、レヴィンもまた深く頷いた。

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