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第105話 誠実の証(1)
【ユリエル】
数日後、諸々の会議を重ねた後に正式にシリルが国王代理として王都の収穫祭に向かう事となった。そしてレヴィンがシリルの護衛長として同行する事も決まった。
諸々の人の前でユリエルはシリルの首に王のエンブレムの入ったネックレスをかけ、レヴィンは剣帯飾りを受け取った。これにより、二人は正式な権限を持つ者として、広くタニス国内へ知らされた。
思惑を持つ者達にも、これは知らされたのだった。
出発の前夜、ユリエルは夜にレヴィンの部屋を訪ねた。予測していたのだろう、すぐに出てきて中へと招かれる。ガウンに帯だけの夜着を着たレヴィンは、難しい顔で笑った。
「部下の部屋にそう簡単に入る主ってのも、問題ありな気がするね」
「主らしい主ではありませんし、あまり私の部屋に呼ぶのもあらぬ噂が立ちます。誰にも見られてはいませんから、平気ですけれどね」
椅子に腰を下ろしたユリエルは、テーブルの上に紙を置く。レヴィンはそれを無言で受け取り、中を確認した。
「殺したい人リスト?」
「とは、少し違います。不正が疑われる者の名前ですね」
ダレンが調べた中でも酷いのは、数か所。おそらく最初が肝心となる。ここから一番近い目的地は、トイン領。そこでは多くの餓死者が出ているという。
「目的地リストには、オールドブラッドの領地も含まれてるよね? あいつらは絶対に国に背くような事はしてないよ。それでも行く?」
「奴等には発破をかけたいのですよ。引きこもったまま出てこようとしませんから」
「なるほど、それでね。でも、あまり期待はしないで欲しいな。あいつら、頑固だから」
「無理そうなら構いません。奴らが頑固なのも知っていますから」
「いざという時は、どこが一番動けるの?」
「ラインバール平原砦に、アビーがいます。第三部隊副隊長です。第三部隊にはある程度の話は通していますから、使ってください」
「了解」
レヴィンとの打ち合わせは、本当に簡潔に終えられる。既にある程度の腹は割って話をしたから、この段階での話は簡単な確認程度で済ませられる。
「あぁ、陛下待って。俺からも少し、話しがある」
席を立って帰ろうとしたユリエルを、珍しくレヴィンが引き止めた。不審に思いながらも椅子に座り直したユリエルの目の前で、レヴィンはおもむろに袖を外し、背を向けた。
「レヴィン?」
「いいからさ、そこにいてよ」
そう言うと、レヴィンはそのまま上半身を脱いで背を見せた。
そこには、六枚の羽の刺青がある。大きく翼を広げるそれは、まさに天使のようだった。
それを見るユリエルの瞳が歪んだ。悲しそうに、苦しそうに。
「その様子だと、知ってたんだ。じっちゃんかな?」
背中越しにユリエルの反応を見たレヴィンが、何でもないような声で言う。ユリエルは首を横に振り、自らが着ていたガウンを脱いでレヴィンの肩にかけた。
「ダレンは何も。言おうとしましたが、聞きませんでした」
「どうして?」
「聞かなくても、分かりました。憶測の域は出ていませんでしたが、ほぼ確信を持って」
ユリエルの言葉に、レヴィンは笑う。とても綺麗な顔で笑って、その首にナイフを突きつけた。
「どうして、分かったのかな? 俺が天使だって」
「お前の足音は、どんな時でもほぼしていない。そんな芸当は、普通の訓練では身につかない。身のこなしや、特殊な武器を扱える事も考えると推測は十分。加えて、お前の年齢とダレンが養子にしたタイミングを知れば、ほぼ確信できました」
「それじゃあさ、俺が王族である陛下を恨んで、こんな事をする可能性って、考えてた?」
挑戦的な瞳と声に、ユリエルはゆっくりと首を横に振る。そして、しっかりとした瞳でレヴィンを見た。
「やろうと思えば、いつだって殺れた。お前の腕なら、私が警戒していても可能だったでしょう。それでもそうはしなかった。だから、信じました」
「この状況でも?」
「えぇ」
確信を持ってユリエルは見据える。無言の時が流れて、やがてレヴィンは困った顔をしてナイフを引いた。
「困るよね、うちの陛下は。そんなに信頼してさ、秘密も明かして。俺が悪い人間だったら今頃大変なことになってるよ」
「お前の根が腐っているなら、シリルはお前を好いたりはしていませんよ」
苦笑したユリエルは、フッと息をついて笑う。目の前で困った顔をするレヴィンは、どこか嫌そうに、照れているのが分かった。
「まぁ、いいか。なんかさ、俺自身が消化できなくて。本当はさ、あんたの信頼に、こっちも応えたいって気持ちだったんだけど。やっぱ、この羽を見るとどうしても、やりきれないっていうか」
「構いません。そう簡単に割り切れるものではありませんよ。それだけお前の過去は重く、私の罪は重いということです」
かっこ悪く頭を掻いて言ったレヴィンに、ユリエルも言う。そう、この翼は決して軽い過去ではない。レヴィンの背負うものは、あまりに重い罪だ。
「それにしてもさ、知ってたんだ。全然、子供の頃の話でしょ?」
ベッドにどっかりと座ったレヴィンが問いかける。とても疲れた様子で。問われたユリエルは頷いて、真っ直ぐにレヴィンを見つめた。
「国がお前達にした事を王である私が知らないのは、罪から逃げるのと同じですからね」
「当時のお偉いさんは、大抵が知らないふりをしたよ。勿論、王様も」
「私がそれをしたら、犠牲となった者達が浮かばれません。私だけは知って、刻まねばなりません。どれ程卑劣な事を強いたのかを」
レヴィンの紫色の瞳が、一瞬大きく見開かれる。そして次には泣きそうに、ふにゃりと歪んだ。
「あんたがもっと早く王様だったなら、俺達は生まれなかったのにな」
「…すいません、レヴィン」
「いいよ、過去だから。消せないけれど……役には立つ。今を守る力として使うなら、許してやれる」
服を着直し、羽織ったガウンをユリエルへと投げたレヴィンは、ようやく吹っ切れたような顔をした。そしてそのまま、ユリエルの足元へきて膝を折って、臣下の礼を見せた。
「レヴィン・ミレット、ユリエル陛下に忠義を尽くし、誠実なる臣である事を誓います」
「レヴィン…」
こういうことは、慣れていない。形だけの忠義を誓われるなら平気な顔でいられる。けれどこうして、本当に心からの忠誠となると躊躇いが生まれる。何より、ユリエルは彼に過酷な事を強いる立場だ。
「ことに陛下、忠誠を尽くす家臣への褒美は、考えておいでで?」
「ん?」
神聖な雰囲気から一転、俗な空気に変わった。肌で感じたユリエルは、見上げるレヴィンがニヤリと笑ったのを見た。
「この任務を無事に終えたら、俺欲しいものがあるんだけれど」
「シリルの事でしたら、既に私は許していますよ。後は二人の同意のもとでお願いします」
ユリエルもにっこりと笑った。それに意表を突かれたのはレヴィンの方だっただろう。キョトッとして、次にはムスッとした顔をした。
「嫌な人」
「そうですか? 私は寛大な主だと思いますよ」
「自分の弟を男の、しかも天使に差し出そうってのか?」
「貴方が天使であるのと、シリルの問題は別です。私はこれでも恋愛は自由であっていいと思っていますから。遊びで手を出されるのは腹立たしいですが、真剣に考えていると言うならば見守りましょう」
「自由恋愛」という部分で、レヴィンは笑う。そして「でしょうね」と付け加えた。
「まぁ、周囲が何を言うかは二人で処理してください。後、かけおちもやめてください、面倒なので。堂々と付き合えばいいし、私はそれに関して何も言いません」
「本当に、いいんだ」
「私に比べれば、問題は小さなものですよ」
そう、彼らの前にある問題など些細だ。同性である事と、身分の問題。けれど同国であり、内部だ。
ユリエルの想い人は、敵だ。
ふと暗くなる気持ちに、胸を締め付けられる。会いたいと願う気持ちが、苦しくなる。ふとした瞬間に私人に戻され、苦しさを感じる。人を愛するということはこんなにも厄介で、苦しくて、温かい。
トントンと、肩を叩かれてハッとする。見られたくない部分を見られた。それが嫌で前を睨むと、柔らかい表情のレヴィンが笑っていた。
「なんかさ、陛下って案外可愛いね」
「なっ!」
「いい事だって言ってるの。誰かを思って心が動くのは、いいことなんだよ。俺は最近、それをよく感じる。だからこそ、手放せないんだ。何を投げても、例えそれが自分の命でも、守らなきゃいけないものってのはある。そう思わせてくれる相手がいるのは、幸せなんだなって」
寂しそうに、悲しそうに、幸せそうに。複雑に絡む感情が見える。レヴィンの過去が、こんな顔をさせる。
彼は知っているのだろう。心の動かない時間や、動かしてはいけない時間の不幸を。だからこそ感じる今の幸せを、噛みしめているのだろう。
「まぁ、いいんじゃないの? 間違いなくあの人、いい男だしね。ユリエル陛下を支えるなら、あのくらいの度量が無いと無理だろうし」
「簡単に言いますね」
「簡単じゃないのは知ってるよ。だからこそ、手伝う。俺も応援してるよ、二人をさ」
らしくない話をしている。それでも、受けてくれる相手がいることは心が軽い。明かした秘密は決して軽くはないけれど、受け入れてくれたのだと分かると嬉しくなる。
「やってやろう、必ず。俺は、あんたの味方だ」
そう力強く言ったレヴィンに頷き、ユリエルもひっそりと誓う。
友の幸せと、描いた未来を実現させることを。
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