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第107話 ラインバール砦より

【レヴィン】  シリル達はひとまず、ラインバール平原の砦で一泊する事になっていた。  ルルエ側の砦を現在取り仕切っているのは、アビー・メイリーという人物だ。ロアール軍医の弟にあたる。  外見は似ているが、雰囲気は全く違う。ロアール医師は武骨で不良っぽいのに対して、こちらは笑みが多く心が読みづらい、兄よりも食えない人物だった。 「ようこそ、シリル殿下。むさくるしい所ですが、どうぞごゆっくりお寛ぎ下さい」  とても丁寧に部屋へと案内される。ルルエ側の砦にあえて軍を置いているアビーは、王族が泊まる部屋にシリルを案内した。シリルの表情は、どこか複雑そうだった。 「レヴィン将軍の部屋は隣にとりました」 「有難う。アビー、少しいいか?」 「はい」  室内を見回しているシリルに視線を移したレヴィンもまた、心境は複雑だった。  ユリエルと彼との関係を知った今では、この部屋の意味も違ってくる。まさに、ここなんだ。ユリエルが全てを知ったのは。 「シリル、俺は少しアビーと話しがあるんだが」 「はい、どうぞ。僕は少し休みますので」  声をかけられて、慌てて反応したシリルは素直に部屋にいることを約束してくれる。こういう所はとても助かっている。  笑みを浮かべて一つ礼をして、レヴィンは部屋を後にした。  アビーと共に小会議室に場所を移したレヴィンは、今後の打ち合わせをし始めた。それというのも、アビーの隊が有事の際に動いてくれることになっている。これについて大まかにでも、意思疎通しておく必要があった。  一通りユリエルからの職務について話をした。勿論、親書捜索の件については伏せたが。  税の着服、他国との不審な結びつき、国家に対する明らかな謀反の疑いがある時にそれを調査し、証言や証拠を確信できるレベルで集められた場合には適切な処罰を下す。その為の協力を願ったのだ。 「なるほど。それで、俺の力が必要になる可能性が大ということですか」  案外すんなりと理解してくれたようで、レヴィンはほっとする。さすがにロアールの弟だけあって、物わかりがいい。 「お願いする。何せ警戒されないようにこちらは少数なんで。何か起こったら数が足りないんだ。勿論、そうならない事を祈るけれど」 「まぁ、その願いは難しいでしょうね。何せ性根の腐った奴が多いので。早速で申し訳ありませんが、ちょっと気になる事があります」 「…何か、不穏な動きでも?」  はっきり言って、仕事を始めたばかりで早速トラブルは遠慮願いたい。嫌な顔をするレヴィンに、アビーは人の悪い笑みを浮かべた。 「この先にある村で、餓死者が出ています。かなりの数で、貧困の度合い高いようです」 「貧困に餓死者? 今年は豊作だろ?」 「年貢に八割持っていかれては、生活は苦しいでしょうね」 「八割!」  それは、ユリエルが定めた税の二倍に当たる。だが報告では、各領地から国に納められた税は規定通りの四割で間違いないはず。  そうなると…。 「納税の割合については、あくまで噂ですが」  アビーは付け加えたが、おそらく取っているだろう。  レヴィンは考えて、まずはその村に行くことを決めた。村はラインバール平原、タニス砦を出て少しの距離。元々通る予定のルートからも外れていない。 「幸先悪いな」 「心中お察しします」 「あんた、本当にあのロアール医師の弟かよ。しらっとして」 「おや、それは心外です。兄は俺よりもよほど、性格の悪い人ですよ」  そんな様子はなかったが…。  思い当たる節を探しても出てこないレヴィンは、やるだけ無駄と考えを止めた。 「いつ、こちらを発ちますか?」 「明日か、明後日。シリルには慣れない旅だから、あまり無理をさせたくないんだ」  それでなくても最近考える事が多くてゆっくりできない。彼の心労が心配だ。レヴィンはそんな事ばかりを考えている。 「では、遅くなりましたが部屋に案内しましょう」 「あぁ、案内は平気。ここにも一度は来てるしな。シリルの部屋の隣だろ?」  ここで何かあるとは思っていないが、隣というのは心境的に安心できる。安堵の様子を見せるレヴィンを見て、アビーはニヤリと悪い笑みを浮かべた。 「なんなら、同室にいたしますか?」 「隣でいい」  即刻返ってきた返答に、アビーは楽しげに笑ったのだった。  その夜、宴席が設けられ二人は歓迎された。さすがはロアール医師の弟、部下の躾がなっている。気のいい奴ばかりで、シリルも楽しそうだった。  レヴィンもリラックスして夜を過ごしたが、心中はそうも言えない。今後の不安が心を乱している。  おそらく、様々な争いがあるだろう。剣を交える戦いなら楽だが、化かし合いとなると精神的に疲れる。  何より辛いのが、そこにシリルが確実に巻き込まれるということだ。  綺麗な事が良い事だとは思わない。  思わないが、今になって願う。どうか綺麗なまま、進んでもらいたい。見なくてもいいものを、無理に見る必要はない。自らすすんで、化け物共の中に行かなくてもいい。  レヴィンが見せる色の無い表情を、隣にいるシリルが不安そうに見ているなんてこと、レヴィンは露ほどにも思っていなかった。  宴の後、シリルと共に部屋に戻ったレヴィンは、そのまま自室に戻ろうとした。だが、シリルはその背を止めた。  腕を引き、真っ直ぐに見つめてくる。昔はこういう事にも視線を伏せて恥じらっていたが、今では堂々としている。  ユリエルに似た、強くて真っ直ぐな瞳だ。 「どうしたの?」 「何を不安に思っているのですか?」  単刀直入な言葉。探るのではなく、確信のある瞳。傍にいる時間が長いだけ、嘘がつけなくなってきた。レヴィンは「どうして?」なんて言ってみるけれど、逃げられなかった。 「何か不安があるのでしょ? さっきから、心ここにあらずです」 「そんな事はないよ」 「そう言って返す時は、何かを抱えている時です」 「…参ったな」  こうなると頑固だ。レヴィンは表情を真剣なものに変える。そして、スッとシリルに体を寄せて、まだ幼い腰を抱き寄せて唇を奪った。 「この欲求不満を、誰にぶつけていいかと思ってさ」 「僕では駄目ですか?」 「あのさ、シリル。お願いだからお兄さんみたいな不遜な態度やめてよ」  少し動揺したり、怒ったりしてくれたほうがあしらい易いのに。そういう部分ばかり兄に似てしまって、どうにもならない。  レヴィンの頬に温かな手が触れた。見上げてくる心配そうな顔が、何とも心に痛い。 「隠し事はなしにしてください。僕は、貴方の傍にいるためならどんな事でもします」 「それじゃ、お願いだからそのままでいて。今の隠し事は、後で話すよ」 「今です」 「…わかった。でも、俺も詳しくは知らないんだ。アビーから大体の状況を聞いて、気になったから様子を見たいってだけ。まずは、座ろうか」  そう言ってシリルを座らせ、レヴィンも座る。そして、アビーから聞いた話をそのままシリルに伝えた。  みるみるうちに愛らしい顔が険しくなっていくのは心が痛む。こんな顔、この子には似合わないのに。 「餓死者なんて…。せっかく今年は豊作で、民が潤うって兄上も安心していたのに」 「取れたら取れた分だけ、領主が集めちゃえば現状は変わらない。こういう部分が不満になって、国はおかしくなってくんだよ」  悲しげに伏せた瞳が、今にも泣き出しそうになる。だが今のシリルはここで泣きはしない。強い瞳をレヴィンに向け、しっかりと表情を引き締めた。 「僕がやれる事があると思います。領主の不正を暴き、正しく処罰をする事で、国への不満は改善されていくはずです。それは、兄上への信頼が増す事にもなりますよね?」 「多分ね」 「僕がすべきことは、こういう事なんですね」  急成長を始めたシリルは頼もしい。けれど、幼い彼を知っているレヴィンにしたら、少し寂しく悲しいことだった。  賢くなればなるほど、シリルは純粋ではなくなる。綺麗ではなくなる。マイナスの感情も生まれてくる。それを、悲しく思ってしまう。 「シリル、こっちにきて」  たまらなくなって、レヴィンはシリルを呼び寄せた。隣に座るあどけなさの残る少年を抱きすくめる。シリルはされるがまま、抱きしめられて瞳を閉じる。寄り添う体温が心地よい。 「お願い…シリル頼むから、俺の知らないシリルにならないで」 「レヴィンさん…」 「もう少し、幼いままで…」  弱い事を拒み、嫌うシリルの気持ちは分からなくはない。レヴィンだってそうだった。  幼くて、周囲に運命を握られて、命すらも握られて。それが嫌で足掻いてきた。強くならないと、生きていけなかった。  でも、思うのだ。幼くはいられなかった自分の分まで、シリルには甘えて欲しいと。 「急いで大人になるな、シリル。周囲に振り回されるな。大切な物をちゃんと見極めて、選び取らないとダメなんだ。分かるかな?」 「はい」 「それなら、いいんだ。ただ…最近急に大人になった気がして、俺は少し寂しいし、心配になる。お願いだから、自分だけで全てを背負いこまないでくれ。殺気なんて持つ前に、悲しんでほしい。許さないんじゃなくて、哀れんで欲しい。俺は、優しいシリルが好きだよ」  優しく頭を撫でる手に、シリルは甘えてくれた。こんな関係のまま、もう少し長くいたい。変わらないでいてもらいたい。こんなことを言ったら、この子は困った顔をするのだろうか。  レヴィンの気持ちは、とても複雑なものだった。

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