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第108話 谷底の夜

【ユリエル】  シリル達がリゴット砦を出た夜、ユリエルは谷底の家にいた。そしてその隣には、ルーカスの姿もある。 「無事に旅立ったか」  穏やかに言う彼の隣で、ユリエルは表情を沈ませる。  未だ、この決断が正しかったのか判断がつかない。こんなことを彼らに任せてしまった事を後悔している。  肩にふわりと手が触れた。見上げると、穏やかな金の瞳が見下ろしている。なぜだろうか、この瞳に見られると心の不安が軽くなる。大丈夫だと、言ってもらっているようだ。 「不安か?」 「はい」 「だが、考え続けた結果なのだろ? ならば、見届けるのが君の責任だ」 「厳しいですね」 「そうだな」  この恋人は、案外厳しいのだと最近気づいた。王としての覚悟というものが、ユリエルよりもある。ユリエルは、可能ならば全てを自らが負いたいと考えてしまう。自分はどれだけ傷ついても構わないと。  けれど、ルーカスは違う。仲間を信じ、任せ、その上で責を負う。そういう覚悟を持っている。 「お前が出て行っても、ネズミは捕まらない。だからこそ、あの子に託したのだろ?」 「そうです。そう、なんです。考えて、どうにかならないかと必死になっても、これ以上は出てこなかった。不甲斐ない」  項垂れる。その肩を、ルーカスは優しく抱き寄せる。強い手が包むように、力づけるように側にある。 「信じてやればいい。お前が信じないで、誰が信じてやれる。お前が祈らずに、誰が祈る。堂々と構えていればいい。そして、必要な手を回してやるんだ」 「…はい」  可能な限りの手を回した。シャスタ族、アビー、それに聖ローレンス砦の者達。レヴィンとシリルに手を貸せる面々を揃え、いつでも動けるようにした。  でも、それでも手が足りなかったら? 彼らに何かあったら。最悪、シリルは殺される事はないだろう。だが、レヴィンは違う。彼は……運が悪ければ、命に直結しない傷ですらも命取りになる。 「まったく、俺の恋人は心配性だ」  溜息が聞こえて、彼の存在を無視するような振る舞いをしていた事に気づいて申し訳なくて、ユリエルは顔を上げる。その唇を、彼は素早く奪っていった。 「んぅ…ふぅ」  歯列を割られ、舌が滑り込んで口腔を犯していく。頭の芯がぼんやりと霞み、力が抜けていく。思考も心も浚うような深い口づけは、体が震えてくるまで続いた。  解放されても体に力が入らない。頼りなく見つめているうちに、深い金の瞳が笑い、抱き上げていく。驚いたが、彼の力に敵うわけがない。「暴れると落ちるぞ」と笑って言われて、しょうがなく首に抱きついた。  そのまま下ろされたのは別室のベッドの上。暖かな布団の上に下ろされ、そのまま彼を見上げる。少し睨んだが、効果はなさそうだ。 「怖い顔をするな。嫌か?」 「嫌じゃ…ないです。でも、流石に今日は!」  彼らを送り出したばかりで、気持ちが整理できていない。こんな状態で彼に抱かれるのは、複雑すぎる。  何より、少し後ろめたい。大変な事を押しつけておきながら、自分は恋人と睦み事なんて。彼らはそれどころではないのに。  けれど、ルーカスは逃がしてくれるつもりはないようだ。唇が首筋に触れて、思わず声が漏れた。 「ユリエル、シリルの言葉を忘れたのか?」 「……いえ」  「恋人の求めを拒むことのないように」と、シリルはこっそり伝えていった。それを思い出したが、だからって。 「兄の幸せを願う。できた弟じゃないか」 「急に大人になって、そんな事を。だからって」 「少し気持ちが離れた方が楽だ。それに、俺も人肌が恋しい」 「っ!」  大きな手が体に触れる。温かく、優しく。その指先が服の上からでも触れると、素直に反応を返してしまう。  分かっている。理性だとか並べ立てても、心も体も彼を求めている。疲弊した精神が、彼を欲している。 「ユリエル」  耳元で囁かれる名に、犯されているような気がする。含み笑う声に色香を感じて、期待に震えている。いつからこんなに淫らになったのだろうか。声の一つ、視線の一つにこんなにも体が震える。 「ルーカス」  名を呼んで、首に腕を絡めて、引き寄せるように口づけをした。求められた事に安堵したように、ルーカスの金の瞳が嬉しそうに細められる。触れた唇は、先ほどの激しさを見せない。優しく甘やかすような時間が、心を穏やかにしてくれる。 「本当の名を呼ばれるのは、やはり嬉しいものだな」  嬉しそうに言った彼の言葉を反芻していく。  そういえば、そうだった。互いの正体が明らかとなってから、まだ一度も夜を共にしていない。キスくらいはあっても、こうして深くは触れていない。  意識して、途端に恥ずかしくなった。顔に出たのか、ルーカスは楽しそうに笑う。 「可愛い顔をしないでくれ。このままだと、枯れるまで求めてしまいそうだ」 「あの、流石にそれは。身が持たない」  自分よりもずっと逞しい彼が枯れるまでとなると、動けなくなる可能性がある。それに、そんなに耐えられるか? 気絶するまで抱き合うのは、流石にちょっと困るのだが。 「分かっている。君にそんな負担を掛けたくはない。だから、そんな可愛い顔で煽らないでくれ」  そう言いながらも嬉しそうなルーカスのキスは、先ほどよりも熱くなっていた。  肌に触れる指先に、唇に震える。歓喜の声は止めることができずに溢れ、その度に彼が嬉しそうな顔をする。 「傷は全て消えたな。良かった」 「そんなに心配だったのですか?」  前の戦いで負った傷は数は多くても全て軽微だった。一週間もすれば治ってしまった。それを、彼は気にしていたのか。  小さな音を立てるように指先に、首筋にキスをされる。むずむずとくすぐったくて笑うと、ルーカスも柔らかな笑みを浮かべる。 「愛しい人に傷ついて欲しくはないと思うのは、当然だ」 「互いに敵だというのに、心は真逆の事を願うのですから。複雑ですね」 「いつまでも敵などにはしない。必ず、堂々とこうして触れる日を手に入れる」  叶えたい未来。けれど、気持ちが沈むと見えなくなる未来。それを、この人は見せてくれる。形あるもののように。  触れて、その首筋に口づける。同じように誓うように。 「ユリエル、後ろを向いてくれないか?」 「後ろ?」  十分に色んなものが高ぶって、もう歯止めがきかない。ルーカスの頼みに疑問符を浮かべながらも背を向ける。四つん這いの状態で尻を上げた姿はなんとも恥ずかしい。だが、既に恥など晒している。今更だ。 「ユリエル、これは?」 「え?」  ルーカスの指が背に触れる。左の肩甲骨の辺りに指先が触れた瞬間、体がビクリと震えた。「ふっ!」と声が漏れる。四肢が震えてくる。 「これは…痣? 双頭の鷹のような。タニス王家の紋のようだ」 「え? あぁ!」  柔らかく暖かな唇がそこに触れた瞬間、体が痺れて悲鳴が上がった。全身が自由にならない。何も考えられなくなる。触れる指、唇のそればかりに気を取られる。 「どうしたんだ?」 「いっ……ルーカス、お願い、欲しい」  おかしくなっていくようだ。気持ちも体も押さえがきかない。願うままに言葉が出る。溢れるように求めばかりが出てきてしまう。彼が欲しくて、どうしようもない。  指がゆっくりと秘部に埋まる。苦痛はそれほど感じていない。ただ熱くて、疼いて仕方がない。 「ユリエル?」 「お願い、もっ…」  欲しい。  広げるように動いていた指が抜けて、宛がわれた熱が押し入る。瞬間、息が止まりそうだった。強く鳴った心臓が、止まってしまうのではと思えた。 「ユリエル、もう少し力を抜け。痛むだろ?」  首を横に振る。痛みなんてほとんどない。違和感と圧迫感は強く感じても、不思議と痛みはない。なぜだろう、それほど入念に解したわけではないのに。  受け入れる、その動きが徐々に加速していく。あられもなく声を上げ、彼を受け止めている。熱いものが自らの中に深く埋まるのを感じ、それを悦びとしている。こんな日が来るなんて、思ってもみなかった。 「ルーカス! あっ……もっ、ダメです!」 「っ!」  鋭敏になった体が訴える。もう限界だと。突っ伏して、彼に体を支えられたままで一際強い快楽に飲まれた。果てたはずなのに、まだどこかでくすぶっている。  ルーカスも数度強く腰を運び、果てた。熱い体を背中に感じる。秘部で受け止めた彼の残滓を感じて、ほっとする。この上ない幸せを感じている。 「平気か、ユリエル。どうしたんだ?」  抜け落ちた事を寂しいと感じて、泣きそうになった。ぼんやりと見上げる先に、金の瞳がある。月のように、星のように。  ふわりと笑って、手を伸ばしてその頬を包んだ。この感覚は、間違いではなかった。それを今、改めて感じられて幸せだ。 「やはり貴方が、私の双子星なのですね」 「ユリエル?」 「王の証に触れる者、真に汝の番ならば、その体は苦痛を得ない」  タニス王家に伝わっている、信じられない言い伝えだった。 「王家のエンブレムに似た痣は、王家の印。そこに触れる事を許されるのは、王の番のみ。その相手が真に定められた相手ならば、苦痛を感じないそうです。そこに触れ、口づけるは婚姻の証。魂に触れる事と同じだと」  燃えるように熱くなり、壊れそうなほどに鼓動が早くなった。雑念を消し、胸に溢れる満足感はなんとも言えない。誰が何を言おうと、この人が自分の大切な人なんだと確信できる。そんな、不思議な感覚。  ルーカスは最初、不思議そうな顔をしていた。だが次には柔らかく笑って。背後に回る。そっと触れた唇が、首筋を、そして背にある痣に口づける。 「ふぅぅ! あっ、もうダメです! ルーカス!」  果てたばかりなのにまた熱が生まれ、ゾクゾクと駆け回る。油断すれば腰が浮きそうなのに、それにもかかわらずルーカスは何度も痣に口づけた。 「ダメ…です。そんな、死ぬ…」  こんな強い刺激を受け続けたら、壊れてしまいそうだ。全身から力が抜けて、弱く訴えた。それでようやく、彼はその行為をやめてくれた。 「殺すきですか…」 「誓ったんだが?」 「え?」 「ここにキスをするのは、婚姻の証なのだろ?」  含み笑うように言うその言葉に、違う音を立てて心臓が鳴る。嬉しくて、幸せで、温かくて。でも同時に恥ずかしくて、まともに彼の顔を見られない。 「俺にもこういうものがあれば良いのだが」  悔しそうに苦笑して、ルーカスが抱きしめる。その腕に抱かれ、身を預け、ユリエルは穏やかに笑った。 「こんなもので確信を得なくても、最初から感じていたではありませんか。貴方は私を、私は貴方を、双子星だと」  出会った瞬間に感じたあの感覚を今でも覚えている。知らないのに信じられて、身を委ねる事に躊躇いがない。心の奥底を晒しても構わない。そんな、不思議な感覚。  背後でルーカスも笑っている。顔は見えないけれど、感じられる。幸せそうに、穏やかに笑う。 「そうだな」  静かな声がそう伝えるのを、ユリエルはとても穏やかに聞いていた。

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