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第127話 愛しい人(1)

【レヴィン】  世界に光が僅かに差す。レヴィンはそれを睨み付けた。真っ暗な世界にランプが一つ、今が昼か夜かも分からない。  入ってきたブラムは見るからに顔色がおかしい。青を通り越して白くすらある。珍しく瞳に焦りがあり、ヨタヨタと歩いてくるのだ。 「これが届いた」  威厳など欠片もない声が呟き、手にしていた手紙をレヴィンに差し出す。大人しくそれを受け取ると、何かが封を切った口から滑り落ちた。 「なっ!」  白い布は赤く濡れ、その上に耳が一つ置いてある。血濡れた痕がまた新しいそれは、白くなっていた。  レヴィンは慌てて中を改めた。封蝋はシリルのものだ。王族以外使えないエンブレムなのだから直ぐに分かる。手紙を取り出すと、本当に丁寧な文字で短く認められていた。 『アデルを預かっている。これ以上パーツを失いたくないなら、日が落ちる前にレヴィンさんを連れてトイン領主館へと来い』  温度も優しさも感じない、これは脅しだった。  胸が苦しく痛み出す。優しい子が、ここまで落ちたのは自分のせいだ。想いを寄せる彼を受け入れたからだ。依存の強い子だと、どこかで感じていた。そんな子が落ちてしまえば、おかしくなっていくのは想像出来たはずだ。  手紙を抱きしめ、自分を責めるレヴィンの耳に、錠の落ちる音がした。 「出てくれんか」  憔悴したブラムもまた、親なのだろう。アデルは一人息子だ、失えない。  レヴィンは何も言わずにそれに従った。レヴィンも守りたいのだ、シリルの心を。このままではあの子の心が壊れてしまう。悲しみと怒りに狂ってしまう。もう、その陰は見えている。 「格好、整える。その方がいいだろ」 「恩にきる」 「…あんたも、親なんだな」  項垂れて、今にも倒れてしまいそうなブラムの肩を一つ叩いて、レヴィンは素早く身支度を調えた。  空がまだ明るい間に、レヴィンは馬車でトイン領へと到着した。館の玄関先にシリルの姿がある。綺麗な新緑の瞳は曇って輝きがない。そのくせ、随分綺麗な笑みが口元を飾っていた。  こんな顔をさせたいんじゃない。レヴィンはすぐさま扉を開けてシリルへと走った。 「シリル!」 「レヴィンさん!」  最近急激に大人になり始めた少年が胸に飛び込んでくる。強く抱きしめる腕の力は前とは違い逞しい。腕を回し、背を撫でると我慢できずに声を上げて、彼は泣いた。 「ごめん、俺が間抜けで。心配させてごめん」 「レヴィンさん…」 「ごめんね、沢山辛かっただろ。泣かないで、シリル」  胸に顔を埋めてやり、隠すように抱き留めながら、レヴィンは何度も心の中で謝り続けた。 「父上…」  声に顔を上げれば、ファルハードに連れられたアデルが驚いた顔をしてブラムを見ている。今にも倒れそうなブラムへと歩み寄ったアデルに、ブラムは縋り頭を下げた。 「すまない…」 「…いらない子では、なかったのですね」  呟くような声でそう言ったアデルは、どこかほっとしたような笑みを浮かべていた。 「まずはどうぞ、お入り下さい」  ヒューイが言い、中へと促される。レヴィンはシリルを促しながら中へと入っていった。  まずは話をという流れではあるが、正直シリルがそれに応じられる様子じゃない。未だレヴィンの服を握りしめたまま顔を上げられないのだ。見かねたレヴィンは先に一度休む事を伝えると、快く受け入れられた。  部屋に入り、一応鍵をかけた。疑うわけじゃないがここにはブラムやアデルがいる。万が一だった。 「レヴィンさん…」 「心配かけてごめんね。ちょっと、感情的になってしくじった。俺もさ、苛立ってたみたいだ」  素直に言って謝る。未だ涙を止められないままのシリルはそっと体を寄せてくる。安心した、新緑の瞳に輝きが戻り感情が見える。あんな苦しい笑みではない。 「怪我はないのですか?」 「ないよ。薬を飲まされて眠ってしまって、気づいたらさ」 「許せません…」 「許してよ。俺はシリルのあんな顔をもう見たくない。前に言っただろ? 優しいシリルが好きだよって」  頬を撫で、涙を拭って口づけた。触れるだけ、そのはずだった。  離れる事を拒むように艶やかな瞳が少年の色香を漂わせて見上げてくる。僅かに開けたままの唇から、愛らしい舌が見え隠れしている。  なんて魅力的な表情なのだろう。瑞々しい果実のように甘い香が、レヴィンを誘い込んでいる。  ほんの少し硬くなってきた手が頬を包み、伸び上がって重なる。切なげに涙を流しながら求められて、引っ込む男などいるだろうか。  腰を、背をかき抱き深く求めて口づける。開いた唇に舌を伸ばし、絡めて求めるままに吸い尽くす。刺激に慣れていない体は直ぐに蕩けるように身を委ね、見つめる新緑は悦に濡れる。手に伝わる熱は増していた。 「はぁ…」  唇が離れると息苦しそうに短く息を吐いたシリルが、物欲しげな顔をして見つめる。この目に、表情に見つめられると欲望に火がつきそうだ。 「レヴィンさん?」  レヴィンはシリルの体を押し返した。これ以上はダメだとどこかで訴えている。だがシリルは泣きそうに表情を歪め、苦しそうに睨み付けた。 「僕では、貴方を悦ばせる事は出来ませんか?」 「違う」 「貧相な体かもしれません。女性のような膨らみもない、細いばかりの体では、いけませんか?」 「違う、シリル」 「僕が兄上のように美しく魅力的だったら、レヴィンさんは僕を抱いてくれましたか?」 「違う!」  ダメだ、このままじゃ。レヴィンは拳を握る。隠し事をしたままでは、シリルに触れる事が怖い。一度触れ、溺れてしまったら離せない。その後で突きつけられる言葉が怖い。  近づいたシリルの目は、真剣そのものだ。新緑の瞳は責めるように見つめてくる。問い詰めるように、側にある。 「僕は、醜いですか?」 「シリル…」 「アデルを取り押さえ、ブラムが応じない時には本当に、僕は彼を傷つけるつもりでした。今回の事、僕はアデルにもブラムにも謝るつもりはありません。こんな僕は、レヴィンさんが好きになった僕とは違いますか?」  泣きそうな瞳だった。必死な言葉だった。壊れかけて悲鳴を上げる心が、言葉を求めている。レヴィンは抱きしめ、首を横に振った。 「ごめん、俺が…」 「…落ちたのは、僕の勝手です。レヴィンさんが謝る事なんてない。欲しいものを見つける事もできなかった僕が初めて欲しいと思った人なんです。心から求めた人だから、離れられないんです。たった一つ、貴方を失わない為なら僕はどこまででも落ちていけます」 「うん」  分かっている。ずっと本気なのは分かっている。ちゃんと知っていたのに逃げ続けた。一緒に旅をして、変わりだしたのは分かってる。力を求めた理由も知っている。全部、レヴィンの側にいるためなんだと。 「…シリル、俺の話を聞いてくれる?」  レヴィンはそう切り出した。全てを話す事はまだできない。けれどちゃんと話さないと触れる事もできない。認めて、受け入れてくれないと動けない。もうずっとそうだ。自分の罪と穢れに尻込みして、触れる事を躊躇ってその度に苦しませてきた。  シリルは静かに頷いてくれる。そっと隣に腰を下ろして、レヴィンが話し出すのを待っていた。

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